後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

皆さまへ感謝しつつ私がこのgooブログ を止める時

2014年12月14日 | 日記・エッセイ・コラム
私がこのgooブログを止める時は病気になって入院する時と覚悟していました。
後期高齢者ですから何時病気になってもおかしくはありません。
しかし、今の所、健康な老人なので、それはまだ先のことと楽観していました。
ところが驚いたことに昨日、どうしてもこのコンピューターが起動しませんでした。
現在は偶然、幸運にも起動しましたので、こうして感謝の言葉を書いています。
コンピューターが本格的に故障して、修理に出せば1,2週間お別れしなければなりません。
多くの方にご覧頂いたり、善意溢れるコメントを頂きながら何もしないで消えてしまうのはあまりにも無責任のように感じています。
今朝は教会のミサの間にこのgooブログ を通しての皆様とのご縁と暖かい絆について神に感謝しました。そして同時に、皆様の幸福を神に真剣に祈ってまいりました。
これから記事や写真の掲載が途切れることもあろうかと存じます。
有難う御座いました。本当にお世話になりました。
皆様のご健康とご多幸をお祈りしています。後藤和弘

お寺や教会は散歩で入ってくる人を歓迎します

2014年12月14日 | 日記・エッセイ・コラム
私はお寺を見るとよく散歩のつもりで入って行きます。時間がある時は必ずのように入って境内や墓地を散策します。
私の祖父は兵庫県のある山里のお寺の住職でした。毎年夏になると一家でその祖父のお寺へ帰省して楽しい夏休みを過ごしました。そんな子供の頃の懐かしい思い出があるので、お寺のそばを通りかかるとつい中へ入ってしまうのです。
2010年の12月9日も、偶然通りがかった吉祥寺のアーケード街に正門がある月窓寺を散歩に入って行きました。下の写真が月窓寺です。

お寺の散歩で見るべきところが幾つかあります。今日はお寺を散歩して楽しむ方法を書いて見ます。私が何時も実行して楽しんでいることです。
境内に入ったらまず本堂のそばへ行きます。ご本尊様へ、「こんな静かな境内を散歩させて頂き、有難う御座います」と少しだけ頭を下げます。それで全てが許されるのです。
賽銭箱があれば小銭を入れます。それは全く自由です。小銭が無ければ入れません。
それから境内を掃いている作務衣の人が居たら会釈をします。
それから勝手に歩き回って良いのです。この時、愛犬やペットを連れて行くのは遠慮します。
本堂の左に玄奘三蔵法師さまが立っています。別に拝む必要はありません。この像の面白い所を探します。

インドから持って来たお経がビッチリ入った縦長の大箱を担いでいます。その大箱の上に固定した大きな傘が面白いのです。お経が雨に濡れないようにして、その上自分も濡れないように大きな直径の傘ですね。その上、傘の前部から燈明を灯す入れ物がぶら下がっています。夜になっても歩いた日もあったのでしょうね。左の額から汗が垂れていますが、これは単なる汚れです。
墓地のほうへ歩いて行くと遺族が行方不明になった無縁墓が積み上げた供養塔があります。江戸時代から明治の年号が刻み込んだ無数の墓石が積み上げてあります。自分の墓もいずれこのようになると思うと何故か安心します。

どこの寺にも遺族が来なくなってしまった墓石が沢山あります。それを纏めて住職が供養しているのです。
無縁墓の供養の様子はその寺の住職の考え方でいろいろです。それを見るのが面白いのです。いろいろなスタイルがあります。この月窓寺では無縁墓の塔の上に慈母観音さまの石像が坐って居ました。
その後は墓地を静かに散歩します。お花を供えに来ている人には軽く会釈をします。この時、間違ってもニコニコしてはいけません。悲しい気持ちで遺族は来ていることが多いからです。
墓地に供えられた花々を見て楽しみます。枯れた花があったら取り上げて、決まった枯れ花の捨て場へ持って行きます。
墓石を見ます。この写真は日露戦争で戦死した茂木伊八上等兵の墓です。立派な墓石ですね。

若くして戦死した息子を悼む両親の悲しみ、嘆きが100年以上たって墓前に居る私に伝わってきます。反戦の重要さが私の心を打ちます。打ち鳴らします。
このようにお寺の境内を勝手に散策するのが私の楽しみです。最後に一つ重要な条件を書きます。そのお寺に眠る全ての死者に対して敬意を持ち、冥福を祈るのが散歩を楽しくする条件です。その気持ちのあるかぎり、全てのお寺は貴方の散歩を大歓迎しています。
この事はキリスト教の教会や墓地でもまったく同じです。
是非、近所のお寺の境内の散歩をお楽しみ下さるように祈っています。
府中市の大国魂神社から続くケヤキ並木道を北へ数百メーロル行った所にカトリック府中教会があります。
私の趣味の一つに見知らぬ教会へブラリと入って見物することがあります。この府中教会は1990年からカトリックの教会になっていて、よく車で前を通っていましたが、一度も入ったことがありません。
今日は取材のつもりで家内と一緒に車を入れてて前庭に駐車しました。

門柱を見るとカトリック府中教会という標札も出て居ますが、ミラノ外国宣教会の教会という看板も出ています。ローマ法王直属の宣教会です。カトリック東京大司教区の方針に従って宣教活動をしていますが、イタリアの教会です。これは変わっていて面白いと思いました。
下のイエス様誕生の像の写真を撮ってから聖堂に静かに入ってみました。入って行くとイタリア人らしい神父さんがミサをしています。

後でお名前はマウリツイオ神父さんと分かりました。下に聖餅を信者達へ優しく与えている写真を示します。

このように気楽に教会に入り静かに見学するとキリスト教の実態が分かります。決して読書では得られない体験的な理解が出来るのです。
話は飛びますが、以前ヨーロッパに住んでいるころよく教会に見物に入ったことがありました。ガランとして誰も居ない時も静かで良いのですが、ミサをしている時などは信者の祈る姿や表情を見て居るとキリスト教の神髄が分かります。ヨーロッパ文化の真髄が分かるような気がします。静かにしている限り常に歓迎してくれます。皆様も是非、教会を気軽に見物の為にお入りになる事をお勧めいたします。
今日はミサの後、マウリツイオ神父による旧約聖書の出エジプト記の講義がありました。知性あふれる方です。優しい話し方です。ついつい聞いてしまいました。エジプトのユダヤ人は430年もエジプトに住んた後、ヤーウエの神に導かれて、モーゼの指導で海を渡る話です。紀元前600年以上も前のエジプト王朝のファラオが神でもあったのです。ユダヤの神ヤーウエの方が圧倒的に力のある絶対神だったという話を説明してくれました。当時のエジプト人の迷信や俗信が旧約聖書ではどのように転化し、新しい意味を持つようになったかを歴史的に、明快に話すのです。素晴らしい話し方です。古いエジプト人の農民の酵母無しのパンを食べる儀式と牧畜民の生贄のヒツジの血を住宅用のテントの支柱に塗り悪魔除けの儀式が合体したのが過越祭なのです。そして過越祭の意味は魔よけから神による保護へと意味が変わったのです。
そのように迷信や俗信が時代とともに変化し、新らしい意味と役目を果たすようになると説明してくれます。眼から鱗です。クリスマスもゲルマン民族の冬至祭を踏襲し、イエス様の誕生日となったのです。復活祭は春到来の祭りでした。
このように古い迷信と習俗が生まれ変わって文化が変化して行くのです。マウリツイオ神父さんは文化人類学の学者でもあったのです。神学をよく知っている神父さんは多いです。そしてマウリチイオ神父さんは人間の温かい血を持った学者でもあるのです。そこで帰宅後、ミラノ外国宣教会を検索して調べました。         
最後に日本に来ている21名の神父様のお顔の写真を示して、この記事の終りと致します。ウリツイオ神父は最下列の左から2番目の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)