北海道の風景はロマンチックです。異国的です。いろいろ美しい場所があります。知床、羅臼、釧路湿原、野付半島、層雲峡、阿寒湖、摩周湖、屈斜路湖、洞爺湖、支笏湖などなど枚挙にいとまがありません。
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1番目の写真は富良野の富田ファームのランベンダーの花畑の景観です。
このように美しい北海道は皆が憧れ、四季折々訪れる人が多いのです。
しかしこの北海道に本州から追い上げられたアイヌ人の歴史はとかく見落とされています。
そこで今日はその歴史を大まかにご紹介したいと思います。
北海道は本州以南とは違った独自の歴史を持っているです。
旧石器時代から縄文時代までは北海道の歴史は本州とほぼ同じでしたが、その後の本州の弥生時代や古墳時代は北海道には存在しません。
その代わり、続縄文時代が本州での古墳時代の頃まで続いたのです。
その後は北海道のオホーツク沿岸地方はオホーツク文化時代とそれ以外の中部と南部の北海道では擦文文化時代が鎌倉時代のはじめまで続いたのです。
擦文文化時代とは、その時代の土器に筆で擦ったような模様がついていたのでそのような名がついています。
そして鎌倉時代の始めからは独自のアイヌ文化が成立し、そのアイヌ文化時代が明治維新まで続いたのです。
狭い意味でアイヌ民族と呼ぶのは、この鎌倉時代から明治維新まで続いた独特な文化の担い手の人々の事です。
広い意味でのアイヌ人とは旧石器時代から縄文時代まで北海道や本州にいた先住民族を意味します。
そのような特異な北海道の歴史については北海道教育委員会のHPで明快に説明してあります。そのURLは、http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/bnh/maizou.htm です。
以下にこのHPの抜粋を示します。
何故、北海道には、弥生時代や古墳時という時代区分がなかった?
北海道は、本州と津軽海峡を挟み、気候も寒冷であるため、本州とはちがう独自の文化を育みました。
本州でいう弥生時代、古墳時代の頃は、北海道のアイヌ人は「続縄文時代」や「オホーツク文化期」を迎えていました。http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/bnh/grp/04/nenpyou.pdf にある北海道史年表参照 PDFを是非ご覧下さい。
北海道のあちこちの町にも、そのころの時代の遺跡があります。
平成23年度にいろいろな市町村で発掘調査が行われ、その結果の概要は北海道教育委員会のHPに詳しく紹介されています。
そしてそれらの遺跡の様子や土器、石器、木製品、土偶などは北海道立埋蔵文化財センターに展示されています。
展示には以下のものが含まれています。
1 埋蔵文化財包蔵地数一覧
2 埋蔵文化財保護のための事前協議
3 重要文化財 ママチの土面
4 北海道の珍しい土器やアクセサリーなど
5 埋蔵文化財 Q&A
6 出土文化財を見ることのできる主な博物館・資料館
さてそれはそれとして、縄文時代の不思議な遺跡として約4000年くらい前に作られたストーンサークルがあります。
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2番目の写真は海道の森町にあるストーンサークルの写真です。
写真の出典は、http://aomori-jomon.jp/essay/?p=715 です。
このストーンサークルの詳細は写真の出典に出ていますので、是非ご覧下さい。
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3番目の写真は秋田県大湯で見つかった日本最大のストーンサークルの写真です。
この写真の出典は、http://www.kensoudan.com/firu-kita-y/ooyu2.html です。
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4番目の写真は秋田県大湯で見つかった日本最大のストーンサークルの周囲に復元した縄文時代の村の展示です。
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5番目の写真は青森県の縄文遺跡の地図です。
さて、この連載の「日本人の先祖はアイヌ人(1)富士山も神もアイヌ語」と「日本人の先祖はアイヌ人(2)アイヌ人の作った東北の縄文文化」で書きましたが、日本全土の縄文文化は主にアイヌ人の祖先が作ったのです。
本州の弥生文化は南方や朝鮮、中国からの渡来、移住した人々と混血した日本人が担っていたのです。
従って、弥生遺跡や古墳が北海道に存在しないことも無理なく理解できます。
縄文時代や続縄文時代の北海道では数多くの多彩な土器が作られていました。
その文化が擦文土器に変化して、やがて鎌倉時代の初期にアイヌ文化成立したとたんに土器が消えてしまったのです。
擦文土器は本州の土師器の影響を受けたことが特徴です。ところが後にこの土器は衰退し、アイヌ人は煮炊きにも鉄器を用いるようになったのです。
さて北海道南部と青森には縄文文化が同時に花咲いたのです。
北海道にアイヌ文化が広がる前の縄文時代や石器時代(無土器時代)はいろいろ未知のことも多く、興味がつきません。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
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1番目の写真は富良野の富田ファームのランベンダーの花畑の景観です。
このように美しい北海道は皆が憧れ、四季折々訪れる人が多いのです。
しかしこの北海道に本州から追い上げられたアイヌ人の歴史はとかく見落とされています。
そこで今日はその歴史を大まかにご紹介したいと思います。
北海道は本州以南とは違った独自の歴史を持っているです。
旧石器時代から縄文時代までは北海道の歴史は本州とほぼ同じでしたが、その後の本州の弥生時代や古墳時代は北海道には存在しません。
その代わり、続縄文時代が本州での古墳時代の頃まで続いたのです。
その後は北海道のオホーツク沿岸地方はオホーツク文化時代とそれ以外の中部と南部の北海道では擦文文化時代が鎌倉時代のはじめまで続いたのです。
擦文文化時代とは、その時代の土器に筆で擦ったような模様がついていたのでそのような名がついています。
そして鎌倉時代の始めからは独自のアイヌ文化が成立し、そのアイヌ文化時代が明治維新まで続いたのです。
狭い意味でアイヌ民族と呼ぶのは、この鎌倉時代から明治維新まで続いた独特な文化の担い手の人々の事です。
広い意味でのアイヌ人とは旧石器時代から縄文時代まで北海道や本州にいた先住民族を意味します。
そのような特異な北海道の歴史については北海道教育委員会のHPで明快に説明してあります。そのURLは、http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/bnh/maizou.htm です。
以下にこのHPの抜粋を示します。
何故、北海道には、弥生時代や古墳時という時代区分がなかった?
北海道は、本州と津軽海峡を挟み、気候も寒冷であるため、本州とはちがう独自の文化を育みました。
本州でいう弥生時代、古墳時代の頃は、北海道のアイヌ人は「続縄文時代」や「オホーツク文化期」を迎えていました。http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/bnh/grp/04/nenpyou.pdf にある北海道史年表参照 PDFを是非ご覧下さい。
北海道のあちこちの町にも、そのころの時代の遺跡があります。
平成23年度にいろいろな市町村で発掘調査が行われ、その結果の概要は北海道教育委員会のHPに詳しく紹介されています。
そしてそれらの遺跡の様子や土器、石器、木製品、土偶などは北海道立埋蔵文化財センターに展示されています。
展示には以下のものが含まれています。
1 埋蔵文化財包蔵地数一覧
2 埋蔵文化財保護のための事前協議
3 重要文化財 ママチの土面
4 北海道の珍しい土器やアクセサリーなど
5 埋蔵文化財 Q&A
6 出土文化財を見ることのできる主な博物館・資料館
さてそれはそれとして、縄文時代の不思議な遺跡として約4000年くらい前に作られたストーンサークルがあります。
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2番目の写真は海道の森町にあるストーンサークルの写真です。
写真の出典は、http://aomori-jomon.jp/essay/?p=715 です。
このストーンサークルの詳細は写真の出典に出ていますので、是非ご覧下さい。
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3番目の写真は秋田県大湯で見つかった日本最大のストーンサークルの写真です。
この写真の出典は、http://www.kensoudan.com/firu-kita-y/ooyu2.html です。
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4番目の写真は秋田県大湯で見つかった日本最大のストーンサークルの周囲に復元した縄文時代の村の展示です。
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5番目の写真は青森県の縄文遺跡の地図です。
さて、この連載の「日本人の先祖はアイヌ人(1)富士山も神もアイヌ語」と「日本人の先祖はアイヌ人(2)アイヌ人の作った東北の縄文文化」で書きましたが、日本全土の縄文文化は主にアイヌ人の祖先が作ったのです。
本州の弥生文化は南方や朝鮮、中国からの渡来、移住した人々と混血した日本人が担っていたのです。
従って、弥生遺跡や古墳が北海道に存在しないことも無理なく理解できます。
縄文時代や続縄文時代の北海道では数多くの多彩な土器が作られていました。
その文化が擦文土器に変化して、やがて鎌倉時代の初期にアイヌ文化成立したとたんに土器が消えてしまったのです。
擦文土器は本州の土師器の影響を受けたことが特徴です。ところが後にこの土器は衰退し、アイヌ人は煮炊きにも鉄器を用いるようになったのです。
さて北海道南部と青森には縄文文化が同時に花咲いたのです。
北海道にアイヌ文化が広がる前の縄文時代や石器時代(無土器時代)はいろいろ未知のことも多く、興味がつきません。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)