後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

キリスト教と仏教のこと・・対立より愛を

2014年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム







この記事を書く前に、私はまず上の写真にある樹木の悠々としたたたずまいを眺めました。はじめに示した写真にある甲斐生駒岳の麓に広がる林の木々です。2ケ月前の紅葉のころに撮った写真です。
これらの写真を見ていると私の気持が広くなり、悠々とした気分になりました。
今日は12月24日クリスマスイヴです。そこでこの悠々とした気分のままに、キリスト教や仏教に対する私の考え方を書いてみようと思います。
私はカトリックの信者です。昨日はカトリック墓地に行って、お世話になった神父さんのお墓にお参りしました。しかしお寺にある先祖や親類、恩人のお墓参りもかなり丁寧にします。
神社やお寺の仏像の前では手を合わせ、頭を下げ敬意を示します。
それが正しいキリスト教徒というものだろうと思っているからです。
イエス様は「隣人を愛せ」と教えました。私の隣人の大部分は無宗教だったり、仏教徒です。その方々を大切に思い、尊敬することは大切なことだと信じています。簡単に出来ることです。自分の親類、友人、知人など全ての人々を大切に思えば良いのです。全ての人々を尊敬すれば良いのです。
隣人が厭がることをしないことが原則です。もし神社や仏像の前でソッポを向いていたら、それを見た隣人は厭な気分になります。傷つくでしょう。
私はイエス様の教えを信仰の対象としています。しかしお釈迦様を尊敬しています。偉大な哲学者として尊敬しています。インドへ仏典を求めて17年も滞在した唐の玄奘三蔵法師を尊敬しています。同行二人の弘法大師も大好きです。
上の写真にある樹木のようにおおらかな気持ちになると「汝の隣人を愛せ」という意味が広がります。その言葉が人生をより豊かにします。
日本にはキリスト教のいろいろな宗派が運営している学校が沢山あります。
日本へキリスト教をはじめて伝えたザビエルの創ったイエズス会の大学は上智大学です。英国の聖公会の大学は立教大学です。プロテスタントの大学に青山学院、東京女子大などがあります。しかしそれらの学校の卒業生の極く少数しか洗礼を受けていません。
しかしそれも自然なことです。
洗礼を受けると社会的に少し窮屈になると感じる人が多いのも当然なことです。
こんな感じを持ったら、無理して洗礼を受けない方が良いのです。人それぞれ自由に人生を送れば良いのです。
しかし私の感じ方では、洗礼を受けたからといって仏教徒の親類と付き合ないのは間違いです。それは狭量過ぎます。洗礼を受けたからという理由で誰もいじわるや迫害をしていないものです。現在の日本では完璧な信仰の自由が行き渡っているのです。
これが洗礼を受けてから40年以上の私の経験から得た結論です。
それはさておき、キリスト教の宗派には排他的で、他の宗教へ対して非常に攻撃的な宗派もあるのも事実です。大きな社会問題を起こす狂信的な新興宗教の集団ほど犯罪的ではありませんりませんが世の顰蹙を買うようなキリスト教の宗派もあるようです。
それらの例外的な宗派と普通のキリスト教を一緒にしないで頂きたいと思います。
何事においても自分の心で感じ、自分自身で考えれば広い心で楽しく人生を過ごせます。
今日はクリスマスの前夜です。キリスト教徒も、仏教徒も神道の人も、そして無宗教の人々も心を豊かにしてクリスマスの夕食やケーキを楽しみましょう。
私はそのようになるようにと祈っています。
今日は特に、この世に対立より融和を、争いより愛が広まり、一層平和で楽しいクリスマスになるようにお祈りいたします。
後藤和弘(藤山杜人)