今日は広島の原爆犠牲者の追悼式のある日です。72年まえの今日の午前8時15分に投下され、一瞬にして20万人以上の人々が犠牲になったのです。毎年、粛然とした気持ちになり、ご冥福を祈ります。そして、亡くなられて人々の一生を想うと、何故か空しい気持ちになります。
ことしはオバマ大統領の広島訪問で私の気持ちも少し癒されました。
それにしても人間の一生とは何なのでしょうか?
よく人間は万事塞翁が馬と言います。そして一生は邯鄲の夢などとも言います。
悲しみを感じながら考えさせられる今日、一日です。
そこで今日はもう一つの、しみじみとした人生のおはなしをお送り致したいと思います。
それは朴壽根(1914~1965)という画家の生涯のおはなしです。
現在は朝鮮半島で一番尊敬されている画家だそうです。しかし彼の一生は苦しみの連続でした。
彼は12歳の時、ミレーの「晩鐘」を見て、電撃を受け「私はミレーのような画家になる」と決心したのです。そしてそのミレーの精神を一生忘れずに描き続けたのです。
彼は貧しいキリスト教徒の家に生まれ、江原道の楊口で小学校を卒業したのです。学歴はそれだけでした。
それでも、その小学校には日本人の校長がいて、その校長先生が朴壽根の描く図画を絶賛し、画家になるように薦めたのです。
朴壽根の家は貧乏で、上級の学校へは行けません。そんな折に偶然目にしたミレーの「晩鐘」に感動を受け、日本人の校長先生の薦めに従う決心したのです。それは1926年のことでした。
日本の領有時代の当時、何の縁故も人脈も無かった彼には「鮮展=朝鮮美術展覧会」が唯一の作品発表の場でした。
最初に「春が来る」という水彩画が1932年に入選し、その後油絵も数回入選しました。
「鮮展」図録に掲載された彼の出品作は、農村の風景と女性たちの生活を主題にした作品が大多数で、戦後の韓国独立後の作品まで同じ作風で描かれているのです。
彼の絵画を見ると日本による領有も第二次大戦も朝鮮動乱も一切感じられません。
素朴で平和な人々の営みを静かに描いているだけです。しかし何か人生の哀歓が浮き上がってくるのです。
さっそく彼の絵画の写真をご紹介いたします。
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1番目の写真は朴壽根の1950年作の「洗濯場」(37×72cm)です。農村の小川で数人の農婦が洗濯している光景です。非常に単純化したフォルムにしみじみとした情感を漂わせています。
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2番目の写真は彼が好んで描いた農村風景の一枚です。
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3番目の写真は農村の光景を描いた1957年作の水彩画(24.5×30cm)です。彼はその場の大気を描いています。
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4番目の写真は当時の農村によく見かけた子守の光景です。赤ん坊が安心して寝ています。少女が何か考えごとをしているようです。安らかさの中に寂寥感を感じます。
私は朴壽根の絵画が好きです。インターネットで朴壽根を検索すると彼の絵画の写真が出て来ます。
彼は自分の絵画世界を次のように説明しています。
「私は人間の善良さと真実さを描かなければならないという芸術に対しての非常に平凡な見解を持っています。したがって私が描く人間性は単純であり、多彩ではありません。私は彼らの家庭にいる平凡なお祖父さん、お祖母さん、そして小さな子供達のイメージを最も親しんで描きます」
これはミレーがひたすら人間の善良さと真実さを描き続けたのと同じなのです。12歳の時にミレーのような画家になると決心し、ミレーのと同じ気持ちを一生持ち続けたのです。
しかしミレーの真似ではありません。ミレーの精神に共感しながら独自の絵を描き続けたのです。
そんな一生を送った朴壽根と家族の写真をご紹介いたします。
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5番目の写真は朴壽根一家の写真です。1940年代、隣の家の娘であった金福順と結婚し、長女が幼かったころの朴壽根一家です。彼の後ろには多数の絵画作品が立てかけてあります。
この写真に写っている朴壽根の顔は素朴です。この写真を見て私は嬉しくなります。家族を持って幸せそうな彼の姿を見て嬉しくなります。
しかしそれも束の間、彼は1965年、51歳の若さで亡くなりました。
絵を見て何を感ずるかは人それぞれです。変な感想や評論は書くべきとはないと知っています。
しかし一言だけ書かせてください。彼の絵画には人間へ対する深い愛情を感じます。そして悲しみも感じます。この寂寥感は日本の文化の基底をなす無常観と同じだと思います。
彼の一生を考えると、こんなしみじみとした人生があるものだと感じるのです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
======参考資料==================
(1)朴壽根の生涯:
http://jpn.gwd.go.kr/gw/jpn/sub03_02_02
(2)朴壽根生誕100周年記念展示会がソウル、仁寺洞のカナインサアートセンターで開催されました。2014年1月17日より3月16日までの約100日でした。展示作品は油絵90余点、水彩画とデッサンが30余点で合計120点以上展示されています。
(3)朴壽根美術館
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http://4travel.jp/travelogue/10681329
ことしはオバマ大統領の広島訪問で私の気持ちも少し癒されました。
それにしても人間の一生とは何なのでしょうか?
よく人間は万事塞翁が馬と言います。そして一生は邯鄲の夢などとも言います。
悲しみを感じながら考えさせられる今日、一日です。
そこで今日はもう一つの、しみじみとした人生のおはなしをお送り致したいと思います。
それは朴壽根(1914~1965)という画家の生涯のおはなしです。
現在は朝鮮半島で一番尊敬されている画家だそうです。しかし彼の一生は苦しみの連続でした。
彼は12歳の時、ミレーの「晩鐘」を見て、電撃を受け「私はミレーのような画家になる」と決心したのです。そしてそのミレーの精神を一生忘れずに描き続けたのです。
彼は貧しいキリスト教徒の家に生まれ、江原道の楊口で小学校を卒業したのです。学歴はそれだけでした。
それでも、その小学校には日本人の校長がいて、その校長先生が朴壽根の描く図画を絶賛し、画家になるように薦めたのです。
朴壽根の家は貧乏で、上級の学校へは行けません。そんな折に偶然目にしたミレーの「晩鐘」に感動を受け、日本人の校長先生の薦めに従う決心したのです。それは1926年のことでした。
日本の領有時代の当時、何の縁故も人脈も無かった彼には「鮮展=朝鮮美術展覧会」が唯一の作品発表の場でした。
最初に「春が来る」という水彩画が1932年に入選し、その後油絵も数回入選しました。
「鮮展」図録に掲載された彼の出品作は、農村の風景と女性たちの生活を主題にした作品が大多数で、戦後の韓国独立後の作品まで同じ作風で描かれているのです。
彼の絵画を見ると日本による領有も第二次大戦も朝鮮動乱も一切感じられません。
素朴で平和な人々の営みを静かに描いているだけです。しかし何か人生の哀歓が浮き上がってくるのです。
さっそく彼の絵画の写真をご紹介いたします。
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1番目の写真は朴壽根の1950年作の「洗濯場」(37×72cm)です。農村の小川で数人の農婦が洗濯している光景です。非常に単純化したフォルムにしみじみとした情感を漂わせています。
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2番目の写真は彼が好んで描いた農村風景の一枚です。
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3番目の写真は農村の光景を描いた1957年作の水彩画(24.5×30cm)です。彼はその場の大気を描いています。
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4番目の写真は当時の農村によく見かけた子守の光景です。赤ん坊が安心して寝ています。少女が何か考えごとをしているようです。安らかさの中に寂寥感を感じます。
私は朴壽根の絵画が好きです。インターネットで朴壽根を検索すると彼の絵画の写真が出て来ます。
彼は自分の絵画世界を次のように説明しています。
「私は人間の善良さと真実さを描かなければならないという芸術に対しての非常に平凡な見解を持っています。したがって私が描く人間性は単純であり、多彩ではありません。私は彼らの家庭にいる平凡なお祖父さん、お祖母さん、そして小さな子供達のイメージを最も親しんで描きます」
これはミレーがひたすら人間の善良さと真実さを描き続けたのと同じなのです。12歳の時にミレーのような画家になると決心し、ミレーのと同じ気持ちを一生持ち続けたのです。
しかしミレーの真似ではありません。ミレーの精神に共感しながら独自の絵を描き続けたのです。
そんな一生を送った朴壽根と家族の写真をご紹介いたします。
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5番目の写真は朴壽根一家の写真です。1940年代、隣の家の娘であった金福順と結婚し、長女が幼かったころの朴壽根一家です。彼の後ろには多数の絵画作品が立てかけてあります。
この写真に写っている朴壽根の顔は素朴です。この写真を見て私は嬉しくなります。家族を持って幸せそうな彼の姿を見て嬉しくなります。
しかしそれも束の間、彼は1965年、51歳の若さで亡くなりました。
絵を見て何を感ずるかは人それぞれです。変な感想や評論は書くべきとはないと知っています。
しかし一言だけ書かせてください。彼の絵画には人間へ対する深い愛情を感じます。そして悲しみも感じます。この寂寥感は日本の文化の基底をなす無常観と同じだと思います。
彼の一生を考えると、こんなしみじみとした人生があるものだと感じるのです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
======参考資料==================
(1)朴壽根の生涯:
http://jpn.gwd.go.kr/gw/jpn/sub03_02_02
(2)朴壽根生誕100周年記念展示会がソウル、仁寺洞のカナインサアートセンターで開催されました。2014年1月17日より3月16日までの約100日でした。展示作品は油絵90余点、水彩画とデッサンが30余点で合計120点以上展示されています。
(3)朴壽根美術館
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