後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

村の静かな社の初詣風景・・・お正月の風物詩

2015年01月02日 | 写真
私の住んでいる所はは昔、小金井村という農村でした。その村の小さな鎮守の社(やしろ)が、現在でも、あちこちに散在しています。いずれも大きな森に囲まれた静かな場所です。樹木を見るのが好きなので、私はよく行きます。産土(うぶすな)の森といった感じの所です。
今日は、そんな杜の中の神社の初詣風景の写真を撮りに行ってきました。
貫井神社と人見稲荷と稲穂神社との三ケ所です。
近くの府中に、大国魂神社があります。有名な神社なので初詣の人々が溢れる場所です。お祭りのように賑やかなことなります。今日も様子を見ようと府中に行きましたが遠方から車が渋滞していて近づけませんでした。静かな小さい神社の方が落ちつけて良いものだよつくづく思いました。
初詣で混んでいる神社も、混まないで静かな神社もお正月の風物詩なのでしょう。
皆様の近所には美しい杜に囲まれた静かな神社はありますでしょぅか。
貫井神社と人見稲荷と稲穂神社の写真を2枚ずつ順にお送りいたします。











今年は紀元2675年、乙未(きのとひつじ)の年、そして平成27年です。

2015年01月02日 | 日記・エッセイ・コラム
明治維新以後、日本ではキリストが生まれた年をを基準にし、その後の年数を表す西暦と呼ばれる年号を使っています。それは太陽暦ですが明治維新以前は旧暦といって月の運行を基準にした暦を使っていました。私の祖母は旧暦の方が便利だと言って、それを使っていました。今月は如月だからかならず梅が咲くとか云っていました。昔は旧暦のカレンダーも売っていたのです。
それはさて置き、幼少の頃、紀元2600年を祝う歌が流行っていたのを記憶しています。この年号の基準は神武天皇の即位した年を基準とする年数の数え方です。紀元2600年は1940年でしたから今年は紀元2675年になります。この紀元のことは皇紀とも言ったものです。
何故、紀元の年号を覚えているかと言いますと、近所の小金井公園に宮城前の広場で紀元2600年の祝賀式典に使われた光華殿が移設されているからです。下にその写真を示します。

この紀元2600年は昭和15年で真珠湾攻撃の一年前です。
その祝典の儀式は1940年11月10日、宮城前広場において内閣主催の「紀元二千六百年式典」として盛大に開催されたのです。11月14日まで関連行事が繰り広げられて国民の祝賀ムードは最高潮に達しました。また、式典に合わせて「皇紀2600年奉祝曲」が作曲された。この奉祝曲が繰り返し、繰り返しラジオで放送されたのです。こうして当時幼かった私の記憶に残ったのです。
紀元は忌まわしい戦争と敗戦の記憶に結びついているので戦後は使う人はいません。当たり前です。しかしこの年号の存在は私に「世界中にはいろいろな年号があるのだ」という鮮明な教訓を与えてくれたのです。日本国内だけを見る狭い視野を一挙に世界的視野に変えてくれたのです。
イスラム教国には当然イスラム歴があります。ヒンズー教のインドにはヒンズー歴があります。その他実に数多くの年号の数え方があるのです。それは、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6に出ています。
それで気になったことが、明治、大正、昭和、平成という呼び方です。これは天皇が変わると日本の年号を変えているのです。ですから天皇や王朝の無い現在の中国や韓国にはないのでしょうか。そんな疑問を持ち、天皇と年号の呼び方の関係を歴史的に調べてみました。そうしたら江戸時代以前は年号と天皇の交代とは関係がないのです。
すると明治維新以後、富国強兵のために天皇制を強化したようすが理解出来るのです。
ですから世界にあるいろいろな年号の呼び方は政治的意図も含まれているに違いありません。この様に暦や年号を考えると世界各地の文化を相対的に理解することが出来るのです。
そして日本には更に乙未(きのとひつじ)の年というような十干十二支と呼ぶ中国の数え方もあるのです。その上、時間や方角の表示もこの十干十二支を使うのです。それが陰陽道と結びついて宗教性があるのです。しかしあまり長くなるので参考資料に譲ることにします。
下に十二支を彫った石の彫刻と方角の表示を示す図を示します。

十二支とはご承知のように、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類からなっています。

上の方位図では上が北、下が南です。従って右が東で、左が西です。鬼門は丑寅(うしとら)と言ったり、深川の辰巳(たつみ)芸者と言ったりするのはその方向を意味しているのです。
古代中国で考えられ、日本に伝えられた十二支は古く殷の甲骨文では十干と組み合わされて日付を記録するのに利用されていました。戦国以降、日だけでなく、年・月・時刻や上の写真のように方位の記述にも利用されるようになったそうです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

====参考資料============
(1)十二支の説明:
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E6%94%AF
(2)世界各地の暦のきめ方:
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6
(3)江戸時代の年号と天皇の関係:
   http://pddlib.v.wol.ne.jp/table/table5.htm
(4)紀元2600年のいろいろな祝賀事業:
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%85%83%E4%BA%8C%E5%8D%83%E5%85%AD%E7%99%BE%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E8%A1%8C%E4%BA%8B