祖父母や両親のお墓が遠くにあり、私はなかなか墓参りが出来ないのです。そような方々にご参考になるかも知れないと思い書いてみます。
私の祖父は兵庫県の山郷にある曹洞宗の正林寺の住職でした。父も大学が定年になってから島根県の山郷の曹洞宗の宗安寺の住職になりました。父の死後は弟が宗安寺の住職をしています。仙台に住んでいて、時々仏事を執り行うために通っています。
祖父の墓は正林寺にあり、父の墓は仙台の墓地と宗安寺の両方にあります。どちらも遠方でなかなか墓参りは出来ません。そこで昨日、府中市にある同じ曹洞宗の高安寺の本堂と歴代住職のお墓に家内と参り祖父母、両親の冥福を祈りました。
この行為は厳密に言えば先祖の墓参りになりません。しかし三門の脇にある曹洞宗の開祖の道元禅師さんのお像が「まあ墓参りと同じと認めて上げよう」と言っているようです。
先祖の墓が遠方にあってなかなか墓参りも出来ない人も多いと思います。
先日、テレビで見たのですが、遠方の先祖の墓にライブカメラを設置して、その墓の映像を拝み、墓参りをしている人の映像がありました。そのお寺にメールで花をお願いすると住職さんが花束をその先祖の墓に供えてくれるのです。その様子もライブカメラで見ることが出来るのです。これは一つの方法です。
それから先祖の墓を近所に移転する方法もあります。
それも出来なかったら先祖の墓のあるお寺の宗派と同じ宗派の近所のお寺さんを訪問してご本尊さまに先祖の冥福を祈るのも良いと思います。
さて墓参りははたしてどんな意味があるのでしょうか?
無意味だから一切しないと言う人もいます。そうですね、私も時々無意味だと思うこともあります。しかし私はそれが好きだからするのです。もっとはっきり言えば楽しいからするのです。
先日も家内と一緒に非常にお世話になった塚本金明神父さまとヨゼフ・ムニ神父様の墓参りをして来ました。昨日は祖父母と両親の墓参りの代用品をしてきました。
そして暮れには家内の祖父母、両親の墓参りをし、お正月の花を供えてくる予定です。
何故、墓参りが楽しのでしょうか?
私には二つの理由があります。一つは墓参りをすると故人との楽しかった場面、場面がよみがえってきて幸せな気分になるからです。そうして二つ目はその故人たちへの感謝の気持ちが自然に湧いてくるからです。感謝すると気分が良くなり楽しくなるのです。
この様に考えると墓参りは宗教とは無関係の行為かもしれません。しかし死んでしまった故人たちがあの世で幸せに生きていてくれると思いたくなります。そうあることを祈ります。冥福とは冥界の幸せのことです。冥界は宗教の違いや宗派の違いに関係なくあるのです。私はそのように信じています。
年の暮れが近づくと故人たちのことをいろいろと思い出します。それで私は墓参りに行くのです。下に昨日お参りした高安寺の参道や、三門や、本堂や、本堂の内部、や歴代住職のお墓の写真を順々にお送り致します。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

====参考資料========================
(1)高安寺の歴史:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%AE%89%E5%AF%BA
平安時代に藤原秀郷が武蔵国府近郊に置いた居館を市川山見性寺に改めたのが始まりとされる。平家滅亡後に鎌倉入りを許されなかった源義経もこの寺に立ち寄って武蔵坊弁慶が大般若経を書き写したと言われている。ここは武蔵国府の近くにあり国衙荒廃後にはここが重要拠点と見なされるようになり、南北朝時代には、新田義貞が分倍河原の合戦で本陣を構えている。これら一連の戦乱によって寺が炎上するなどして見性寺は荒廃してしまった。
そこで暦応年間(北朝、1340年前後)に入ると、足利尊氏が建長寺の大徹禅師を開山として招き臨済宗の禅寺に改めて再興した。この際、尊氏が進めていた安国寺の一つとしてこの寺を位置づけ、名称も尊氏の旧名(高氏)から龍門山高安護国禅寺と命名された。これによって高安寺は室町幕府の保護を手厚く受けて、一時は塔頭10・末寺75と称されるほどの大寺院となった。以下書略。
(2)分倍河原の合戦と鎌倉幕府の終焉:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E5%80%8D%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(%E9%8E%8C%E5%80%89%E6%99%82%E4%BB%A3)
分倍河原の戦い(ぶばいがわらのたたかい)は、鎌倉時代後期の元弘3年(1333年)5月15日・5月16日に、武蔵国多摩川河畔の分倍河原(現在の東京都府中市)において、北条泰家率いる鎌倉幕府勢と新田義貞率いる反幕府勢との間で行われた合戦である。以下省略。