後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「白いモクレンと紅色のモクレンの競演」

2016年03月17日 | 写真
今朝は4月の陽気です。青空が広がり陽射しが輝いています。
モクレンの木の数が東京一と自慢している京王フローラルガーデンに写真を撮りに行きました。場所は、http://www.keio-ange.info/ に出ています。白いモクレンと紅色のモクレンの競演をお楽しみ下さい。













幸せな人・・・政治に無関心、外国のことにも無関心

2016年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム
インターネットに政治に関することを書くとあまり読んでくれません。また外国のことを書くと読んでくれません。
ですから日本には政治に無関心な方々が多いと感じています。外国のことに関心の無い方々も多いと考えています。
”日本では”と書いた理由は、それが島国としての日本の特徴かも知れないと思うからです。
その上、日本には昔から政治に関心のある人は俗物だと言う人もいます。あるいは風流人はそんな雑事にとらわれていないという考え方もあります。
例えば現在アメリカでは次期大統領の予備選挙で大騒ぎをしています。
その様子を見ながら、荘子の言葉と白楽天の漢詩を思い出す人も少なくないと思います。
下に白楽天の漢詩を示します。

対酒・・・白楽天

蝸牛角上争何事
石火光中寄此身
随富随貧且歓楽
不開口笑是痴人

酒に対す
蝸牛角上 何事をか争う
石火光中 この身を寄す
富に随い貧に随いて且 歓楽せん
口を開いて笑わざるは是痴人

共和党のトランプ氏も民主党のクリントン氏も毎日、毎日、 蝸牛角上の争をしているのです。つまらい争いです。それよりも金持ちも貧者も自分の境遇に随い、毎日を楽しんだほうが良いのです。
こんなことを考えると欧米の民主主義が日本の文化や風土になかなか根着かない理由が分かるのです。
私の受けた戦後教育では、民主主義とは国民全員が政治に関心を持ち、投票は棄権してはいけませんと教わりました。
しかし上の漢詩にあるように政治的な争いも所詮は 蝸牛角上の争いの一つなのです。
欧米では正しい政治的な判断をするためには議論を重ねるべきと考えます。議論と論争は違いますが我々には一緒に見えます。ようするに言い争いなのです。声の大きいほうが勝つのです。むなしいですね。
それでは政治や外国のことへ対する関心度を測定するため次の3枚の写真を見てみましょう!





この3枚の写真を見て、誰の写真か分からない人がいたら、その人こそ完全に政治や外国に無関心な人です。その人は最高に幸せな人です。
1番目は分かるが2番目と3番目は誰か分からない人も合格です。かなり幸せな人です。

昔、ある日本人の数学者が大東亜戦争が起きたとき、戦争が起きたことを長い間知らなかった人がいたそうです。真偽のほどは知りませんが、そんな幸せな人もいたのです。
そこまで徹底しませんが政治に無関心な人は結構多いのではないでしょうか?
卑近な例で恐縮ですが、家人がその例です。政治より文学に関心が強いのです。日本古典文学にに心酔していて、新聞の政治的な記事は斜めに読んでいます。そして原発反対、戦争反対と独りでつぶやいています。食卓で政治的な討論をしようとするとニコニコしてお終いになります。
そのくせ選挙は必ず投票に行きます。誰に投票すべきは情報を持っているのです。おおむね正しい投票をしている様子です。
今日の結論を書きます。
政治に関心が無くても幸せに暮らせる国ほど有り難い国はありません。
外国のことに関心が無くても外国から旅して来た人へ優しく、親切にする人は幸せです。このような国が日本なのです。
独裁国家ではこのようにはいきません。常に独裁者の政策を理解していないと捕まって収容所へ送られてしまうのです。そこまではいかなくてもこの世で不利になり不幸になるのです。
日本では政治家がおおむね善い人です。政治は政治家に任せても良いのではないでしょうか?
そんな感じで暮らしていても、とんでもない不幸にならないこの日本へ感謝しています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)