後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

プラド美術館展を見てヨーロッパ文化の暗さを感じる

2015年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム
プラド美術館展を昨日、見て来ました。ギリシャ神話やキリスト教の宗教画が主な展示です。その上、プラド美術館で有名なゴヤの「着衣のマハ」と「裸のマハ」や宗教画の大作が来ていません。大部分は暗い小さな宗教画です。ギリシャ神話や旧約・新約聖書を題材にしたもの、王家・貴族の一家を描いたものが主でした。
一緒に行った家内がほとんど素通りしてドンドン歩いて行きます。帰りの車の中で聞くと何も言わずに微笑んでいます。感心しない絵画を見ると悪口を言わずに沈黙を守ります。
そうです。今回の展覧会はそのようなものでした。
私は印象派の絵画が好きです。そのような好みを持つ人が見たらあまり感動しないような宗教画がえんえんと並んでいるのです。
その上、絵の作品としての出来が悪いように感じました。
感心したのは三菱一号館美術館の重厚なレンガ造りの建物です。
それではこの美術展は行かなくても良いのでしょうか?
答えは否です。キリスト教と中世ヨーロッパの関係の深さが理解出来るのです。あまりにも日常生活まで宗教が支配していたヨーロッパ文化の一面が感じられる展覧会なのです。その暗さと息苦しさから人間を解放したのがルネサンスでした。
そしてイタリアのメジチ家の支配していたフィレンツに起きたルネサンスの影響が、スぺインまでは及んでいなかったのも分かります。
ルネサンスで生まれたラファエル、ボッチチェリー、ダビンチ、ミケランジェロなどの明るくて開放的な宗教画とはあまりにも違う暗い絵画が並んでいるのです。
しかしこれも間違いなくヨーロッパ文化の一部であることには違いありません。
私は昔ドイツに住んでいました。週末には南ドイツ、スイス、リヒテンシュタイン、そしてライン河沿いの東フランスを旅しました。行き先の町では必ずのように美術館を訪れました。ホテルで聞くと場所をすぐに教えてくれます。
数十ケ所の美術館を見ますとその大部分は宗教画だけが展示してあるのです。印象派の絵画や抽象画はめったにありません。ギリシャ神話や旧約・新約聖書を題材にしたものだけです。あとは貴族がお金を出して画家に書かせた肖像画が多いのです。画家の芸術的な衝動の感じられない絵画です。多くは暗い色のニスを塗った絵画です。
そのような種類の絵画を大切にして多くの美術館に数多くえんえんと飾っているのです。
これも現在のヨーロッパ文化の一部なのです。
ところがそのような宗教画はめったに日本にやって来ません。当然です。日本のキリスト教信者は人口の3%位なのです。展示会を開催しても観客が少ないと考えて、そのような宗教画が日本にやって来ないのです。
しかしこの暗い中世の文化を背負った宗教画を数多く見ることも重要です。見た後で印象派の絵画を見ると、その素晴らしさに感動するのです。あの色彩の華やかさ、人間の感性で描いたのびのびした構図、そして狂気に近いゴッホの絵の魅力などが如何に素晴らしい感動的なものであるかが分かるのです。
そのような感動を教えてくれるのがプラド美術館展なのではないでしょうか。
いきなり話は飛びますが人類学の中には比較文化人類学という一分野があります。いろいろな民族の文化も比較してみるとそれぞれの民族文化の良さが理解出来ます。また同じ民族でも違った時代の文化を比較するとそれぞれの文化の良さがより鮮明に判るのです。
そんなことを考えさせるプラド美術館展でした。
ここで示す写真は三菱一号館美術館の写真と一枚の油彩画の写真です。展覧会では撮影禁止だったので、http://art.pro.tok2.com/V/Velazquez/v031.htmから引用させて頂きました。
この絵画はベラスケスの『ヴィラ・メディチの庭園』です。ベラスケスはスペインでは最も有名な画家の1人です。バロック期の画家ですが、この絵では印象派的な光の使い方がされているそうです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)