後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「東京で桜が開花し始めました!」

2016年03月21日 | 写真
今日、東京の桜の開花宣言がありました。さっそく午後に多摩墓地へ行って毎年一番先に咲く桜の木の下に行きました。満開ではありませんが見事に咲いていました。その写真を3枚お送りいたします。
多摩墓地から小平市の運動公園に行き、車を駐車して90分間、玉川上水沿いの遊歩道を4.5Kmほど歩きました。久しぶりに歩きましたが、杖を突きながらゆっくり歩けばこの位は軽く歩けることが分かりました。暖かくなったので、これからは度々歩くことにしました。その玉川上水沿いの遊歩道で撮った写真を2枚お送りいたします。









お彼岸とぼた餅の思い出・・・その暮らしの歳時記

2016年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム
お彼岸とは日本独自の仏教的な7日間です。
昨日は春のお彼岸の中日でした。皆様も墓参りに行かれたと思います。私も彼岸の入りの日に家内の家の墓参りに行きました。家内と妹がお墓を掃除して花々を供えます。私はローソクに火を灯し線香の束に火を移す作業をします。線香を供え手を合わせて拝みます。そしてその日は特大のぼた餅を買ってきて食べました。
お彼岸というとぼた餅やオハギにまつわる楽しい思い出をお持ちの方も多いと思います。特に戦前、戦後の育った方はぼた餅やオハギの夢のような甘美な味を憶えていると思います。当時は甘いお菓子が少なくて春と秋のお彼岸に祖母や母が作ってくれたぼた餅やオハギが一段と美味しく感じられたのです。
さて、ぼた餅とオハギは同じものです。春の彼岸に食べるのがぼた餅(牡丹餅)で秋に食べるものがオハギ(お萩)と呼ぶのです。
地方によって違うかも知れませんが、一般的にぼた餅は小豆のこし餡で秋のオハギはつぶし餡です。したにその写真を示します。

この写真の左奥はつぶし餡のオハギで、右手前がこし餡のぼた餅です。
お彼岸にぼた餅やオハギを食べる風習は砂糖の普及する江戸時代中期以後になってから始まったと言われています。
そして春のぼた餅と秋のオハギは季節の変わり目を意味する暮らしの歳時記として定着しました。
そして俳句の世界では、単に「(お)彼岸」「入彼岸」「彼岸過」「彼岸会」「お中日」と言えば春の季語となり、「秋彼岸」「後の彼岸」となると秋の季語となるそうです。
さてここで「入彼岸」や「お中日」という言葉が出ましたのでその意味を考えてみましょう。
今年の春のお彼岸の中日は昨日の3月20日でした。その3日前を彼岸の入りと言い、3日後を彼岸のあけと言います。彼岸の間は7日間になります。
彼岸とはあの世の極楽浄土を意味していて、この世の煩悩の世界を此岸と呼ぶのです。
風景写真を例にして示しと以下のようになります。

上は伊豆半島の伊東付近の海岸道路から撮った大島の写真です。手前の伊豆半島が此岸で海の向こうの大島が彼岸です。もう一枚の写真を示します。

手前の川奈ホテルの見える所が此岸で写真の真ん中の沖にかすかに写っている初島が彼岸でしょう。
このように実例を示すと涅槃の境地である彼岸が簡単に行ける場所のように感じられます。しかしそれは大きな誤解です。人間はそんなに簡単に悟りの境地になることが出来ません。
死んで涅槃の境地にいたることは簡単ではないのです。ですから彼岸は目には見えない遥か海の向こうにあるのです。

上の写真は相模湾の茫洋とした海だけが見えています。彼岸は見えません。
さて彼岸と仏教の関係はサンスクリットのpāram(パーラム)の意訳から来ていると言われています。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%BC%E5%B2%B8 )
仏教用語の「波羅蜜」(Pāramitā パーラミター)の意訳「至彼岸」に由来するのです。
Pāramitāをpāram(彼岸に)+ita(到った)、つまり、「彼岸」という場所に至ることと解釈しているそうです。悟りに至るために越えるべき迷いや煩悩を川に例え、その向こう岸に涅槃があるというのです。
こんな由来があるのでお彼岸の7日間にはいろいろな佛事があります。その仏事のことを彼岸会の法要と言います。その一つとしてお墓詣りがあるのです。
彼岸会法要は日本独自のものであり、現在では彼岸の仏事は浄土思想に結びつけて説明される場合が多いようでです。
浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられています。お彼岸の時にはそこにいるお先祖様のことを想いお墓に参って冥福を祈るのです。
そして信心深い僧はお彼岸のあいだに六波羅蜜の六つの修行をします。
この六つの修行とは、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六つのことです。
例えば、忍辱とは、如何なる辱めを受けても、堪え忍ぶことが出来れば、苦痛の多い現代社会において、自らが他の存在に生かされていることがわかり、全ての人の心を我が心とする仏様の慈悲に通じることとなります。(http://www.rokuhara.or.jp/rokuharamitsu/ )
まあ、こんな面倒なことを知らなくてもお彼岸は家族のことを想う日本特有の楽しい行事です。昔は家でぼた餅を作ってワイワイと食べたものです。最近は菓子店やスーパーから買って来て食べます。春のお彼岸もあと3日間だけです。大いに頑張ってぼた餅を食べましょう。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)