その違いをご理解頂けるように以下の記事をお送りいたします。
2012年6月17日、18日、19日、20日と、函館郊外の湯の川温泉に3連泊し、車で丁寧に回りながら撮った写真もご紹介いたします。まず函館のカトリック元町教会をご紹介いたします。1859年(安政6年)にフランス人の司祭、カション神父によって建てられた古い教会です。このカトリック元町教会は、以後、3度の火事で焼け落ちます。現在、数多くの観光客が訪れる建物は1924年(大正13年)に出来たものです。この教会の内部の中央祭壇と、会堂の内壁に飾ってある14個の木造彫刻はイタリーのチロル地方の作品です。ときのローマ法王ベネディクト15世が寄贈してたものです。力強い作品です。美しい作品です。この教会全体が調和を持った一個の美術的な作品になっています。明治維新の起きる前の江戸時代です。キリシタン禁教は厳しく、明治政府になってから7年間もキリシタン禁教が続けられたのです。ですから教会が出来ても隠れキリシタンは訪れることは出来ませんでした。そんな古い時代に函館のカトリック教会が造られたのです。下に外観と内部の写真を示します。
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函館観光に行ったら是非、このカトリック元町教会の内部の中央祭壇と内壁に飾ってある14個の木造彫刻をご覧下さい。イタリーのチロル地方の作品です。ついでにロシア正教のハリスト函館教会の写真を示します。
1858年、日露修好通商条約が出来るとロシア領事、ゴシュケヴィチがすぐに函館に着任します。彼は領事館の付属聖堂としてロシア正教の教会堂を作ります。そして1861年には領事館付き司祭としてニコライ神父をよびます。このニコライは後に東京の神田にニコライ堂を建て、ロシア正教を基礎にして日本正教会を作ったのです。彼は日露戦争が起きても、日本に踏みとどまって日本人信者の為につくしたのです。亡くなった時には明治天皇から花輪が贈られ、上野の谷中の墓地の土になったのです。
函館に行ったら是非外人墓地もご覧下さい。函館の東南の小高い岬にあります。故郷を遠く離れ異郷に眠る人々の冥福を祈ると何故かロマンチックな気分になります。皆 海に向かって建てられています。下のその写真を示します。家内も何か考えながら佇んでいます。
上は修道院の入口からはるか丘の上にある修道院を眺めた写真です。
正面入り口までは坂を登って一般の人も行けます。小さなレンガ造りの建物が開放されていて内壁に修道院の歴史や厳しい牧畜の様子の写真が展示してあります。
修道院の高い塀に沿って裏の方へ回ると古い木造の牛舎が数個あります。大きな扉を開くと乳牛が外に広がる牧草地へそのまま出て行けるような配置になっています。上の写真がその古い牛舎の様子を示しています。
函館は江戸時代の末頃、幕府によって開港された港の一つです。街には古いロシア領事館やイギリス領事館が残っていて昔のヨーロッパの雰囲気がそこはかとなく残っています。その感じは神戸や横浜の一角と同じようです。その江戸時代も終わり明治政府になってから榎本武揚や土方歳三がやって来て政府軍と激しい戦いをしたのです。そんな北海道独立の夢の跡をたずねるのも良いものです。全ては歴史の彼方に消えて行きます。