後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

教養として、何故キリスト教を愛の宗教と言うのでしょうか?

2015年11月06日 | 日記・エッセイ・コラム
キリスト教は愛の宗教と言います。何故そういうふうに呼ぶのでしょうか?
「汝の敵を愛せ!」とか「隣人を愛せ!」という言葉は広く知られています。
そして聖書には「神は人を愛している」とも書いてあります。
ここで用いられている「愛」という言葉の意味は他人へ親切にする心という意味です。
異性間の愛情や物に対する愛着という言葉の愛とは全然違う意味です。
末尾につけた参考資料の(1)仏教の「慈悲」キリスト教の「愛」をご覧下さい。
さてそれでは貴方は敵に親切に出来ますか?隣人に際限もなく親切に出来ますか?
少し出来るようですが確信を持って「はい」と言える人はいないと思います。
神が人間の一人一人を、そして貴方を大切にし、親切にすると信じられますか?神は貴方を愛していますか?
確信を持って「はい」と言える人はいないと思います。
しかしそのようにしなさいと言うのがキリスト教なので「愛の宗教」と呼ばれるのでしょう。
上に書いたことは理屈です。紙に書いた理屈です。所詮机上の理屈は無力です。
神の愛を何度も、何度も実感出来れば少しはキリスト教を信じるようになります。
神の愛を実感するためにはキリスト教の伝統に従った宗教的訓練をしなければ実感することは難しいと思います。宗教的訓練とは仏教で言えば座禅やいろいろな作務を含んだ修行のことです。
そして神の愛を容易に実感する場合の多くは、他人の際限の無い好意や感動的な親切を経験した時に神の愛を感じるのです。
他人があなただけの為に自己のことを忘れてあなたに仕え、親切にしたらそれは人間のわざでないと感じるのが普通です。それは神があなたにしていることなのです。
私はカトリックなのでいろいろな神父様や信者さんに無限に親切にして貰った経験があります。そのたびに神が私を愛してくれていると実感したのです。
ところが違う宗派の人にとても親切にしてもらったのです。感動的な体験でした。忘れられない体験でした。
それは丁度6年前に神田のニコライ堂の起きたことでした。下の写真が二コライ堂です。

その経験はあまりにも鮮烈だったので2つの記事にして2009年11月04日と2009年11月29日にhttp://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyamaの上に掲載したほどです。
簡単に言えば6年前のある日、ニコライ堂で金田豊一さんという聖職者に偶然お会いしたのです。ニコライ堂の事務所に寄り、教義書を買おうとしたらお会いしたのです。
そして一度ニコライ堂の礼拝式(聖体礼儀という)に出席してみませんかと誘われたのです。
次の日曜日、ニコライ堂へ再度行きました。当時、伝教師だった金田一豊は実に親切に礼拝式の内容を説明してくれました。
儀式は10時に始まり約3時間で、午後1時近くに終りました。
荘厳な合唱で進める儀式で、その合唱の芸術性には感動しましたが、堅苦しい儀式なので他宗派の私には疎外感と違和感があり、出席したことを多少後悔もしていました。
見上げると聖堂のあちこちにマリア様のイコンが沢山飾ってあります。
そこで気楽に母の居る実家に帰った心算で居ることに決めました。
金田さんは華やか法衣を着て、主教の行列や祭壇での祈祷に聖職者として参列しています。
しかし驚いたこと金田さんが、ニコニコしながら祭壇から降りてきて私のそばに立ち親切に説明してくれました。驚いたことに祈祷の合間に、3回も私のそばに来てくれたのです。
下の写真はその礼拝式の後で法衣を脱いで気楽になった金田さんです。

礼拝式の後、彼は私に美しい奥さんやそのお義母さんにも紹介してくださって私を本当の友人のように受け入れてくれたのです。
帰りの電車の中で私は神の愛を噛みしみていました。彼のしたことは人間のわざでないと直感したのです。
それ以来、不実な私はご無沙汰のしどうしでした。6年の月日が流れたのです。
その金田さんから昨日下のようなメールが来たのです。
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ご無沙汰しています。
お元気ですか。
数年前、ニコライ堂において伝教師(宣教師)をしていた金田です。
覚えていらっしゃいますか?
当時は、私の記事をブログのほうに載せていただいてことがあります。
思い出していただければ幸いです。
今回、久しぶりに連絡させていただきまたのは、私のことがクリスチャントゥデイという新聞に取り上げられたのでお知らせをさせて頂きたくてのことです。
現在は輔祭となり奉職しています。
下のリンクは按手の模様が記事になっています。
よかったら、見てみてください。
http://www.christiantoday.co.jp/articles/17454/20151029/deacon-yvan-kazutoyo-kaneda.htm
主の平和にありて。
そして上に示してある記事を見ますと金田さんがウクライナ正教会(キエフ総主教庁)の在日教会である「聖ユダミッション」で、初の日本人聖職者として輔祭に叙聖されたことが分かりました。下がその時の写真です。

このメールで私はまた神が私を愛して下さっていると実感しました。
私も神を愛しています。イエスさまを愛しています。
以上がキリストが愛の宗教だという一つの実例です。私の小さな、小さな体験です。その小さな体験でキリスト教の全てを説明しようという気持ちは毛頭ありません。
しかしこのつたない記事を書いている間中、私は楽しかったです。幸せです。感謝です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
=====参考資料=============
(1)仏教の「慈悲」キリスト教の「愛」
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/bukkyokirisuto09.htm
 最近、日本で行われたある意識調査によると、
「あなたが人生で一番大切にしているものは、何ですか」
 との問いに対し、一番多かったのは「愛」で、二位は「誠実」という結果が出ていました。
 以前は「誠実」のほうが若干多かったのに、最近では逆転して、「愛」が一位になったのだそうです。
「愛」の意味は変わった!
 では、「愛とは何ですか」と問うならば、日本人の多くはどのように答えるでしょうか。
「恋愛」「人を好きになること」「慕うこと」「かわいがること」なども答えもあるでしょうが、それだけでなく、 「人を思いやること」という答えも返ってくるでしょう。あるいは、 「人に親切にすること」という答えも返ってくるでしょう。「愛とは人を思いやることだ」とは、今日多くの日本人が持つに至った理解です。ところが、昔の日本には、「愛」という言葉にそのような意味はありませんでした。
 じつは仏教には、慈しみを意味する「慈悲」と、愛欲・愛着を意味する「愛」という言葉があります。仏教の「愛」は、異性、お金、名声などへの「執着心」の意味なのです。
 仏教の「愛」は、欲望の一種であり、煩悩の一つにすぎません。そのため、仏教では「愛」を否定しています。『法句経』にこう書かれています。
「愛より憂いが生じ、愛より恐れが生ず。愛を離れたる人に憂いなし、なんぞ恐れあらんや」
 この「愛」は、執着心の意味です。仏教では、「愛を離れること」が理想なのです。
 ですからかつての日本人は、この仏教の「愛」概念にしたがって、「愛」に否定的な意味しか見ていませんでした。それが明治時代の頃から、しだいに「愛」という言葉の意味が、少しずつ変わってきました。
 今日では、愛とは「人を思いやることだ」「人生において最も大切なものだ」などの捉え方を、多くの日本人がしています。「愛」に、積極的な新しい意味を見ているのです。
 これはじつは、キリスト教の影響によるものなのです。
 キリスト教においては、人に対して良いことをなすことを、「愛」と呼んでいます。今日の日本人が、「愛」に肯定的・積極的な意味を見るようになった背景には、このキリスト教の愛の思想が影響しているからです。
 かつて江戸時代において、「愛」は「愛着・執着・愛執」の意味しかありませんでしたから、キリシタンはキリスト教の「愛」(原語アガペー)を、「大切」「思い」「懇切」等と訳していました。
 明治になると、クリスチャンたちは「愛」の語を、「和訳聖書」の中でも、説教の中でも、堂々と使うようになりました。その結果、日本語の意味そのものに変化が起こったのです。
 しかし、「愛」の新しい意味がすぐ広まったわけではありません。はじめの頃は、大変だったようです。
 実際、こんなエピソードもありました。明治時代に宣教師が、聴衆に対して大声で、
「神は愛なり!」
 と叫ぶと、思わず噴き出してしまった人々がいたそうです。その人々はまだ、仏教的な「愛」の理解しか持っていなかったのでしょう。
 このように仏教の「愛」と、キリスト教の「愛」では、意味が大きく違っています。
 キリスト教の「愛」と比べられるものは、仏教においては、「慈悲」でしょう。そこで仏教の「慈悲」と、キリスト教の「愛」とを対比して考えてみましょう。
(仏教の「愛」は、新約聖書でいう「エロスの愛」、仏教の「慈悲」は新約聖書でいう「アガペーの愛」に相当すると考え、両者を比較してもよい)

(2)キエフ総主教庁の在日ウクライナ正教会で初の日本人聖職者誕生
2015年10月29日15時45分 :http://www.christiantoday.co.jp/articles/17454/20151029/deacon-yvan-kazutoyo-kaneda.htm

ウクライナ正教会(キエフ総主教庁)の在日教会である「聖ユダミッション」で、初の日本人聖職者が誕生した。
同教会初の日本人聖職者となったのは、輔祭に叙聖されたイヴァン金田一豊氏(45)。輔祭は、正教会で主教、司祭に次ぐ神品(聖職者)。同教会によると、ウクライナ正教会(キエフ総主教庁)においても初の日本人聖職者となるという。金田氏は、2012年から聖ユダミッションに加わり、それ以前は米空軍横田基地の正教会コミュニティーで3年間、米軍チャプレンであった正教会司祭の下で仕えてきた。

キエフ総主教庁の在日ウクライナ正教会で初の日本人聖職者誕生
キエフ総主教フィラレート(右)により輔祭に叙聖されるイヴァン金田一豊氏(下)=9月20日、聖アンドリュー・ウクライナ正教会(米イリノイ州)で日本ハリストス正教会の東京正教神学院で学び、聖ユダミッションでは輔祭に叙聖される前から、奉神礼で誦経したり、毎週の週報を日本語・英語・ウクライナ語の3カ国語で作ったり、日本語でカテキズムを教えるなど、中心的な役割を担ってきたという。リディア夫人との間に娘が1人おり、平日は小学校の教員として勤務している。
叙聖式は、9月20日に米イリノイ州ブルーミングデールにある聖アンドリュー教会で行われた。この日は、正教会の十二大祭の一つである生神女誕生祭の直前の主日で、金田氏はキエフ総主教フィラレートによって叙聖された。またこの日、聖ユダミッションのポール・コロルーク司祭も長司祭に昇叙された。
金田氏は、10月4日に聖ユダミッションで行われた奉神礼で初めて輔祭として奉仕した。
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男の本当の優しさを体験しました(訂正した再掲載記事です)

2015年11月06日 | 日記・エッセイ・コラム
以下の記事は中川善之さんのコメントに従って消えていた写真5枚を再度掲載しましてもう一度お送りするものです。 原文は2013年11月19日に掲載された記事でした。 =====中川善之さんのコメント====== 2015年11月6日 ブログを拝見させていただきました。 2013年11月19日付<男の本当の優しさを体験しました>にヤマハのフェスタに乗られたときの記事を読んで興奮しています。 私はこのヨットを購入したくていろいろな情報を集めているのですが、ブログの写真が消えており、見れないのです。 もし、データがまだ残っていましたら、再度UPしていただけませんか? よろしくお願いします。 =====写真5枚をあらためて加えた記事======= ブログを書いていたお蔭で、繁田慎吾さんというヨットマンに霞ヶ浦でのセーリングに招んで頂きました。ご自分のヨットは修理中なので中村文政さんの「さくら」に乗せてもらい、もう一人のクルーの渡辺さんと4人でセーリングを楽しんで来ました。 繁田さんも中村さんもこのブログをご覧なっていて、霞ヶ浦の魅力に惹かれて自艇を土浦港に係留することにしたそうです。 私自身は丁度2年前の75歳でヨットを若い人に譲渡し、それ以来一度もヨットに乗っていません。人生の最後にもう一度くらいはヨットに乗ってみたいと思っていたのです。 そうしたら幸運にも繁田さん、中村さん、渡辺さんのお蔭で昨日その夢がかないました。 ヨットに乗せてもらい、帰港後は中村さんの手料理で身も心も温まりました。 男の深い優しさをしみじみ体験した一日でした。長生きするとこんな幸運にも巡り合えるのです。 それに中村さんのヨットはヤマハ24フェスタという私の憧れのヨットでした。 以前、東京、晴海の国際ボートショーで何度もそのヨットに上っては艇内に座って、こんなヨットに乗ってみたいと憧れていたヨットだったのです。 そのヨットはパーティを楽しみ、セーリングも楽しむ設計になっている実にユニークなデザインになっているのです。 まずコックピットが広く、8人位はぐるりと座れます。真ん中に頑丈な白いテーブルが固定されています。ビールのグラスを差し込む丸い穴が沢山あいています。そしてテーブルの中央部分の蓋を開けると流しになっています。そこに氷といろいろなリキュールを入れておけば冷たいカクテルもその場で出来る設計になっているのです。 邪魔なブームは高い位置にあり頭をぶつける心配がありません。 パーティを楽しみながらセーリングをしますのでジブは自動タックになっています。舵も自動操縦装置をつけると手放しでヨットが一人で帆走する設計になっています。ジブもメインも小さめに作ってあり気楽に操船できそうです。 ところがこのヨットは弱風でも強風でも敏捷に走るのです。昨日は晴天で、午前が弱風で午後は強風という珍しい天候でした。その様子を写真にしたがい説明します。 午前中は弱風でした。そこで中村さんと渡辺さんがスピンを上げてくれました。 昔、湘南にドンガメ号というヨットがいて、クルーの大学生が苦心してスピンの部分品を集め、初めてスピンを上げたときの感激を思い出しました。彼はドームのように膨れたスピンを見てそれを「海の聖堂」と言ったそうです。昨日のスピンは霞ヶ浦の聖堂だっだのです。 午前中は湖岸の景色などを楽しんでいましたが、午後になると急に強風が吹き出しました。ヨットがかなりキールしはじめ、すごいスピードで走ります。 上の写真くらいの傾きなら丁度よく疾走しますが、そのうち下の写真のように急角度で傾きます。 実際はもっと傾いていたのですが、片手で舷側にしがみつきながら、もう一方の手で写真を撮るのでうまくとれません。風下側の甲板が水で洗われています。 しかし心配は要りません。舵を握る中村さんは伊豆七島や大洋をセーリングしてきたベテランです。 風をセールの上に流させながら、風との駆け引きを楽しんでいます。上の写真の左にある黒い影が中村さんです。 ヤマハ24フェスタはパーティ仕様のヨットですが、強風では爆走する頑丈な設計になっていることに感銘をうけます。 強風域を通過すると波もおさまり水面が午後の陽に輝いていました。 そして最後に心優しい男たちの写真を示します。 左から順に渡辺さん、中村さん、繁田さんです。 このヨットのキャビンも楽しい雰囲気の内装になっています。水洗トイレもシャーワールームも寝室もついています。泊まれる設計になっているのです。 年齢を重ね、体が固くなった私が乗船、下船のとき落水しないように皆で手伝ってくれました。 繁田さん、中村さん、渡辺さん、本当に有難う御座いました。 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)