これは全国的な現象でした。家族でしていた愛すべ店々が次第に衰退しはじめたのです。それは1975年頃からだったでしょうか。それが決定的になって、個人商店が消えてしまったのは1990年頃のバブル経済の崩壊の頃です。それ以後、全国の各地には所謂、「シャッター通り」が出来てしまいました。この社会の変化は淋しいものです。
今日はこの家族経営をしていた酒屋さんと花屋さんの店仕舞いについて書いてみたいと思います。どちらの店も私共にとってはかけがえのない大切な店でした。愛していた店でした。
哀惜の念が堪えません。写真にしたがってご説明いたします。
1番目の写真は1963年に小金井市本町小学校西交差点から北に向かって撮影した写真です。私達の家の近所です。
私どもが小金井市へ引っ越してくる前の年の風景です。
道路は砂埃の舞い上がる土の道で、交差点には信号機が一切付いていませんでした。
道の左手に酒、味噌、醤油、野菜などを売る三晃酒店という家族経営の店が一軒あるきりでした。写真の左の方に「ジューキパン」という看板が出ている店です。
その周囲には畑になっていて野菜が伸びています。
この道の奥の左側には現在は消防車庫になっている火の見櫓があり、その向こうは当時としては贅沢な鉄筋コンクリート4階建ての公務員住宅が並んでいました。
引っ越してから食料品は、毎日この三晃酒店から買っていました。家内が仲良くなりずいぶん長い間のお付き合いでした。それがバブル経済崩壊の前後頃に倒産してしまい消えてしまったのです。一家離散でした。その後、家内が仲良かったおばさんが小奇麗な姿で歩いている時会ったそうです。主人は亡くなりましたが、同じ市内のアパートに元気に住んでいると話していたそうです。
2番目の写真は現在の同じ場所の写真です。道路の左にあるマンションと果物の看板のある八百屋さんが、昔の三晃酒店の跡地に建っています。
日本の高度成長の結果、土の道は完全舗装され信号機も付きました。
道路の両側から畑が消え、住宅や商店が綺麗に並んでいます。泥や土埃が完全になくなり清潔な街路になりました。
しかし以前に、この通りで繁盛していたソバ屋さん、本屋さん、電気屋さん、お茶屋さん、御菓子屋さんなどの個人商店が20年くらい前から一軒一軒と消えて行きました。
京王ストアーというスーパーだけが生き残りましたが、それも2,3年前に店仕舞いをしてしまいました。
日本の経済の高度成長のお陰で我々の生活レベルは格段良くなりましたが、何故か淋しいかぎりです。
1番目の写真と比べて見ると1963年の日本の貧しさが肌に感じることが出来ると思います。
(1963年の写真の出典は、小金井市教育委員会、編集・発行CD「写真でたどる昭和の小金井」 です。)
一方、このような大きな変化は日本全国で起きました。
例えば東京駅の丸の内出口の前の旧丸ビルも無くなりました。有楽町駅前の日劇ビルや朝日新聞社も消えてしまいました。
そして小金井でももう一つの園芸店の店仕舞いを書き残しておきたいと思います。
家内と一緒によく花や植木を買った馴染み深い店も突然倒産して消えてしまったのです。常日頃なじんで、生活の一部になっていた花屋さんが消滅したのです。それは衝撃的な出来事でした。
広い温室に熱帯の花々をあふれるように飾っていた園芸店でした。
店も広くて2棟の店内には鉢植えの花々が沢山売っています。店の前には蜜柑、柚子、柿、栗、葡萄の苗木が小さな実をつけて売っていたのです。
毎年、年末になると見事なシクラメンの鉢を幾つも買うのが家内の楽しみでした。
八重桜の苗やライラックの苗も買いました。柚子や蜜柑の木も植えて楽しんでいました。
何時行っても四季折々の花々が豊かに飾ってあるので、植物園へでも行くような気分で家内と散歩のように通ったお店です。
3番目の写真はこの店の温室にあったようなランの花です。
4番目の写真はこの店先に並んでいたような切り花の写真です。
あれは50年以上前でしょうか、その店で、背の高い物静かな青年が一人で花々の苗を育てていました。その青年から、雪の間に鮮やかに咲いていたパンジーの苗を買ったのが付き合いの始まりでした。
間もなく陽気な体格の良いお嫁さんが来て、温室を建て、その数が次第に増え、商売が繁盛します。アルバイトの若い男女を大勢使うようになり華々しい雰囲気の園芸店になりました。
それがバブル経済の余波を受けて、突然倒産し消滅してしまいました。
張り切って花を栽培し、あちこちから仕入れて来て、売っていた陽気な奥さんと、物静かな夫の姿も消えました。
あれ以来二度と会っていません。何処か遠方へ行ってしまったようです。
しばらく空地になっていましたが、突然、回転寿司がやってきました。
5番目の写真はやって来た「くら寿司」という回転寿司の写真です。
私は一人で出かけ、寿司を食べながら「ああ、この辺には温室が有ったなあ!色々なランの花々が有ったなあー」と、花々のことを鮮明に思い出しながら食べます。その折々の家内の明るく輝く顔も思い出します。
新しいお寿司やさんは、値段の割には努力している店です。その上、私の心の中には美しい花々が有るので楽しんで食べることが出来ます。
しかし、それと同時に世のはかなさを感じ、悲しい思いにさせられる場所でもあります。
楽しくて、悲しくて、はかなくて、せつない。
老齢になるとそんな気持に時々なるもののようです。
皆様方にはそのような場所があるでしょうか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
今日はこの家族経営をしていた酒屋さんと花屋さんの店仕舞いについて書いてみたいと思います。どちらの店も私共にとってはかけがえのない大切な店でした。愛していた店でした。
哀惜の念が堪えません。写真にしたがってご説明いたします。
1番目の写真は1963年に小金井市本町小学校西交差点から北に向かって撮影した写真です。私達の家の近所です。
私どもが小金井市へ引っ越してくる前の年の風景です。
道路は砂埃の舞い上がる土の道で、交差点には信号機が一切付いていませんでした。
道の左手に酒、味噌、醤油、野菜などを売る三晃酒店という家族経営の店が一軒あるきりでした。写真の左の方に「ジューキパン」という看板が出ている店です。
その周囲には畑になっていて野菜が伸びています。
この道の奥の左側には現在は消防車庫になっている火の見櫓があり、その向こうは当時としては贅沢な鉄筋コンクリート4階建ての公務員住宅が並んでいました。
引っ越してから食料品は、毎日この三晃酒店から買っていました。家内が仲良くなりずいぶん長い間のお付き合いでした。それがバブル経済崩壊の前後頃に倒産してしまい消えてしまったのです。一家離散でした。その後、家内が仲良かったおばさんが小奇麗な姿で歩いている時会ったそうです。主人は亡くなりましたが、同じ市内のアパートに元気に住んでいると話していたそうです。
2番目の写真は現在の同じ場所の写真です。道路の左にあるマンションと果物の看板のある八百屋さんが、昔の三晃酒店の跡地に建っています。
日本の高度成長の結果、土の道は完全舗装され信号機も付きました。
道路の両側から畑が消え、住宅や商店が綺麗に並んでいます。泥や土埃が完全になくなり清潔な街路になりました。
しかし以前に、この通りで繁盛していたソバ屋さん、本屋さん、電気屋さん、お茶屋さん、御菓子屋さんなどの個人商店が20年くらい前から一軒一軒と消えて行きました。
京王ストアーというスーパーだけが生き残りましたが、それも2,3年前に店仕舞いをしてしまいました。
日本の経済の高度成長のお陰で我々の生活レベルは格段良くなりましたが、何故か淋しいかぎりです。
1番目の写真と比べて見ると1963年の日本の貧しさが肌に感じることが出来ると思います。
(1963年の写真の出典は、小金井市教育委員会、編集・発行CD「写真でたどる昭和の小金井」 です。)
一方、このような大きな変化は日本全国で起きました。
例えば東京駅の丸の内出口の前の旧丸ビルも無くなりました。有楽町駅前の日劇ビルや朝日新聞社も消えてしまいました。
そして小金井でももう一つの園芸店の店仕舞いを書き残しておきたいと思います。
家内と一緒によく花や植木を買った馴染み深い店も突然倒産して消えてしまったのです。常日頃なじんで、生活の一部になっていた花屋さんが消滅したのです。それは衝撃的な出来事でした。
広い温室に熱帯の花々をあふれるように飾っていた園芸店でした。
店も広くて2棟の店内には鉢植えの花々が沢山売っています。店の前には蜜柑、柚子、柿、栗、葡萄の苗木が小さな実をつけて売っていたのです。
毎年、年末になると見事なシクラメンの鉢を幾つも買うのが家内の楽しみでした。
八重桜の苗やライラックの苗も買いました。柚子や蜜柑の木も植えて楽しんでいました。
何時行っても四季折々の花々が豊かに飾ってあるので、植物園へでも行くような気分で家内と散歩のように通ったお店です。
3番目の写真はこの店の温室にあったようなランの花です。
4番目の写真はこの店先に並んでいたような切り花の写真です。
あれは50年以上前でしょうか、その店で、背の高い物静かな青年が一人で花々の苗を育てていました。その青年から、雪の間に鮮やかに咲いていたパンジーの苗を買ったのが付き合いの始まりでした。
間もなく陽気な体格の良いお嫁さんが来て、温室を建て、その数が次第に増え、商売が繁盛します。アルバイトの若い男女を大勢使うようになり華々しい雰囲気の園芸店になりました。
それがバブル経済の余波を受けて、突然倒産し消滅してしまいました。
張り切って花を栽培し、あちこちから仕入れて来て、売っていた陽気な奥さんと、物静かな夫の姿も消えました。
あれ以来二度と会っていません。何処か遠方へ行ってしまったようです。
しばらく空地になっていましたが、突然、回転寿司がやってきました。
5番目の写真はやって来た「くら寿司」という回転寿司の写真です。
私は一人で出かけ、寿司を食べながら「ああ、この辺には温室が有ったなあ!色々なランの花々が有ったなあー」と、花々のことを鮮明に思い出しながら食べます。その折々の家内の明るく輝く顔も思い出します。
新しいお寿司やさんは、値段の割には努力している店です。その上、私の心の中には美しい花々が有るので楽しんで食べることが出来ます。
しかし、それと同時に世のはかなさを感じ、悲しい思いにさせられる場所でもあります。
楽しくて、悲しくて、はかなくて、せつない。
老齢になるとそんな気持に時々なるもののようです。
皆様方にはそのような場所があるでしょうか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)