後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

宗教を趣味にすることへの多数のコメントの総括

2016年06月28日 | 日記・エッセイ・コラム
一昨日、「宗教を趣味にしている私は変でしょうか?」という記事を掲載しました。
テーマが趣味と宗教の関連性だったので多くの方々から非常に内容の深いコメントを頂きました。
コメントを何度も読んでみましたが、このまま忘れ去るにはもったいない貴重なコメントばかりでした。
そこで「宗教を趣味にしている私は変でしょうか?」という問いに対して、「変ではない」というコメントと、「変だ」というコメントに分類して以下のように総括しました。
主題の問いに直接関係ないが、それに関連した貴重なコメントも多くありましたが今回の総括では残念ながら割愛させて頂きました。
以下のような代表的なコメントのご紹介の後で私自身の感想を短く書いて今日の記事の終りといたします。
(1)宗教を趣味にすることは変ではないというコメント:
1、M・Bさん;
こんばんは。ちっとも変でもおかしくもありません。好きで、楽しめるのが趣味ですから神父様の仰しゃる通りですね。苦行したい人はそれでもいいですけれど。仏教もキリスト教も神道も、ラマ教も土着宗教もそれぞれ意味があると思います。ただ本当に狂信者は文字通り狂っていますね。そうなればもう信仰ではなくなって、狂気ですね。ローマ時代の殉教者、キリシタン弾圧の犠牲者、魔女や魔法使い狩り、プロテスタントとカトリックの争い、十字軍、みな狂気の沙汰のように思えます。当時の考え方からすれば正当だったのかもしれません。趣味というのが一番正しいです。
2、山・ さん;
変なことはありません。心おだやかにしていつも読ませて頂いております。 これからも体験談など聞かせてくださいね。
3、よ・ひさん;
十 主の平安
私の母も家の蔵にあった世界文学全集からキリストに出会ったそうです。
今の私があるのは亡き母の御蔭です。
教会大好きです。
今、地方の教会は高齢化。
そして、外国人の信徒の方が多いです。(南米、フィリピン、ベトナム・)
地方に限らず都会でも。
彼たちのお手伝いをするのも趣味?実に楽しいです。
4、高・さん;
『宗教を趣味に』という言葉の響きが、なぜか新鮮に聞こえました。
と同時に、自分と同じ趣味を持つ人がいることを、嬉しく思いました。
『・・宗教はマナジリを決して狂信するものではありません。・・』
全く同感です。こんな人たちが
「宗教は戦争の元」という、とんでもない理屈を並べ立てます。
私の場合は、趣味の対象は主に仏教で、中でも「禅」です。
これまでも、いろんな本を読みましたが、
禅坊主に関する本は、へたな小説よりも面白く、やめられません。
5、さ・さん;
一つの趣味に共感します。
信仰があっても、受洗するかどうかで、未信者と云われます。
五島の信者の方達が、お寺や神社が守られたのは、元々 先祖代々の氏子・檀家であって、自分の信仰とは別に、ご先祖様達ののために寺社を大切にして来られたからでしょう。
信仰とは自分の心の問題だと思います。
ご利益を求めるのではなく、宗教を通して、自分が豊かになった分を、いかに周りの方達と分かち合い、より良い社会を作ることに努力することではないかと思います。
自分が信じるものを持ちながら、他宗教にも関心を持つことは趣味ととると、仏像が好きなので、お寺へ行きやすくなります。
6、う・さん;
藤山さんのコラムを読んで、ほっと肩の力がぬけました。
仏教徒の家に生まれ育ちましたが、お寺を参拝してもどうにも心の拠りどころが得られない…悶々とするなかで、異なる宗教、キリスト教なら、或はその問題を解決してくれるかもしれない、と考えていた矢先でした。
宗教は趣味かどうかの解釈は別として、個人的に一度気楽にミサに参加してみる気持ちになりました。有り難うございます。
7、め・さん;
私は信仰心の薄いクリスチャンです。
趣味
趣味として信仰を楽しむ
趣味にしてよい
とても深い意味のある言葉だと感じました。
コラムを拝見しても、全く違和感を覚えません。
一般的に言われる「趣味」の意味で捉えるのは間違いのように感じます。
では?と言われると、みなさんの様に上手く言葉に表現できないので
ここにコメントする資格がないのかもしれません。
でも、一言だけ私の感じたことを伝えたくて書かせていただきました。
もし機会がありましたら、ご教授下さい。
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(2)宗教を趣味にするのは変だというコメント
1、女・さん;
ちょっと変だと思います。 楽しいだけだと、ただの道楽遊びでしょう。
宗教やる人、学問続ける人・・・どちらも、人に尽くす為にやる、皆が幸せになるためにやる=献身の実践が、肝心要の基本だと、私は思います。
2、き・さん;
後藤様 の様なお方がこのような書き込み方をされるのは少し異様に感じます。
”宗教を趣味にしている私”、というところに おそらく真面目な宗教者の多くは
すこし首をかしげたく成るのではないかと感じましたが・・
多分 軽い気持ちの上で親しみやすく書かれたもので上げ足取りなどの積もりは微塵も
ありませんので、あまり深く考える必要はありません。
宗教について考えたり研究したりするのならば ”趣味” と言っても異論はないでしょう
が 宗教の教義を信じてそれに従った行動を実践して行くいわゆる信者さん、信徒さん
と思いますので 軽く「趣味」と表現するには一般的に宗教と言うものに精通されて
いない者からすれば そんなに軽はずみなものなのか!?、と誤解の原因になりはしない
かと懸念しますね。  
 >神父さまがキリスト教を趣味のように楽しんで下さい・・、この趣味と言われた
その趣味と 一般人の考える ”趣味” とは随分距離があるもので 俗人は趣味と言うと
「お遊び、お道楽etc・・」と考えてしまうところに盲点の様なものを感じます。
真面目な本来の宗教心とは決して「お道楽・・」のような軽率なものではないのではない
でしょう、 正しい宗教心は今の様な混迷した時代には欠かせないものと思っています。
3、お・さん;
確かに私も宗教は趣味とは違うと思います
信仰心が無ければ宗教を信仰してるとは言わないと思います
自分自身を考えて見ても特に信仰心が有るとは思えませんただ苦しい時の神頼み
にすぎません、長年の習慣から月参りは何故かしていますでも趣味と思ったことは
一度もありません、ただの習慣であり月参りをしないとなんとなく落ち着かない
気分になります(大きなくくりからすると信仰心なのかもしれません)
でも実家とは宗旨が違います、単なる自分自身の気休めかもしれません
藤山さんの様にキリスト教を信仰されさらに仏教に興味を抱かれている場合
は広義に言へばあるいは趣味の域と言へるのかもしれません
仏教を信仰すると言っても幅は相当にあると思います、経典を極めたいとか
仏画に興味があるとか色々あると思いますので一概に決めつけはできません
4、け・さん;
ご自身では趣味とおっしゃっていますが趣味という感じはしません。いい意味で。
私は世間からは新宗教とされているある宗教の会員ですが、他宗教への対応は柔軟な団体です。中には他宗教、他宗派への信仰を徹底的に否定する団体もあるようですが。
私も実家では菩提寺に、神社へも参拝いたします。でも自分が変だと思った事は一度もありません。
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以上の他にも貴重なご意見を沢山頂きました。有難う御座いまいた。
最後に私自身の感想を簡単に書いて終りといたします。
(1)普通に考えれば宗教と趣味は別ものです。
しかし宗教を趣味にすることが変ではないというご意見を下さった方々はキリスト教の信仰を持っている方々のようです。信仰を持つと、時々、そのように感じるようです。
(2)変ではないという、「4、高・さん」は仏教徒のようですが宗教には共通なところがあるようで興味深いコメントでした。
(3)変だというコメントを下さった方々は日本語の意味を正確に理解し、正しい意味を守ろうとしている善良な方々です。尊敬します。
(4)宗教にはつらい修行が必要であり、もっと真面目なものだと理解している方々は、「変だ」というご意見を下さいます。その通りです。修行も宗教的訓練も必要です。しかし自分の全てをお釈迦さまへ捧げる決心をしてしまえばどんな修行もつらくならないのです。
以上が頂きました数々のコメントに対する感想です。
今日の挿し絵代わりの写真は初夏の小金井公園の風景写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)