後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

宗教を趣味にしている私は変でしょうか?

2016年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム
自分の趣味は若い時読んだ比較文化人類学の何冊かの本によって影響を受けたようです。現在でも世界中の民族文化に興味があります。
そしてそれぞれの民族の精神の中心にある宗教にも興味があります。
そのような背景で私の趣味が宗教になってしまいました。いろいろな民族の宗教を調べたり、近辺の神社やお寺を見に行って、独りで楽しんでいます。
例えば一例として写真に最近、訪れた清瀬市の長命寺の写真を示します。

1番目の写真は長命寺の山門の写真です。

2番目の写真はそのお寺の本堂の脇にある立派な薬師堂の写真です。

3番目の写真はこの薬師堂の中に祀ってある清瀬市の重要文化財の薬師如来像の説明板の写真です。

この説明板が非常に面白いのです。
この薬師如来像は新田家のものだったのです。鎌倉幕府を倒した新田義貞の家系が大切にしていた薬師如来像だったのです。
こんなことを知って私は嬉しくなるのです。独りで楽しめる趣味なのでもう40年くらいも続けています。
この私の宗教趣味はキリスト教も対象にしています。特に1549年、ザビエルが日本へキリスト教を伝承して以来の歴史にも興味があります。
ですから昨年は隠れキリシタンが多数住んでいた五島列島にも旅をしました。そこでは新しい発見をしました。江戸時代の五島の仏教徒や神道の人々が隠れキリシタンをかばった様子が伺えたのです。お寺の檀家の隠れキリシタンと仏教徒が同じ檀徒同士として仲良くしていたのです。

隠れキリシタンの歴史を調べているうちに私はカトリックの信徒になってしまいました。
そして現在はカトリックも仏教と同じように私の趣味になっています。

比較文化人類学的に仏教とカトリックを比較すると仏教のことがより深く理解出来るのです。
お釈迦さまが何故、仏像を作るなと言ったかが分かるのです。お釈迦様が何故、死んだら遺骨を野に捨てよと言ったか分かるのです。
唐時代の玄奘三蔵法師が何故、遺骨を長安郊外の野に捨てさせたか、その理由が理解出来るのです。

そんなわけで現在も私はカトリックを趣味として毎週の日曜日のミサを楽しんでいます。
カトリックを趣味と思っている私は変でしょうか?
私自身も、少し変だと思っていました。
そうしたら先週のミサで説教をしていたある神父さまがキリスト教を趣味のように楽しんで下さいと言明したのです。
趣味にして良いというメッセージです。
そうです。宗教はマナジリを決して狂信するものではありません。狂信するとろくなことがありません。
一呼吸おいて肩の力を抜いて楽しむほうが良いと思います。趣味の一つとして楽しむのです。宗教を趣味にしている私は変でしょうか?
今日もこれから家内とミサに行きます。

そして、皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)