年老いて分かったことですが人間は単純に生きていくのが重要だということです。
無心に生きて、幸せに感謝しながら日々を過ごすのです。
特にしなければならない仕事が無いのでそのように毎日を過ごすことが出来ます。ぼんやり樹木を眺めたり、美しい空を見上げたりして時を過ごすのです。すると生きていることに対して自然と感謝の気持ちが湧いてくるのです。
自然と自分が一体になったような幸せな気分です。これも老いのはなやぎの一つなのでしょう。
昨日は久しぶりに晴れ上がって空に秋特有の美しい雲が広がりました。その秋の空の写真を撮ろうと小さな公園に家内と行きました。国立市の青柳北緑地と日野市の仲田の森蚕糸公園です。その二つの公園の間で渡った立日橋の上からも空の写真を撮りました。それらの写真をお送りいたします。
このような美しい空を見てるだけで幸せを感じます。しみじみと感じます。若い時には気を取られることが多く、こんなにゆっくり空の美しさを楽しむことは無かったのです。
ゆっくり見ると空の高さや深さが分かります。この青い惑星に一瞬の命を生きているのです。生きているだけで満足です。他には何もいりません。
昨日は家内とともに空を見上げて過ごしました。単純に過ごしました。
帰宅後、秋の空をよんだ漢詩が無いものだろうかと探してみました。見つけたものを以下にお送り致します。
長安秋望 杜牧 (長安の秋望)
楼倚霜樹外 楼は倚る、霜樹の外
鏡天無一毫 鏡天、一毫も無し
南山与秋色 南山と秋色と
気勢両相高 気勢、両つながら相高し
実際に目に見える南山と、秋の気配とが、雲一つ無いなく澄みわたった空に、高らかに並び立っている、という。正に秋の透き通った空に、思わず吸い込まれていってしまうかのような、気宇壮大でさわやかな詩です。(http://nora-p.at.webry.info/200809/article_7.htmlより)
杜 牧(と ぼく)は803年(貞元19年)に生まれ、 853年(大中6年)に50歳で没しました。晩唐期の詩人でした。現在の陝西省西安市の人です。あざなは牧之、号は樊川でした。
調べたことによると、晩唐の繊細な技巧的風潮を排し、平明で豪放な詩を作ったそうです。
李白や韓愈、柳宗元などから影響を受けたと言われています。
年老いてくると何故か漢詩に興味が湧いてきます。高校時代に漢文をあまり熱心に勉強しなかったのが悔やまれます。何の役にも立たないと思い勉強しなかったのです。しかし老人になって少し役に立っているのです。当時の漢文の先生に感謝です。これも年老いたお陰で分かったことです。
昨日は美しい秋の空に感謝しながら過ごしました。こうして日々が流れて行くのです。単純な時が流て行きます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
無心に生きて、幸せに感謝しながら日々を過ごすのです。
特にしなければならない仕事が無いのでそのように毎日を過ごすことが出来ます。ぼんやり樹木を眺めたり、美しい空を見上げたりして時を過ごすのです。すると生きていることに対して自然と感謝の気持ちが湧いてくるのです。
自然と自分が一体になったような幸せな気分です。これも老いのはなやぎの一つなのでしょう。
昨日は久しぶりに晴れ上がって空に秋特有の美しい雲が広がりました。その秋の空の写真を撮ろうと小さな公園に家内と行きました。国立市の青柳北緑地と日野市の仲田の森蚕糸公園です。その二つの公園の間で渡った立日橋の上からも空の写真を撮りました。それらの写真をお送りいたします。
このような美しい空を見てるだけで幸せを感じます。しみじみと感じます。若い時には気を取られることが多く、こんなにゆっくり空の美しさを楽しむことは無かったのです。
ゆっくり見ると空の高さや深さが分かります。この青い惑星に一瞬の命を生きているのです。生きているだけで満足です。他には何もいりません。
昨日は家内とともに空を見上げて過ごしました。単純に過ごしました。
帰宅後、秋の空をよんだ漢詩が無いものだろうかと探してみました。見つけたものを以下にお送り致します。
長安秋望 杜牧 (長安の秋望)
楼倚霜樹外 楼は倚る、霜樹の外
鏡天無一毫 鏡天、一毫も無し
南山与秋色 南山と秋色と
気勢両相高 気勢、両つながら相高し
実際に目に見える南山と、秋の気配とが、雲一つ無いなく澄みわたった空に、高らかに並び立っている、という。正に秋の透き通った空に、思わず吸い込まれていってしまうかのような、気宇壮大でさわやかな詩です。(http://nora-p.at.webry.info/200809/article_7.htmlより)
杜 牧(と ぼく)は803年(貞元19年)に生まれ、 853年(大中6年)に50歳で没しました。晩唐期の詩人でした。現在の陝西省西安市の人です。あざなは牧之、号は樊川でした。
調べたことによると、晩唐の繊細な技巧的風潮を排し、平明で豪放な詩を作ったそうです。
李白や韓愈、柳宗元などから影響を受けたと言われています。
年老いてくると何故か漢詩に興味が湧いてきます。高校時代に漢文をあまり熱心に勉強しなかったのが悔やまれます。何の役にも立たないと思い勉強しなかったのです。しかし老人になって少し役に立っているのです。当時の漢文の先生に感謝です。これも年老いたお陰で分かったことです。
昨日は美しい秋の空に感謝しながら過ごしました。こうして日々が流れて行くのです。単純な時が流て行きます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)