後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

パソコンの不調で落ち込む私の矮小さ

2014年12月15日 | 日記・エッセイ・コラム
ここ数日、パソコンの不調で落ち込んでしまいました。私の人間としての小ささを露呈したことに一層落ち込んでいます。しかし私はキリスト教の信者です。落ち込んで、すぐに反射的にイエスさまの時代はコンピューターが無かったことを考えていました。
そしてコンピューターが故障してもが正常に作動していても、どちらでも人間と神やイエス様との精神的な繋がりには一切関係が無いことに思いが至りました。
そして以前にアメリカのオハイオ州で訪問して、一泊したアーミッシュの村の風景を思い出したのです。
アーミッシュの人々は自動車やテレビや電燈などの近代文明を一切拒否して、中世のヨーロッパの農村のランプ生活と薪ストーブの生活様式を守っている民族なのです。
アメリカのペンシルバニア州やオハイオ州にアーミッシュの彼等の村落がひっそりと散在しています。
コンピューターの故障のお蔭で彼等の気持が少し分かったような境地になりました。
そう言えばカトリックの神学校ではコンピューターは禁止です。きっと修道院でも禁止だと思います。
こんな話を家人にしたら、「たかがコンピューターの故障をイエス様に関係して話すのは大げさです」と笑っています。そうですね。大げさ過ぎますね。
昨日の夕方に、武蔵国分寺跡に行って聖武天皇の詔で750年頃に創建されたお寺の礎石が点在する原っぱを眺めて自分の心を慰めました。
その東山道武蔵野路に面した壮大な伽藍は1333年のに新田義貞と鎌倉幕府との戦いで灰燼に帰したのです。
現在の武蔵国分寺は江戸時代に再建された比較的新しいお寺なのです。
そんな風景写真を独りで撮っていたら、コンピューターが故障したことなど忘れて悠々るたる気分になりました。
温故知新とは言いませんが、歴史を振り返ると人間は知恵深くなるということが本当のように感じました。下に夕陽が射す武蔵国分寺跡の写真と江戸時代に再建された武蔵国分寺の写真をお送りいたします。
それはさて置き、おやすみなさい。安眠をお祈り申し上げます。後藤和弘





=====武蔵国分寺とは===================
本史跡は、かつて武蔵国に置かれた国分寺および国分尼寺の跡地である。尼寺区域は調査が終わっており歴史公園として整備されている。一方僧寺区域は整備事業の一環で発掘調査中である。史跡指定範囲は時代が下るごとに広がり、現在は11haにおよんでいる(東山道武蔵路を含まず)。なお、推定される寺域は僧寺金堂を中心に東西1,500m、南北1,000mに範囲におよぶとみられる。国分寺崖線の南側すぐの位置にあり、かつては東山道武蔵路を挟む形で東側には武蔵国分寺、西側には武蔵国分尼寺が立地していた[1]。現在は、両寺院の間を府中街道(埼玉県道・東京都道17号所沢府中線)とJR武蔵野線が通過している。
史跡指定地内には、鎌倉時代末期の分倍河原の合戦の兵火で旧武蔵国分寺が焼失した後に、新田義貞の寄進によって再建された武蔵国分寺(真言宗豊山派)も所在している。
詳しくは、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA%E8%B7%A1をご覧下さい。

17日の水曜日にパソコンが復旧しそうです

2014年12月15日 | 日記・エッセイ・コラム
新しいノート型パソコンを買って持ち帰りました、
17日の水曜日に専門家が自宅に来てくれて起動してくれる手筈になりました。
皆様のお励ましのお蔭で大変早く復旧しそうです。
本当に有難う御座いました。