後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

昔懐かしい餡パンとシウマイを買いに銀座まで行く

2015年11月24日 | 日記・エッセイ・コラム
人間はそばにいる人の影響を受けやすいものです。私も例外でなく家内の影響を随分と受けています。良い影響もあればつまらない影響もあります。
今日はつまらない影響を書いてみたいと思います。
一つは餡パンでは木村家の酒種のが最高に美味しいという考えを持つようになったことです。
そうしてもう一つは横浜の崎陽軒の昔風のシウマイが美味だと信じるようになったことです。真空パックをしたシュウマイではなく昔風の箱に無造作に入っているものです。
家内の父はどちらも好きでした。
木村家のあんぱんは明治の初めに作られ、明治8年には山岡鉄舟の橋渡しもあり、明治天皇に桜あんぱんが献上されたのです。酒種発酵種を使用したパンと餡のバランスが絶妙で美味この上ないのです。
そして崎陽軒は戦後すぐの1948年に創業され、横浜駅のシウマイ弁当が評判になりました。それ以来シウマイだけでなくいろいろな食べ物を販売しています。
先日の日曜日の昼食後、何故か急に海を見たくなり晴海ふ頭へ車を走らせました。家内は源氏物語の下調べがあるので行かないと言います。
道中考えました。海を見て自分だけ遊んで帰るのでは気が引けるので、途中木村家の本店に寄って桜アンパンを家内のおみやげとして買うことにしました。
銀座四丁目に来たら銀座通りは日曜の歩行者天国です。何時も店の前に車を止めてアンパンを3分以内で買うのです。ところが歩行者天国で木村家の前に車が入りません。
仕方なくて三越の裏の路地の駐車場に車を入れ、やっと桜餡パンを6ケ買えました。
三越の中を通って、ついでに横浜の崎陽軒の真空パックでない昔風のシウマイを2箱買いました。
車に戻るともうあたりは暗くなり始めています。晴海ふ頭に行っても暗い海では心が晴れません。そのまま帰りました。銀座までわざわざ餡パンとシウマイを買いに行ったことになります。
老人は暇だということを納得しながら、四谷、新宿、幡ヶ谷などを通って帰って来ました。
帰宅すると家内は大好きなお土産に喜んでいます。しかし銀座の三越に行くのならついて行くはずだったと残念そうです。それを後の祭りと言います。
つまらない話はこれだけです。銀座や新宿の風景写真をお送りします。

上の写真は木村家本店の写真です。

上の写真は歩行者天国になっている銀座の大通りです。

上の写真は晴海通りから見た服部の時計台です。戦前からある時計台なので多くの若者がこの時計台を見上げて出征したのです。帰らぬ人が沢山、沢山いたのです。

上の写真は新宿駅南口の交差点を横断する人の群れです。

上の写真は新宿駅南口前の通りをデモ行進している人々の風景です。横断幕を持っている左端の若者が写真を撮っている私に気が付き、幕を上に引っ張り写真を撮りやすくし、微笑んでくれました。最近の若者は親切です。でも沖縄の真ん中にある広大な普天間基地は辺鄙な端の方に移転したほうが良いのではないでしょうか。デモ行進ご苦労さまです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
====参考です==============
木村屋のアンパン:http://www.kimuraya-net.jp/shop/e/eanpan?utm_source=google&utm_medium=cpc&utm_campaign=0017
1869年創業当時、日本においてパンは普及していませんでした。どうすればパンが食べられる様になるのか。 木村安兵衛、英三郎は考え抜いた結果、酒種発酵種に出会い酒種生地が出来上がりました。 日本人の嗜好に合わせて酒種発酵種を開発し、始めてあんぱんを作り上げたのは明治7年、洋のパンに和のあんが融合した和洋折衷の画期的なあんぱんでした。 明治8年には山岡鉄舟の橋渡しもあり、明治天皇に桜あんぱんを献上しました。 その後も日本人の嗜好に合う製品作りという考えは受け継がれて、ジャムパンや動物パン…、日本人の嗜好に合う製品作りをひたむきに邁進して参りました。 酒種を使用した当社オリジナルの酒種パンは、米と麹と水から作る昔ながらの製法で作られた酒種発酵種を使用しており、 使用する材料は常にもっともおいしいあんぱんにあうものであるかを吟味され作り続けております。 144年代々の種師が絶えず受け継いできた酒種パンは米食文化で育った日本人に合う心地よい香りと144年の歴史が詰まっております。 職人が作る酒種パンは一つ口に入れば奥深い風味と時代を越えたおいしさが広がります。以下省略。
横浜、崎陽軒のシュウマイ:
崎陽軒の名前の由来:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%8E%E9%99%BD%E8%BB%92
創業者の久保久行(横浜駅(現・桜木町駅)の4代目駅長)が長崎出身である事にちなみ、長崎の漢文風の美称である「崎陽」に由来する。なお、崎陽軒の工場見学の案内では、長崎にある場所で太陽が昇る岬という意味を持つ「崎陽岬」を由来と説明している。
ひょうちゃんの醤油入れ
ひょうちゃんは1955年から同社製シウマイの箱中に封入されている陶器製醤油入れの愛称で、ひょうたん型容器に多種多様な表情が描かれている。ファンも多く、ひょうちゃんコレクターも存在する。1996年、フタがコルク栓からゴム製のものに変わる。また、関連商品として同社からひょうちゃんサブレなども発売されている。ひょうちゃんの顔を書いていたのは「フクちゃん」を書いた有名なマンガ家、横山隆一の手によるものだったが、その後イラストレーターの原田治に変わった。2003年からは横山隆一の作品に戻っている。製造は愛知県瀬戸市にあるヤマキ電器が担当している。2008年、崎陽軒創業100周年記念としてサントリー洋酒のアンクルトリスを手がけた柳原良平による絵柄のひょうちゃんが封入された。
以下省略。