後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

最近の日本社会の変化(4)インターネットによる社会革命

2018年06月05日 | 日記・エッセイ・コラム
1990年頃、いわゆるバブル経済が崩壊しました。それまでの日本社会では、大会社が傘下に数多くの中小企業を従え、日本経済の発展を牽引して来たのです。ところがバブル経済の崩壊で、この大会社が中小企業を支配するという社会構造が一挙に崩れ去ったのです。
その上、1990年ころからインターネットが普及しはじめました。このインターネットの普及が大会社中心の社会の崩壊に拍車をかけたのです。それは日本の多くの分野の人間関係まで変える大きな社会革命を起こしたのです。
日本の縦社会が横社会に変わったのです。
今日はこのインターネットの普及がどのように日本社会を横社会へと変革していったかを簡略に書いてみようと思います。

初めに私の体験を書かせて下さい。
昔、私は大学の工学部で研究をしていました。研究の関連で幾つもの大会社の中央研究所の方々に大変お世話になりました。
一緒にビールも飲みました。すると時々ハッとする発言をするのです。
傘下の子会社の人々を軽蔑し、見下したような発言をするのです。あしざまに批判するのです。
そして会社内の出世速度と派閥の関係を説明してくれるのです。
転勤は絶対命令だと言います。会社への忠誠心が最も重要だとも言います。
そして他の会社外の人とは親しくなってはいけないのす。企業秘密が漏れる恐れがあるからです。
終生同じ会社で働けば、出世も出来るのです。会社の中は年功序列のタテ型身分制度なのです。
そして、定年後は子会社へ天下りさせてくれるのです。
これが高度成長期の大会社で働いていた人々の共通な考え方であったのです。

ところが1990年前後に「バブル経済」が破綻します。不動産を担保にして業務拡大してきた大手銀行が破綻する。銀行から多額の借り入れをして、生産設備拡大を繰り返してきた大会社も当然、経営に行詰まる。関連子会社を独占的に傘下に入れて面倒をみる経済的な余力が無くなる。子会社群の解散が必然的に起きる。こんな社会現象が起きたのです。

その時あたかも各家庭にコンピューターが普及したのです。インターネットを使うことが日常茶飯事になったのです。多くの日本人がFace Book やその他のSNS(Social Network System)に入会します。ブログを書く人も何百万人と増大しました。
すると異なった分野の人の交流が盛んになります。老いも若いも一緒になって意見を交換します。男女の間でも話合いが盛んになります。知り合った人同士も会って友人になります。Face Book を通して外国人とも直接交流します。
すると従来は同じ会社の人としか話をしなかった人があらゆる分野の人々と話し合うようになります。

その結果は明白です。人間の価値は国籍や所属する会社とは関係ないということを体験的に知ることになるのです。
私もその体験をしました。人間の価値は国籍や所属する会社とは関係ないと確信するようになりました。
これが横社会の基盤になるのです。
個人が自由に、そして平等な立場で考えや作品を発表することが出来るのがインタ-ネットなのです。
それはタテ社会の崩壊を起こしました。同時に、国立や公立の組織や、その他、多くの組織に残ったタテ社会を弱める重要な社会的貢献もしているのです。
一方、インタ-ネットの普及で生活が便利になりました。航空便の席の予約もホテルの予約も自宅から出来るようになりました。全国の珍しい食品もインタ-ネットで取り寄せられます。知りたい情報もインタ-ネットで検索すると瞬時に分かります。百科事典も要りません。図書館へ行く必要もありません。手紙も写真も世界各地へ瞬時に送れます。
このように生活を便利にしたこともインタ-ネットの重要な働きです。

しかしそれ以上に重要な働きは、日本のタテ社会をヨコ社会にし、人間の完全な平等をもたらした働きだったのです。
ですから私はインターネットが日本社会に革命を起こしたと言うのです。それは銃口から生まれた革命ではなく、静かな革命でした。一朝一夕に起きた革命ではなく数年かかった革命でした。静かに起きたので気が付かなかった人々も多いのです。

今日の挿し絵代わりの写真は青梅市の「吹き上しょうぶ公園」の写真です。去年の今日撮った写真です。
紫、白、水色の絞り、覆輪など様々な花の写真をお楽しみ下さい。
開花情報や交通の便などは、http://www.omekanko.gr.jp/Iris/Iris.php にあります。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)