時代が変わってもお正月が来ると門松を飾り、お節料理を作ります。人それぞれでそれを一切しない人もいます。しかし門松とお節は多くの人々が連綿と続けています。それは美しい日本の風物詩なのです。
何故、多くの人々が続けているのでしょうか。いろいろな理由があるでしょうが、私の場合は門松やお節料理は家庭の幸せの思い出だからです。まだ家内が若く、子供も幼かった頃に家内が熱心に作っていたからです。自分が子供の頃の食糧難の時代に両親が必死でお正月のご馳走を用意していたからです。そのような楽しかった頃の思い出がよみがえって来るのです。
昔は門松は山に取りに行きました。つい数年前までは甲斐駒岳の麓に取りに行きました。しかし最近は買ってきます。昨日、買ってきました。半紙と稲縄で作った飾りをつけて毎年家内と一緒に門扉にとりつけます。それはお正月を迎える小さな儀式のようなものです。
そして家内は今年もお節料理の材料の用意を始めました。
昔は全てのお節は手作りでした。現在は半分完成した料理を売っています。その上、大小さまざまな大きさの重箱に美しく詰めたお節さえ売っています。
家内は何でも手作りしようとしています。作っている最中が楽しいらしいのです。
日本人なら「お節料理」についてはいろいろな想いを持っていると思います。
戦前生まれ、戦後育ちの人々にとっては悲しい思い出がまつわりついています。
戦後は食糧難で材料が無いのです。当時の親たちはお正月料理の準備で苦労したのです。
最近は豊かなになり材料で苦労することが無くなりました。
美しく重箱につめたお節料理を前にして、時々私は、南の島々で餓死した兵隊さんたちへ食べさせたかったと想うのです。
私はお節を見ると楽しい思い出とともに、今でもそのように想いが頭をかすめるのです。
そして現在でも孤独な人々はお節料理を作らないかも知れません。
幸せな家庭でも門松もお節もしない人々もいます。
いろいろな時代と、いろいろな家庭の光景を想像します。
そして幸少ない人々のために、より幸福な新年が来るように心のなかで静かに祈っているのです。
それはさておき、美しいおせち料理の写真をお送りします。
はじめの2枚の高島屋のお節料理の写真の出典は、http://www.takashimaya.co.jp/shopping/special/osechi/0900002064/0900002065//-/です。
続く2枚の三越のお節料理の写真の出典は、http://mitsukoshi.mistore.jp/osechi/nihombashi/index.html;jsessionid=swvsJd1QMPNR7n6cT6QDF2vgvlyn3wYLjFdypGQRBlQnm1WGNmjx!30512671です。
そして、http://erecipe.woman.excite.co.jp/theme/osechi.htmlには非常に数多くのお節料理の作り方が書いてあります。
少しご自分で作って、家族おそろい楽しいお正月をお迎え下さい。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)