後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「多摩川上流でマス釣りを楽しんでいる人々の風景」

2016年08月17日 | 写真
先週の12日、多摩川上流の「多摩フィッシングセンンター」で撮っ写真です。人々がのんびりと楽しそうに釣りを楽しんでいる光景です。
バーベキューをしている人もいます。
清流に泳いでいるマスを釣り上げるのは素人には難しいものです。
釣れなくても楽しそうです。それでも、たまに釣り上げている人がいます。
夏休みの長閑な風景をお楽しみ下さい。









我が故郷、仙台の戦前、戦後の風景を懐かしむ

2016年08月17日 | 日記・エッセイ・コラム
誰でも自分が生まれた頃の故郷の風景が懐かしいと思います。幼いながら心に焼き付いている光景も沢山あるのが普通です。
皆様はそのような昔の故郷の風景をご覧になりたいとお思いではありませんか?
幸い最近はインターネットが発達して昔の日本各地の風景が数多く記録されています。ですから根気よく検索して行くと自分が幼少だった昔の風景が見つかるのです。
私は昭和11年、1936年に仙台で生まれました。その仙台を例にして昔の故郷の風景を幾つか見つけましたのご紹介したいと存じます。
昭和という時代は大きな戦争に明け暮れました。そして徹底的な敗戦、続いてアメリカ軍による占領がありました。外国軍による日本全土の占領は歴史上はじめての一大事件です。
故郷の仙台には昭和11年から昭和35年にアメリカへ留学するまで24年間住んでいました。ですから仙台は私の大切な故郷です。
仙台に関しては2011年に、以下の4編の記事を、http://blog.goo.ne.jp/yamanasi-satoyama に掲載しています。
追憶の中の我が仙台(1)東洋館、いかり亭、観月亭、黒門下の湯など 
2011年11月21日 掲載記事
追憶の中の我が仙台(2)ベーブ・ルースが来て2本のホームランを打つ 
2011年11月21日 掲載記事
追憶の中の我が仙台(3)仙臺味噌と四代目八木久兵衛とのかかわり 
2011年11月21日 掲載記事
追憶の中の我が仙台(4)思い出のなかの故郷を探す旅
2011年11月22日 掲載記事
そこで、今日は私の追憶にある仙台の風景写真をいろいろ探して、皆様へご紹介したいと思います。
ここでは仙台の風景だけを示しますが、日本全国の都市はほぼ同じような風景がひろがっていたと思います。是非、皆様も故郷の昔の風景写真をインターネットで探してご覧になりませんか?

1番目の写真は戦前の仙台駅です。ここから父の実家のあった兵庫へ何回も里帰りしました。人力車に乗って駅まで行ったのです。

2番目の写真は戦後、新しく建てた仙台駅です。市電がその前を走っています。


3番目の写真は昭和30年ころの市電です。市内のあちこちへ行くときよく乗ったものです。

4番目の写真は戦災で焼ける前の伊達正宗の霊廟の瑞鳳殿です。

5番目の写真は 戦災で焼ける前の青葉城の大手門と隅櫓です。

6番目の写真は国分町と大町通りの交差点にあった高札場跡の芭蕉の辻です。

7番目の写真は繁華街の国分町の風景です。軍人が歩いていますが、仙台には第二師団という大きな師団がおかれていて、町には何時も軍人さんが歩いていました。第二師団長の多門大将の名前をつけた「多門通り」という通りもあったものです。

8番目の写真は繁華街の東一番丁通りと大町通りの交差点です。大町通りの東方向に見た時の写真です。右側にある大きなビルは藤崎百貨店です。仙台の地元の百貨店ですが、この他に三越の仙台店が東一番丁通りの北の端にありました。
藤崎も三越も戦災で内部が少し焼けましたが、戦後すぐに復興して仙台市民を明るくしてくれました。

これらの写真を見ていると、戦前、戦後の日本の貧しさがしみじみと身に感じます。
こんなに貧しいにもかかわらず、よくアメリカ相手に戦争をしたものだと驚いてしまいます。日本人は狂っていたのでしょうか。茫々80年、時代の変化に隔世の感を深くします。
昔の日本の風景を見ると現在の豊かさに吃驚します。そしてこの豊かな日本に生きていることに感謝します。人間は感謝の気持ちがあると幸せになると言います。
ですから昔の故郷の写真を見ると懐かしいと胸がうずくと同時に幸福感につつまれます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りもうしあげます。後藤和弘(藤山杜人)