後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

浅間山へ夕陽射す冬の雑木林の写真を撮りに行ってきました

2014年12月19日 | 写真
山道で汗ばむ頬に冷たい風が心地良く吹いていました。雑木の落ち葉の香りがしています。
夕陽が斜めに射す木々の構図をあれこれ考えて撮ったつもりです。
お楽しみ頂けたら嬉しく思います。









老境になってわかるもの・・・蕎麦の味と宗教の奥行

2014年12月19日 | 日記・エッセイ・コラム
蕎麦の美味しさがわかる人は粋な人という考え方もあります。宗教の奥深さがわかる人は知恵のある人です。
私は老境に至って蕎麦の美味しさが分かってきました。
若い頃は蕎麦やうどんはお米のご飯の代用食という固定観念を持っていたのでなるべく敬遠していました。戦中、戦後の食料難の時代を経験しているので、白いご飯にあこがれていたのです。お米の代用食はそば、うどん、じゃがいも、さつまいも、コーリャン、などなどでした。
ところが東京に住みはじてみると蕎麦の味がわかる人を尊敬する文化があるのです。これには少なからず驚きました。江戸時代のなごりでしょうか。
通ぶってつゆを少しだけつけて蕎麦を粋に食べる人もいます。そして美味しい蕎麦の打ち方について薀蓄を披露するのです。
蕎麦の栽培地と天候による味の相違、石臼で挽くときの速度、粉の練り方、打ち方、切り方、ゆで方、などについていろいろ聞きました。ですから美味しい蕎麦のつくりかたの理屈はすっかり暗記しています。
しかしソバは所詮ソバに過ぎません。鰻の蒲焼、黒毛和牛のステーキにはかないません。はっきり言えばまずい食品です。それが証拠には美食趣味の京都、大阪の人々はあまり食べません。箱根の関から西の方ではソバはほとんど食べられません。
ところが70歳を過ぎた頃から蕎麦が美味しいと感じるようになってきたのです。現在は一週間に二度、三度は信州の生蕎麦をスーパーから買ってきて、ザルソバで食べています。
昨日は相模湖のそばにある「喜庵」という美味しい蕎麦屋に行きました。ご主人が駒沢大学時代に箱根駅伝へ4年間連続出場した往年の名選手だったのです。
箱根駅伝のファンの家内がご主人と話し、私もおかげで仲良くなりました。
ソバは天麩羅などのたねものは一切とらずにザルかモリにします。
ソバ談義は止めて、下に昨日撮ってきた「喜庵」の写真を5枚示します。
老境にいたると好みの料理も変化しますが、ものの見方や考え方も変わります。
特に宗教の奥深さが少しずつわかってきます。宗教を信じればご利益があり、幸せになれるという段階の奥に、自己中心の世界ではなく神中心の宇宙が広がっていることが分かるようになってきます。
人間の小さい存在が感じられます。そして自分の人生は一朝邯鄲の夢に過ぎないと実感できるのです。そうすると神の偉大さがわかり、その神が人間界へつかわしたイエス・キリストの聖なる働きが分かります。その上、お釈迦様の教えた偉大な哲学も少しずつ分かって来るのです。
このように老境は私にとって非常に重要な人生の時期です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。
後藤和弘(藤山杜人)