イスラム過激派のフランスでの新聞社襲撃事件以後、フランスではイスラム過激派の排斥とイスラム教徒移民に対する憎悪が強まる一方です。国民がますます感情的になっているのです。しかし隣国のドイツではイスラム移民の受け入れと融和を進めるデモが行われているのです。勿論、ドイツでもイスラム教徒排斥運動のデモも行われているのです。フランスは感情的になっていますがドイツは冷静です。
この違いを報ずるNHKのネット版のニュースを以下に示します。
仏テロ事件受け独でデモ 国民二分懸念1月13日 10時35分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150113/k10014624621000.html
フランスで起きた一連のテロ事件を受けて、隣国のドイツでは、東部のドレスデンで行われたイスラム過激派に反対しイスラム排斥のデモに数万人が集まったのに対し、イスラム社会との融和を求めるデモも各地で行われ、国民が二分することへの懸念が高まっています。
ドイツ東部の町ドレスデンでは、イスラム過激派の台頭などを受けて、去年10月から毎週月曜日にイスラム過激派の排斥やイスラム系難民の受け入れの厳格化などを訴えるデモが行われています。
12日、フランスで17人が死亡した一連のテロ事件後初めてのデモが行われ、地元の警察によりますとこれまでで最も多いおよそ2万5000人が参加しました。
デモに参加した男性は「訓練を受けたり紛争地から戻ったりしたイスラム過激派が、ずっと静かにしているとは思えない」と述べ、過激な思想を持つ人たちがテロを起こすことへの警戒感を表していました。
一方、この日は、イスラム社会との融和や難民の受け入れの拡大を求めるデモもベルリンやミュンヘンなどで行われ、数万人の市民が参加しました。
メルケル首相は会見で「イスラム教もドイツの一部だ」と述べて、宗教によって差別することがないよう国民に訴えかけました。
ドイツには人口の5%に当たる400万人のイスラム教徒がいるとみられており、フランスでのテロ事件をきっかけに国民が二分することへの懸念が高まっています。以下の写真はドイツのドレスデンで行われたイスラム教徒排斥デモの光景です。
イスラム教徒移民を受け入れたり排斥したりする原因はドイツとフランスの植民地主義の歴史や国内の政治、経済の要因などが複雑からみあって簡単な問題ではありません。
しかし今回の新聞社襲撃事件に対する反応が違う一つの原因はフランスの移民は植民地として搾取したアルジェリアなどの北アフリカからの移民です。
一方、ドイツの移民は第二次大戦で同盟国であったトルコからの移民が主でした。
私は1970年頃ドイツに住んでいましたが、ドイツ人は昔の同盟国のトルコやル-マニアや日本を大切にするのです。理由もなく何度も親切にされました。ある時はドイツ政府招待でトルコ人、ルーマニア人やブルガリア人と一緒にドイツ国内の観光旅行をしたこともあります。
そしてこれは決定的なことですがドイツがモスクワ近郊まで攻め込んでロシアを占領した事実です。それはオスマン・トルコの仇討をしてくれたことになります。ですからこそトルコ人はドイツ人を尊敬しています。その自然の流れで、ドイツ人の多くはトルコ人が好きです。トルコ人も少し付き合ってみると礼儀正しい民族です。彼等も東郷元帥を尊敬し、日本人が好きです。
欧州にイスラム教徒が急増したのは第二次世界大戦後のことです。欧州諸国は第二次世界大戦の戦災復興の労働力を求めて、旧植民地であったアフリカ・アラブ諸国から多くの移民を積極的に受け入れたのです。その数は1500万人に上ると言われています。
宗主国と旧植民地の間には経済格差があり、アフリカ・アラブ諸国の人々は皆英語やフランス語などを話せたため、自然と働き先として欧州に渡ることになったのです。
主なイスラム教徒移民の出身地と行先を示せば、イギリスへはインド、パキスタン、バングラデシュなどから移民が移住し、フランスへはアルジェリア、チュニジア、モロッコ、セネガル、などから移住しました。そして植民地をもたなかったドイツは当初東ドイツやポーランドから労働力を受け入れていたが冷戦勃発後はまずユーゴスラヴィアから、続いてトルコからの移民が急増したのです。
その結果ヨーロッパ各国のイスラム教徒の人口は
・フランス500万人
・ドイツ300万人から400万人
・イギリス160万人
・スペイン100万人
・オランダ95万人
・イタリア80万人
などとなっているのです。
それぞれの国でそれぞれの共存の仕方がありました。しかし2000年代に入って欧州でイスラム教嫌悪の運動が台頭し、対立と差別が表面化してきているのが現状です。
この詳細は市販の本にも書かれているし、その内容の一部は、ネット上にも紹介されています。
この様に、ヨーロッパのイスラム移民との融和と抗争はますます混迷の度を深めているのです。そしてそれはイスラエルとパレスチニア自治区との抗争とイスラム国との欧米との戦争と深く関連しているのです。一朝一夕には解決のつかない21世紀の世界が抱える大きな難問なのです。日本の外交も賢明であるようにと祈ります。(続く)
この違いを報ずるNHKのネット版のニュースを以下に示します。
仏テロ事件受け独でデモ 国民二分懸念1月13日 10時35分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150113/k10014624621000.html
フランスで起きた一連のテロ事件を受けて、隣国のドイツでは、東部のドレスデンで行われたイスラム過激派に反対しイスラム排斥のデモに数万人が集まったのに対し、イスラム社会との融和を求めるデモも各地で行われ、国民が二分することへの懸念が高まっています。
ドイツ東部の町ドレスデンでは、イスラム過激派の台頭などを受けて、去年10月から毎週月曜日にイスラム過激派の排斥やイスラム系難民の受け入れの厳格化などを訴えるデモが行われています。
12日、フランスで17人が死亡した一連のテロ事件後初めてのデモが行われ、地元の警察によりますとこれまでで最も多いおよそ2万5000人が参加しました。
デモに参加した男性は「訓練を受けたり紛争地から戻ったりしたイスラム過激派が、ずっと静かにしているとは思えない」と述べ、過激な思想を持つ人たちがテロを起こすことへの警戒感を表していました。
一方、この日は、イスラム社会との融和や難民の受け入れの拡大を求めるデモもベルリンやミュンヘンなどで行われ、数万人の市民が参加しました。
メルケル首相は会見で「イスラム教もドイツの一部だ」と述べて、宗教によって差別することがないよう国民に訴えかけました。
ドイツには人口の5%に当たる400万人のイスラム教徒がいるとみられており、フランスでのテロ事件をきっかけに国民が二分することへの懸念が高まっています。以下の写真はドイツのドレスデンで行われたイスラム教徒排斥デモの光景です。
イスラム教徒移民を受け入れたり排斥したりする原因はドイツとフランスの植民地主義の歴史や国内の政治、経済の要因などが複雑からみあって簡単な問題ではありません。
しかし今回の新聞社襲撃事件に対する反応が違う一つの原因はフランスの移民は植民地として搾取したアルジェリアなどの北アフリカからの移民です。
一方、ドイツの移民は第二次大戦で同盟国であったトルコからの移民が主でした。
私は1970年頃ドイツに住んでいましたが、ドイツ人は昔の同盟国のトルコやル-マニアや日本を大切にするのです。理由もなく何度も親切にされました。ある時はドイツ政府招待でトルコ人、ルーマニア人やブルガリア人と一緒にドイツ国内の観光旅行をしたこともあります。
そしてこれは決定的なことですがドイツがモスクワ近郊まで攻め込んでロシアを占領した事実です。それはオスマン・トルコの仇討をしてくれたことになります。ですからこそトルコ人はドイツ人を尊敬しています。その自然の流れで、ドイツ人の多くはトルコ人が好きです。トルコ人も少し付き合ってみると礼儀正しい民族です。彼等も東郷元帥を尊敬し、日本人が好きです。
欧州にイスラム教徒が急増したのは第二次世界大戦後のことです。欧州諸国は第二次世界大戦の戦災復興の労働力を求めて、旧植民地であったアフリカ・アラブ諸国から多くの移民を積極的に受け入れたのです。その数は1500万人に上ると言われています。
宗主国と旧植民地の間には経済格差があり、アフリカ・アラブ諸国の人々は皆英語やフランス語などを話せたため、自然と働き先として欧州に渡ることになったのです。
主なイスラム教徒移民の出身地と行先を示せば、イギリスへはインド、パキスタン、バングラデシュなどから移民が移住し、フランスへはアルジェリア、チュニジア、モロッコ、セネガル、などから移住しました。そして植民地をもたなかったドイツは当初東ドイツやポーランドから労働力を受け入れていたが冷戦勃発後はまずユーゴスラヴィアから、続いてトルコからの移民が急増したのです。
その結果ヨーロッパ各国のイスラム教徒の人口は
・フランス500万人
・ドイツ300万人から400万人
・イギリス160万人
・スペイン100万人
・オランダ95万人
・イタリア80万人
などとなっているのです。
それぞれの国でそれぞれの共存の仕方がありました。しかし2000年代に入って欧州でイスラム教嫌悪の運動が台頭し、対立と差別が表面化してきているのが現状です。
この詳細は市販の本にも書かれているし、その内容の一部は、ネット上にも紹介されています。
この様に、ヨーロッパのイスラム移民との融和と抗争はますます混迷の度を深めているのです。そしてそれはイスラエルとパレスチニア自治区との抗争とイスラム国との欧米との戦争と深く関連しているのです。一朝一夕には解決のつかない21世紀の世界が抱える大きな難問なのです。日本の外交も賢明であるようにと祈ります。(続く)