梅雨も終わりが近づいてくると次第に暑くなって来ます。たまに晴れた日がくると夏の日のようです。
今日の東京は青空で太陽がまぶしく射しています。嗚呼、夏が来たのだなあと感じます。
そんな時には幼少の頃の楽しかった海水浴や離れ島に遊びに行ったことを思い出します。
当時は仙台に住んでいましたので海水浴と云えば近くの荒浜や菖蒲田の浜でした。
そして塩釜からポンポン船に乗って松島湾の桂島の海水浴場に何度も行きました。
そのポンポン船の終点は宮古島というところです。親しい知り合いが居ましたので泊りがけで海水浴に行きました。
松島の向こうには野蒜海水浴場があり、遠路にもかかわらず出掛けて行ったものです。
戦後の貧しい時代だったので夏の娯楽と言えば海水浴しかなかったのです。
もうあの時は遥か昔のことになってしまいました。その追憶の懐かしい場面の数々はもう返ってこないのです。
あの楽しかった海水浴場の風景は永久に返って来ないのです。それは東日本大震災で大津波によって白い砂浜と美しい松原が無残にも流されてしまったからです。大津波の後、私は松島の先の野蒜海水浴場の手前まで、昔の風景を探しに行ったことがありました。
そこにあったものは家々がすっかり流され、全てが消滅し荒れ果てた浜だけでした。追憶の懐かしい場面は完全にこの世から消えてしまったのです。
それはさておき、少し大きくなって大学生の頃に、「夏が来ると思い出す・・・」という歌が世の中に流れていました。貧しかった当時は遥かな尾瀬には行けそうもありませんでした。しかし何故か夏が来ると尾瀬の風景を想い出すのです。
そんな思い出があったので70歳に時に尾瀬に行きました。
「夏の思い出」 江間章子作詞・中田喜直作曲、1949年発表
(メロディは、https://www.youtube.com/watch?v=cW-Hzg1bUFk にあります)
夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬 遠い空
霧のなかに うかびくる
やさしい影 野の小径
水芭蕉の花が 咲いている
夢見て咲いている水のほとり
石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空
夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬 野の旅よ
花のなかに そよそよと
ゆれゆれる 浮き島よ
水芭蕉の花が 匂っている
夢みて匂っている水のほとり
まなこつぶれば なつかしい
はるかな尾瀬 遠い空
この曲を聞きながら青春時代が駆け足で過ぎていきました。
兎に角、若い時代は一生の職業を決めたり、結婚したりと忙しい時期です。海に遊びに行くことが出来ない時期でした。
そしてアッという間に時が流れ50歳になりました。その時、少年の時の少し別な夏の思い出がよみがえりました。
終戦前に「海洋少年団」に入って船で使うロープのいろいろな結び方を習ったのです。
そして戦後の高校時代にカッターを漕いで何度も松島湾を回航したことを思い出したのです。
その時の帰りは必ず帆を上げて帆走して塩釜港に帰ったのです。
そんな思い出があったので、50歳の時、ヨットを習うことに決めました。ヨットスクールは江の島にありました。その後は葉山マリーナのスポーツクラブに入りヨットの帆走方法を習いました。
夏の日差しを背に受けながら大学のヨット部の学生さんと2人でセイリングをするのです。それは厳しい訓練でしたが楽しい思い出になりました。
夏になると小型ヨットで葉山を出港して富士山を見ながら江の島の沖までセイリングした光景を楽しく思い出します。
そしてある時は、葉山マリーナの所有していた古い巡視艇で熱海の沖の初島へ泊りがけで航海したのです。
古い巡視艇なので三崎港に寄ったときエンジンから出火して大騒ぎになりました。乗り組員の皆が消火作業をしている間、私だけが操舵室に残って船の舵を担当していました。あの時は怖かったです。間も無く消火しましたがエンジンは使用不能です。救助艇で葉山に帰りました。そんなこともいまとなっては楽しい思い出になっています。
江の島や葉山で帆走技術を習った後にキャビン付の中古の大型ヨットを琵琶湖で買い、霞ヶ浦に陸送しました。そこで23年間、ヨットを楽しんで75歳で止めました。
ですから夏が来ると青く光る筑波山を見ながら家内とヨットを走らせたことを思い出します。
そしてなんと言っても荒浜や菖蒲田のそして野蒜海岸での海水浴のことを思い出します。
そこで家内に海水浴の思い出があるか聞いてみました。戦争中に鎌倉で生まれ育った家内は自宅から裸足で松原を抜けて、由比ヶ浜に歩いて行って毎日のように海水浴をしていたそうです。そして地引網を引くのを手伝って小魚をもらったことを楽しそうに話します。
当時、海水浴は最大の娯楽だったので親類が沢山泊まりに来て一緒に海水浴を楽しんだそうです。
それにしても80歳になった現在、夏の海の追憶を心に描いても、もうあの時は返ってこないのです。特に大津波で洗い流された海水浴場の風景は永久に返って来ないのです。美しい松原が消えてしまい、巨大で殺風景な堤防がえんえんと砂浜を威圧しているだけです。
今日の挿し絵代わりの写真は50歳のときヨットを習った江の島ヨットハーバーと茅ケ崎海岸の風景写真です。先日撮って来た写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)