後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

武蔵国の古い首都、府中市の歳末風景の写真

2014年12月28日 | 写真
武蔵国は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つでした。そしてその首都は現在の府中市にあったのです。この府中は東山道の武蔵路で大和につながる関東地方の中心の町でした。そして鎌倉時代、室町時代まで繁栄したのです。
しかし徳川幕府になってから東京湾に面した江戸を幕府にしたので内陸の府中はさびれました。それでも江戸時代でも重要な町でした。しかし明治維新後、鉄道の中央線を敬遠したために繁栄から取り残された町です。
私はこの古い町が好きで何となく遊びに行きます。今日もその歳末風景の写真を撮りに行きました。お送りする5枚の写真は順々に、しめ縄・お飾り店、鎌倉時代以前に創建された高安寺の門、国府以前の歴史を有する大国魂神社、お正月用の雪駄を売っている古い履物屋、そして正月用の縄飾りをしたお神輿の休憩所、お旅所の写真です。
何となく古い日本の町の雰囲気が感じられないでしょうか。









カトリックとプロテスタントの違いは、マリア信仰の有無

2014年12月28日 | 日記・エッセイ・コラム
キリスト教はカトリックとプロテスタントとに別れます。1500年後のルターの宗教改革の後で生まれたキリスト教のいろいろな宗派をプロテスタントと言います。そしてその以前から連綿と続くのがカトリックです。
この2つの分類は大まか過ぎます。この2分類の他に私が好きな宗派のロシア正教や日本正教もあります。これらもカトリックに非常に近いものです。
イギリスの聖公会はカトリック的な典礼を用いますが信仰の内容はプロテスタント的です。ようするに中間的です。
それではカトリックとプロテスタントの違いは何でしょうか?
神学的には難しい説明がありますが、カトリックの一信者として簡単に言えば、カトリックではマリア様への信仰が重要ですが、プロテスタントにはそれがありません。
そこで下にマリア様とその息子のイエスと父親のヨゼフの3人の家族の写真を示します。

そして下に幼いイエスを抱いたマリア様の写真を示します。カトリックの教会の中には必ずあるお像です。



くどくど書かない方が良いのかも知れませんが、凡俗な一信者としてのマリア様への祈りについて少し説明いたします。
マリア様への祈りは「甘えた祈り」なのです。病気が直りますようにとか、家内安全を祈ります。イエス様には恥ずかしくて出来ないような利己的なお祈りをします。
しかしイエス様へは東日本大震災で被害にあった方々のために祈ります。イエス様の慈しみが豊かにありますようにと祈ります。世界の平和も祈ります。イエス様へは利己的な身勝手なお祈りはしません。それを引き受けてくれるのがマリア様です。
このようなことを書いてましたら、山梨県の韮崎市にある巨大な観音像を思い出しました。その観音様は下の写真に示すように女性なのです。

観音さまはお釈迦様の知恵や慈悲のシンボルなのです。男性でも女性でもありません。中性です。韮崎の観音像は間違っているという人もいますが、作った人の気持ちを考えるとほほえましいですね。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)