一般的に女性は花言葉が好きなようです。男性に使って貰いたいようです。しかし男性は面倒がって使いません。
花言葉はそれぞれの花に対応した言葉を決めて、言葉の代わりにその花を女性に贈り、男性の気持ちを伝えるのです。勿論、その逆もあります。
女性は美しい花を貰った上で男性の気持ちが分かるのです。女性にとって花言葉は楽しい、そしてロマンチックな言葉なのです。
しかしこれは一種の暗号なので花言葉の解読には暗号の意味を示す暗号表を双方で持っていないと大変な誤解が生じます。私は新婚当時家内の誕生日に黄色いバラを10本贈って怒られたことがあります。「黄色いバラは 愛の薄らぎ」だと言うのです。その後は赤かピンクのバラにしました。
花言葉を知っていることも重要ですが、その使い方も大変重要なのです。
(1)花言葉の一覧表と使い方
例えば日本の花言葉の一覧表は、http://hananokotoba.com/hanakotoba-ichiran/ に出ています。
一例として1番目の写真にアサガオの花を示します。その花言葉の意味は下のように書いてあります。
アサガオ;「はかない恋」「固い絆」「愛情」
この三つの言葉は矛盾しています。ですからアサガオの花を贈ったら、その意味がまぎわらしくなります。そこで暗号表が必要になります。
双方でアサガオの花言葉は「はかない恋」と決めておけば 意味が通じます。しかし「はかない恋」がどうしたと言うのでしょう。そこでアサガオを贈って男性が「残念でした」というカードを送れば初めて意味が通じます。男性の失恋の時にこのように使えます。
こんな面倒な通信手段を若い男性が使うとお思いですか?
無理ですね。到底、無理です。
なお花言葉が日本に輸入されたのは、明治初期とされ、当初は輸入された花言葉をそのまま使ってましたが、その後、日本独自の花言葉も盛んに提案され普及したのです。
花言葉は使いにくい言葉ですが、ロマンチックな存在であることは間違いありません。
それでは花言葉は誰がいつ頃作ったのでしょうか?
その起源については不明ですが、フランスの貴族社会では、19世紀初頭には草花を擬人化した詞華集が人気を博し、草花と特定の意味の組み合わせ例を示した手書きの詩作ノート存在していたそうです。
そうしたノートは、草花の性質にことよせて恋人の美しさを賞賛したり、あるいは不実や裏切りを非難するといった恋愛の駆け引きのために使われたそうです。
(2)花言葉の歴史
花言葉の詳細な歴史については、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E8%A8%80%E8%91%89 をご参照ください。
特に画期的な本は1819年頃に出版されたシャルロット・ド・ラトゥール『花言葉』 (Le Langage des Fleurs)でした。この本こそ最初の花言葉辞典と言えます。
ラトゥールは独自の花言葉を270超のリストにまとめていますが、その命名手法の特徴は、大きく2つに分けられそうです。
第一は、その植物の外形や香り・色・生態といった植物の性質・特徴を言葉で表現しようとする観察重視の姿勢。たとえばブラックベリーについて、自らの観察をもとに「人目を避けるように生え、ひとたび口に含むと苦さだけが残る」とまとめた上で、花言葉を「嫉妬」と名付けるような手法がその例です。
第二は、西欧社会で草花が積み重ねてきた文化史的伝統を、一つの単語に凝縮して形容しようとする文化史重視の姿勢である。例えば古代ギリシアの伝統を参照しながら月桂樹に「栄光」の花言葉をあてたり、聖書の記述をひいて「オリーヴの花言葉は平和」などとする方法で花言葉を決めるのです。
(3)花々の民族誌
このように花言葉の大半はヨーロッパの民族文化を背負っているのです。
そこでその花々の民族誌について簡単に示します。
ヨーロッパがキリスト教になる遥か以前からスミレ、ワスレナグサ、ユリ、バラなどにまつわる伝承や物語があったのです。
2番目、3番目、4番目、5番目の写真にこれら4種の花の写真を示します。
例えば上の写真のスミレは古代ギリシャやローマの時代から春の使者として愛されて来ました。春の女神が大地を歩むと、その足跡から春の最初のスミレが芽生えると信じられていたのです。ウイーンの宮廷では13世紀の頃、3月になるとドナウ河の川岸に春の最初のスミレを探しに出かけ、それに挨拶する習慣があったそうです。ヨーロッパ各地の春の祭りにはスミレの花が主役のように出てくるのはこの古くからの伝承によるのです。ボチチェリの名作「春」の野原にも描かれています。
上の写真は ワスレナグサです。
湿地や川辺に咲いているこの可憐な花は、昔から愛と誠のシンボルとしてヨーロッパ人に大切にされて来ました。この青い小さな花を手にとって、「恋人よ、私を忘れないで!」と祈ると効き目があり2人は結ばれるのです。ワスレナグサの英語名は、文字通り、forget-me-not と言います。ドイツ語ではVergissmeinnicht です。どちらも「私を忘れないで!」という意味です。ひと茎のこの花を恋人に取ってあげるために川に落ち、命を失った若者の話は今も伝えられています。元来日本には無かったので日本名はヨーロッパ語の直訳です。
ワスレナグサは魔力を持っています。愛の妙薬として男性がポケットに入れて置くと娘に気に入られるのです。ある牧師が1588年にそれは全くの迷信で、効き目が無いと声高く否定していたと言います。その事は逆に、多くの若者が愛の妙薬としてワスレナグサの魔力を信じていたということを示しています。ヨーロッパにも日本と同じように迷信が沢山あるのです。
上は ユリの花です。
ユリはギリシャ、ローマ時代から神聖な花として大切にされて来ました。白い楚々とした花、そして清らかな芳香は純潔と処女性のシンボルとして尊重されて来たのです。キリスト教でもこの伝統を受け継いできました。聖母マリアの絵にはユリの花が描かれています。その伝統にもとづいてカトリックの国々では祭りの日にはマリア像をユリで飾るのです。
ヨーロッパの文学ではユリと純潔な娘に関連する物語が多いのも上のような伝承に依るのです。宗教画でよく目にすることと思います。
またユリの球根は婦人病に効き目があるとして民間療法で使われていたそうです。それも勿論迷信です。
上は バラの花です。
ヨーロッパではバラは花の女王と考えられています。青春と美と愛と喜びのシンボルなのです。ギリシャの女流詩人サフォーが「バラは花の女王」と書いています。その美しい形、色、香りから当然のことでありましょう。
バラは美の女神ヴィーナスに捧げられました。ゲルマン神話では生垣のバラは女神フリッガに捧げられています。さらに古い俗信では、バラは神聖な森や供犠の為の祭壇があった所や埋葬地に好んで咲いていると言います。
さてヨーロッパにキリスト教が普及するとともに薔薇はマリア様へ捧げられるようになったのです。マリア様の絵の周りにバラの花が盛んに描かれてきました。
キリスト教以前からヨーロッパ各地にはバラ祭りがありました。さまざまな踊りや歌の趣向が凝らされていますが、祭りの中心をなすものは「バラの女王」を選ぶことにあるのです。
このように花々を愛する民族の歴史はキリスト教よりも古いのです。
今日は皆様の人生が花々のお陰で一層豊かに、そして幸多くなりますようにお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
この記事の内容の出典は、谷口幸男、福嶋正純、福居和彦 共著、「ヨーロッパの森から」ードイツ民族誌 (NHKブック397、日本放送昭和56年8月20日第一版発行)という本です。 又、花々の写真の出典はWikipedea です。 記して、感謝の意を表します。(終り)
花言葉はそれぞれの花に対応した言葉を決めて、言葉の代わりにその花を女性に贈り、男性の気持ちを伝えるのです。勿論、その逆もあります。
女性は美しい花を貰った上で男性の気持ちが分かるのです。女性にとって花言葉は楽しい、そしてロマンチックな言葉なのです。
しかしこれは一種の暗号なので花言葉の解読には暗号の意味を示す暗号表を双方で持っていないと大変な誤解が生じます。私は新婚当時家内の誕生日に黄色いバラを10本贈って怒られたことがあります。「黄色いバラは 愛の薄らぎ」だと言うのです。その後は赤かピンクのバラにしました。
花言葉を知っていることも重要ですが、その使い方も大変重要なのです。
(1)花言葉の一覧表と使い方
例えば日本の花言葉の一覧表は、http://hananokotoba.com/hanakotoba-ichiran/ に出ています。
一例として1番目の写真にアサガオの花を示します。その花言葉の意味は下のように書いてあります。
アサガオ;「はかない恋」「固い絆」「愛情」
この三つの言葉は矛盾しています。ですからアサガオの花を贈ったら、その意味がまぎわらしくなります。そこで暗号表が必要になります。
双方でアサガオの花言葉は「はかない恋」と決めておけば 意味が通じます。しかし「はかない恋」がどうしたと言うのでしょう。そこでアサガオを贈って男性が「残念でした」というカードを送れば初めて意味が通じます。男性の失恋の時にこのように使えます。
こんな面倒な通信手段を若い男性が使うとお思いですか?
無理ですね。到底、無理です。
なお花言葉が日本に輸入されたのは、明治初期とされ、当初は輸入された花言葉をそのまま使ってましたが、その後、日本独自の花言葉も盛んに提案され普及したのです。
花言葉は使いにくい言葉ですが、ロマンチックな存在であることは間違いありません。
それでは花言葉は誰がいつ頃作ったのでしょうか?
その起源については不明ですが、フランスの貴族社会では、19世紀初頭には草花を擬人化した詞華集が人気を博し、草花と特定の意味の組み合わせ例を示した手書きの詩作ノート存在していたそうです。
そうしたノートは、草花の性質にことよせて恋人の美しさを賞賛したり、あるいは不実や裏切りを非難するといった恋愛の駆け引きのために使われたそうです。
(2)花言葉の歴史
花言葉の詳細な歴史については、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E8%A8%80%E8%91%89 をご参照ください。
特に画期的な本は1819年頃に出版されたシャルロット・ド・ラトゥール『花言葉』 (Le Langage des Fleurs)でした。この本こそ最初の花言葉辞典と言えます。
ラトゥールは独自の花言葉を270超のリストにまとめていますが、その命名手法の特徴は、大きく2つに分けられそうです。
第一は、その植物の外形や香り・色・生態といった植物の性質・特徴を言葉で表現しようとする観察重視の姿勢。たとえばブラックベリーについて、自らの観察をもとに「人目を避けるように生え、ひとたび口に含むと苦さだけが残る」とまとめた上で、花言葉を「嫉妬」と名付けるような手法がその例です。
第二は、西欧社会で草花が積み重ねてきた文化史的伝統を、一つの単語に凝縮して形容しようとする文化史重視の姿勢である。例えば古代ギリシアの伝統を参照しながら月桂樹に「栄光」の花言葉をあてたり、聖書の記述をひいて「オリーヴの花言葉は平和」などとする方法で花言葉を決めるのです。
(3)花々の民族誌
このように花言葉の大半はヨーロッパの民族文化を背負っているのです。
そこでその花々の民族誌について簡単に示します。
ヨーロッパがキリスト教になる遥か以前からスミレ、ワスレナグサ、ユリ、バラなどにまつわる伝承や物語があったのです。
2番目、3番目、4番目、5番目の写真にこれら4種の花の写真を示します。
例えば上の写真のスミレは古代ギリシャやローマの時代から春の使者として愛されて来ました。春の女神が大地を歩むと、その足跡から春の最初のスミレが芽生えると信じられていたのです。ウイーンの宮廷では13世紀の頃、3月になるとドナウ河の川岸に春の最初のスミレを探しに出かけ、それに挨拶する習慣があったそうです。ヨーロッパ各地の春の祭りにはスミレの花が主役のように出てくるのはこの古くからの伝承によるのです。ボチチェリの名作「春」の野原にも描かれています。
上の写真は ワスレナグサです。
湿地や川辺に咲いているこの可憐な花は、昔から愛と誠のシンボルとしてヨーロッパ人に大切にされて来ました。この青い小さな花を手にとって、「恋人よ、私を忘れないで!」と祈ると効き目があり2人は結ばれるのです。ワスレナグサの英語名は、文字通り、forget-me-not と言います。ドイツ語ではVergissmeinnicht です。どちらも「私を忘れないで!」という意味です。ひと茎のこの花を恋人に取ってあげるために川に落ち、命を失った若者の話は今も伝えられています。元来日本には無かったので日本名はヨーロッパ語の直訳です。
ワスレナグサは魔力を持っています。愛の妙薬として男性がポケットに入れて置くと娘に気に入られるのです。ある牧師が1588年にそれは全くの迷信で、効き目が無いと声高く否定していたと言います。その事は逆に、多くの若者が愛の妙薬としてワスレナグサの魔力を信じていたということを示しています。ヨーロッパにも日本と同じように迷信が沢山あるのです。
上は ユリの花です。
ユリはギリシャ、ローマ時代から神聖な花として大切にされて来ました。白い楚々とした花、そして清らかな芳香は純潔と処女性のシンボルとして尊重されて来たのです。キリスト教でもこの伝統を受け継いできました。聖母マリアの絵にはユリの花が描かれています。その伝統にもとづいてカトリックの国々では祭りの日にはマリア像をユリで飾るのです。
ヨーロッパの文学ではユリと純潔な娘に関連する物語が多いのも上のような伝承に依るのです。宗教画でよく目にすることと思います。
またユリの球根は婦人病に効き目があるとして民間療法で使われていたそうです。それも勿論迷信です。
上は バラの花です。
ヨーロッパではバラは花の女王と考えられています。青春と美と愛と喜びのシンボルなのです。ギリシャの女流詩人サフォーが「バラは花の女王」と書いています。その美しい形、色、香りから当然のことでありましょう。
バラは美の女神ヴィーナスに捧げられました。ゲルマン神話では生垣のバラは女神フリッガに捧げられています。さらに古い俗信では、バラは神聖な森や供犠の為の祭壇があった所や埋葬地に好んで咲いていると言います。
さてヨーロッパにキリスト教が普及するとともに薔薇はマリア様へ捧げられるようになったのです。マリア様の絵の周りにバラの花が盛んに描かれてきました。
キリスト教以前からヨーロッパ各地にはバラ祭りがありました。さまざまな踊りや歌の趣向が凝らされていますが、祭りの中心をなすものは「バラの女王」を選ぶことにあるのです。
このように花々を愛する民族の歴史はキリスト教よりも古いのです。
今日は皆様の人生が花々のお陰で一層豊かに、そして幸多くなりますようにお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
この記事の内容の出典は、谷口幸男、福嶋正純、福居和彦 共著、「ヨーロッパの森から」ードイツ民族誌 (NHKブック397、日本放送昭和56年8月20日第一版発行)という本です。 又、花々の写真の出典はWikipedea です。 記して、感謝の意を表します。(終り)