後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「櫻の花と野川のある風景」

2016年03月27日 | 写真
東京の国分寺市の南半分は崖の下です。その崖を国分寺崖線と言います。崖の下には数多くの泉が湧いていて、その水を集めて野川という名前の小川が流ています。下流は小金井市と調布市を通って多摩川に注いでいます。

野川のお陰で旧石器時代、縄文時代から江戸時代まで連綿として人が住み着いていました。
北側は崖で、南が平野になっている暖かい地域です。従ってこの野川の桜は一番先に咲き出します。午後からその写真を撮って来ました。

野川の両岸の芝生の上では花見をしている家族が幾組も見えました。のどかな春の午後の雰囲気をお楽しみ下さい。









高邁な精神の民間人が作った明治村・・国立野外博物館ではない!

2016年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日です。気楽に、明治村のご紹介をいたします。
明治村を訪れたのは2010年の4月はじめの桜の咲く頃でした。久しぶりの晴天で、桜が丁度満開でした。
遊歩道は高齢者にも歩けるようになだらかに出来ています。入鹿池の青い水面が雑木林の向こうに見え隠れします。

明治時代の銀行やホテル、兵舎や師範学校の建物があります。天主堂や教会堂もあります。小泉八雲が海水浴に通ったとき泊った焼津の魚屋の質素な家もあります。石川啄木一家が2階に住んでいた床屋があります。森鴎外と夏目漱石の住んでいた家もあります。
気持ちの良い里山の遊歩道を散策して行くと次から次へと興味深い建物が現れて来ます。そして明治時代の人々の一途な情熱に心が揺さぶられます。建物は何も言わずに静かに建っているだけです。その為にかえって明治の人々の喜びや悲しみの激しさを暗示しています。

明治村は昭和記念公園のような国立の野外博物館と思い込んで行きました。ところが2人の民間人が独力で作り上げたのです。
第二次大戦後、明治時代の美しい建物が荒れるにまかせ、倒壊して行く様子を見て、建築家の谷口吉郎さんが修理・保存を決心します。そして学生時代からの親友だった名古屋鉄道株式会社社長の土川元夫さんの協力を得て、昭和37年に土木工事に着手し、40年に開園しました。
愛知県、犬山市の入鹿池を囲む丘陵の里山の中に遊歩道を作り、全国から移築した明治時代の建物を散在させたのです。谷口さんと土川さんの精神の崇高さにおのずと頭が下がる思いです。
建築家、谷口さんが選んだだけに、全て建築美を漂わせています。それを入鹿池の周りの自然の景観に調和するように細心の注意を払って移築しています。
想像以上に素晴らしい野外博物館でした。下の1番目と2番目の写真に里山全体の様子を示す写真を2枚示します。そしてそれに続けて3番目、4番目、5番目の写真にそれぞれ、東京日比谷の帝国ホテル、京都にあった聖ザビエル天主堂、そして最後に京都にあった聖ヨハネ教会堂の写真を示します。









名古屋から名鉄犬山線で30分で犬山駅です。駅の東口からバスがあり、20分で明治村に着きます。是非訪問なさるさようお勧め致します。但し、野外を散策するので晴天の日に限ります。天気予報を注意深く見て訪問なさって下さい。
さらに下には長崎港の外にある伊王島に建っていた聖パウロ教会堂の写真も示します。
明治12年に建造され、昭和48年まで100年間も使用されていた木造建築です。外見は普通の和風の建物に見えますが、内部はフランスのカトリック教会のように出来ています。
明治維新後、日本人の信教の自由が定着するまでには長い年月がかかったのです。明治政府がいつキリシタン禁教と弾圧へ政策転換するか分かりません。従ってこの聖パウロ教会を作った隠れキリシタン達は用心して外見は和風の建築にし、内装をフランス人神父の指導でキリスト教の天主堂として作りました。
隠れキリシタンの人々の恐怖を示す教会堂が、現在は明治村の一番端の岡の上に静かに建っています。下には入鹿池の青い水面が広がっています。
この教会に関する建築学的な詳細な説明は、https://www.pref.nagasaki.jp/tokyo/nagasakinokyoukai-web/kyoukai/daimyouji.html にあります。
下に示す6番目と7番目の2枚の写真は2010年4月8日に家内が撮ったものです。
最後の8番目の写真は、このURLから転載させて頂きました。





この明治村は名古屋駅から離れているので行かない方も多いかも知れません。しかし是非訪れてみて下さい。感動すると思います。

それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)