紅葉を見て楽しむことを紅葉狩り(もみじがり)と言うそうです。紅葉を愛でる文化は万葉集や源氏物語に出て来ますのでその頃の貴族の文化だったのでしょう。
ですから紅葉狩りと言うと何となく優雅な感じがします。
そして有名な漢詩に「林間に紅葉を焚きて酒を煖める」という表現もあり唐の時代でも紅葉を詩的なものと考えられていたようです。
私は雑木林が好きで何度となく出掛けて行って、見て楽しんでいます。その緑濃い木々が晩秋になると紅色や黄色になり美しい風景になります。そしてそれに誘われてまた何度も見に行きます。そして写真を撮ります。撮っていると紅葉の梢が揺れ、何とも言えない風情があります。写真を撮り、こうして掲載していると数々の紅葉の風景がよみがえって来て、また楽しいのです。
今日は今年撮った紅葉の風景写真とそれにまつわる漢詩を2つお送りいたします。
それでは長野県茅野市の長園寺の楓の紅葉の写真から示します。
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上の写真は長園寺の紅葉です。
この長園寺(http://chouenji.info/annnaizu.html)は京都にある紅葉の綺麗なお寺のように有名でありません。地元の人しか知らない隠れた名所なのです。貴重な宝を偶然発見したような嬉しい気分になり深く楽しみました。
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上の写真も長園寺の紅葉です。このお寺からは蓼科山や白樺湖の向こうの車山が見渡せる美しい場所にあります。是非、来年紅葉の時期にお出掛け下さい。
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この写真は黄葉の時期になると毎年かならず訪れる小金井公園のユリノキの大木です。新緑の時も緑濃い夏にも、もう何十年も訪れています。
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上の写真はこの大木のユリノキの黄葉した葉がまつわりついている幹です。この傍にはやはり黄葉したプラタナスの大木が数本あります。ユリノキとプラタナスの林になっているのです。
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上の写真は昨日、小金井公園で皇帝ダリアの写真を撮りに行ったとき見たイチョウの木の黄葉です。写真の下の方に皇帝ダリアが小さく写っています。
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上の写真は甲斐駒岳の麓の山林の中の小屋の窓から見た黄葉です。濃い緑だった木々が秋になるとこんなに明るい色なるのですね。に
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上の写真も小屋の窓から見た黄葉の様子です。2週間もするとすっかり落葉してしまい裸の梢だけの冬景色になります。散り敷いた枯葉を熊手で集め焚火をします。白い煙が林間を横に流れていきます。そうして「林間に紅葉を焚きて酒を煖める」という漢詩を想い出しています。別に酒を暖めるわけではありませんんが香しい煙に酔ったような気分になります。
さて紅葉にまつわる漢詩を2つ下にお送りします。
漢詩の下にある日本語訳や意訳を読んでから漢文の詩を読むと何となく詩の世界にまぎれ込んだようで楽しいものです。
寄題送王十八帰山仙遊寺 白居
http://www2.odn.ne.jp/kotowaza/sub16-1-1-rinkan.htm
曽於太白峰前住
数到仙遊寺裏来
黒水澄時潭底出
白雲破処洞門開
林間煖酒焼紅葉
石上題詩掃緑苔
惆悵旧遊復無到
菊花時節羨君廻
日本語訳:以前、太白峰の前に住んでいて、
よく仙遊寺へ出かけたものだった。
黒水が澄む季節には、潭の底まで見え、
白雲の切れ目に仙遊寺の、洞に設けた山門があった。
仙遊寺では、林間で散り落ちた紅葉を焚いて酒を煖めたり、
石上に緑の苔をはらって詩を誌したりしたものだ。
残念ながら、あの曾遊の地にもう二度とは行けぬだろう。
菊の花の咲く時節に、君が帰っていくのが羨ましい。
(白(はく)居易(きょい):中唐の詩人、字(あざな)は楽天(らくてん)、王(おお)十八:排行(兄弟・従兄弟の順の十八番目)、寄題(きだい):その場所から離れている地で詠ずること、仙遊寺(せんゆうじ):長安郊外にあった寺、曾遊(そゆう)の地(ち):曾(か)って遊んだ土地)
山 行 <杜 牧>:http://www.kangin.or.jp/what_kanshi/kanshi_A16_1.html
遠上寒山石径斜
白雲生処有人家
停車坐愛楓林晩
霜葉紅於二月花
日本語訳:
遠く寒山に上れば石径斜めなり
白雲生ずる処人家有り
車を停(とど)めて坐(そぞろ)に愛す楓林の晩
霜葉は二月の花より紅なり
現代語意訳:
遠く晩秋のものさびしい山を登ってゆくと、石の多い小道が斜めにずっと 続いている。はるか白雲の湧きたつあたりに人家が見える。
車を停めて、なんとなく、夕日に照り映えた美しい楓の林にうっとりと見とれてしまう。 霜にうたれて紅葉した楓の葉は、あの二月に咲く桃の花よりも、なお一層鮮やかな真紅の輝きを みせていることだ。
解説:
「霜葉は二月の花より紅なり」この部分が大変有名です。
晩秋の身がひきしまるような寒さも伝わってきます。
(【寒山】 晩秋の山。 【石径】 石の多い小道。【白雲】 俗世間を離れた、仙人的な世界の象徴。)
杜 牧 803-852 :
晩唐の詩人、字(あざな)は牧之、号は樊川、 陝西省、長安県の人。名家の出身にして828年進士(しんし)に及第後、地方、中央の官を 歴任し中書舎人となって没す。没年50歳。資性剛直、容姿美しく歌舞を好み、 青楼に浮名を流したこともあった。樊川文集第二十巻、樊川詩集七巻あり、阿房宮賦(あぼうきゅうふ) は早年の作にして文名を高めた。
如何でしょうか?紅葉を楽しむ文化はそれぞれの国で自然に生まれた文化でしょうが漢詩の影響も深かったようです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)