後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

梅雨にはアジサイの花、そして白居易の紫陽花の漢詩

2016年06月09日 | 日記・エッセイ・コラム
梅雨に入りましたね。これから毎日、雨や曇りの日が続き、鬱陶しい気持ちになります。
しかしこの季節には色とりどりのアジサイの花々が咲き人々の心を明るくしてくれます。その上、白、青、紫、赤などの花の色も時間とともに変化していきます。
このアジサイは日本古来の花で万葉集にも和歌があります。そしてアジサイは漢字で紫陽花と書きますが、それは白居易の紫陽花の漢詩に由来しています。
この紫陽花の原産地は日本と言われています。ヨーロッパで品種改良されアジア、ヨーロッパ、アメリカなどで観賞用に広く栽培されている花です。
高齢の方々は雨の中で鮮やかに咲いていた紫陽花の花にいろいろな思い出をお持ちと存じます。その思い出を回想しながらこの短いコラムをお楽しみ下さい。
そこで今日はまず紫陽花の花の写真をご覧頂きたいと思います。その後に万葉集の紫陽花の歌と白居易の紫陽花の漢詩をご紹介致します。

ここに示す5枚の写真は薬草植物園や東村山の北公園や神代植物公園で自分で今年、撮った写真です。







これらの写真の5番目の写真はガクアジサイと言います。もっと鮮やかなガクアジサイが多種あり、私の好きな種類です。
このガクアジサイは房総半島、三浦半島、伊豆半島、伊豆諸島、足摺岬、南硫黄島、北硫黄島などの海岸に自生しているそうです。
もともとは海岸に自生していたので、ハマアジサイとも呼ばれる時もあるそうです。

アジサイは『万葉集』では「味狭藍」や「安治佐為」と万葉仮名で書かれています。ですから日本では古くから「アジサイ」と似た発音で呼ばれていたようです。
万葉集の巻二十、4448に収められる橘諸兄の「味狭藍(あじさゐ)の花に寄せて」詠んだ歌をご紹介します。

あじさゐの八重さくごとく八つ代にを いませ我が背子見つつ偲ばむ

アジサイが幾重にも重なって咲く様子から、そのようにいつまでも健やかにいて下さいと夫を偲んでいる様子を歌っています。

さて現在、日本語で漢字表記に用いられる「紫陽花」は、唐の詩人白居易の漢詩に由来します。
彼が杭州の長官だった頃、郊外にある招賢寺という山寺を訪れると、そこにひっそりと咲く見知らぬ花を見出しました。白居易はこの花を「紫陽花」と名付けて、次の七言絶句一首を作ったのです。

何年植向仙壇上   
早晩移栽到梵家   
雖在人間人不識   
与君名作紫陽花   

何れの年に植えて仙壇上に向かう
早晩移し栽えて梵家に到る
人間に在りと雖も人識らず
君に名を与えて紫陽花と作す


いつのころに仙人の世界で植えられたのだろう
いつ、それがこの寺にまで植えられるようになったのだろう
人間の世界にありとはいえども、誰もその名前も知らない
貴方に紫陽花と言う名前を上げましょう。


しかし白居易は別の花、おそらくライラックを見て紫陽花と言ったと言われています。平安時代の学者源順がアジサイにこの漢字をあてたことから誤って広まったそうです。
現在の中国語ではアジサイのことを「綉球花」あるいは「八仙花」と書くそうです。。

皆様ご存知の通り、白居易は白楽天ともいい9世紀中国の詩人です。生涯に作った詩は膨大な数に及び彼自身の自選による「白氏文集」(845年)には3840編以上の詩がおさめられていたと言います。

さてこれから気分が滅入りがちな梅雨の季節が続きます。雨にも負けず近所の紫陽花の花を観賞したり写真に撮ったして楽しく過ごしましょう。紫陽花の花は根気よく8月まで咲いています。紫陽花のある風景は梅雨の時期の風物詩です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

参考文献:
アジサイ、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%B5%E3%82%A4
白居易の漢詩、http://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/05da4b266036137cd5f09eec1d419526