後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「画家、朴壽根の誠実さと絵画の紹介」

2019年08月06日 | 日記・エッセイ・コラム
「画家、朴壽根の誠実さと絵画の紹介」
外国に行ったことも外国人と付き合ったことも無くても外国人の善良さや誠実さは会った瞬間に直感的に理解出来るものです。
愛とは他人を大切にする心です。それは国境のような人間の利己心で出来た境界など、一瞬にして飛び越してしまうものです。
その実例を以下にご紹介いたします。
朝鮮半島で尊敬されている画家に、朴壽根(1914~1965)という人がいます。パク・スネンと発音します。
彼が12歳の時、ミレーの晩鐘を見て、電撃を受けたように「私はミレーのような画家になる」と決心したのです。そしてその決心は一生変わりませんでした。
彼は貧しいキリスト教徒の家に生まれ、江原道の楊口で小学校を卒業したのみです。そして12歳の時、画家になる決心をしたのです。当時の小学校には日本人の校長がいて、その校長先生も朴壽根の描く図画を絶賛し、画家になるように薦めたのです。
しかし朴壽根は家は貧乏で、上級の学校へは行けません。偶然目にしたミレーの「晩鐘」に感動を受け決心したのです。
日本の領有時代の1930~40年代当時、何の縁故も人脈も無かった彼には「鮮展=朝鮮美術展覧会」が唯一の活動の場でした。
最初に「春が来る」という水彩画が1932年に入選し、その後油絵も数回入選しました。「鮮展」図録に掲載された彼の出品作は、農村の風景と女性たちの生活を漂わせる作品が大多数で韓国独立後の作品まで継続し描かれているのです。
1940年代、隣の家の娘であった金福順と結婚しました。
そして彼は自分の絵画世界を次のように説明しています。
「私は人間の善良さと真実さを描かなければならないという芸術に対しての非常に平凡な見解を持っています。したがって私が描く人間性は単純であり、多彩ではありません。私は彼らの家庭にいる平凡なお祖父さん、お祖母さんそして小さな子供達のイメージを最も親しんで書きます」
彼の絵画には、日本が朝鮮を領有していたことや韓国が独立したことには微塵も影響を受けなかったのです。ただミレーのように、ひたすら人間の善良さと真実さを描き続けたのです。
しかしミレーの真似ではありません。ミレーの精神に共感しながら独自の絵を描き続けたのです。
それでは朴壽根の絵画の写真を見て見ましょう。

1番目の写真は、朴壽根の「洗濯場」(37×72cm)、1950年作です。農村の小川で数人の農婦が洗濯している光景です。非常に単純化したフォルムにしみじみとした情感を漂わせています。

2番目の写真は 彼が好んで描いた農村風景の一枚です。

3番目の写真は農村の光景を描いた水彩画(24.5×30)で1957年作です。彼は本当に絵の上手い人でした。

4番目の写真は当時の農村によく見かけた子守の光景です。赤ん坊が安心して寝ています。少女が何か考えごとをしているようです。安らかさの中に寂寥感を感じます。

5番目の写真は 1940年代、隣の家の娘であった金福順と結婚し、長女が幼かったころの朴壽根一家です。彼の後ろには多数の絵画作品が立てかけてあります。
絵を見て何を感ずるかは人それぞれです。変な感想や評論は書くべきとは無いと知っています。しかし一言だけ書かせてください。彼の絵画には人間へ対する深い愛情を感じます。そして悲しみも感じます。この悲しみには日本の朝鮮領有と関係が無いいことを祈るばかりです。
朴壽根は1965年、51歳の若さで亡くなりました。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

======参考資料==================
(1)朴壽根生誕100周年記念展示会がソウル、仁寺洞のカナインサアートセンターで開催されました。2014年1月17日より3月16日までの約100日でした。展示作品は油絵90余点、水彩画とデッサンが30余点で合計120点以上展示されています。( http://iwacan-gokorea.blogspot.jp/2010/10/blog-post.html )
(2)朴壽根の生涯:
http://www5.ocn.ne.jp/~sinwoong/801.html

「猛暑のなか東京都内の水田稲作を探して彷徨う」

2019年08月06日 | 写真
夏の水田稲作の風景写真を撮ろうと猛暑の中を彷徨いました。昨日の午後のことでした。あきる野市の秋川沿いとその向こうの八王子市の香月町に稲作地帯が広がっていました。
自宅から車で1時間ほどの近い所に昔ながらの水田稲作の風景を見つけ何故かとても幸せな感じでした。
この水田稲作の風景はアジアの原風景です。日本では2000年前の弥生時代から変わらぬ農村風景です。

悠久の時を感じ昨日は本当に悠然とした気分で一日を過ごしました。

皆様もそんな気分で今日一日をお過ごしになられるように祈って昨日撮ってきた写真をお送りします。









「明後日は立秋、涼しい季節が少しずつやって来ます」

2019年08月06日 | 日記・エッセイ・コラム
ことしの立秋は8月8日です。この日を境に暑中見舞いが残暑見舞いになるそうです。
東京地方の上空の空の色が心なしか秋の色になってきたようです。
立秋が過ぎれば秋がやって来るという気配が感じられる筈です。

そこで今朝は「秋立つ」という季語を用いた俳句を読んでみました。
下に私が気に入った幾つかの俳句をご紹介いたします。
秋立つや雨後の夕ベは樹も匂ふ    田口泡水
秋立つや軽井沢にて購ふ髪飾り    柴田蓉子
秋立つや残り風鈴鳴りやまず     永野秀峰
身ほとりに物を少なく秋立ちぬ    田中藤穂
川波の縹渺として秋立てり      斎藤道子
灯台の白さに風の秋立ちぬ      須藤常央
秋立つや山に小さな美術館      前田達江
熊笹の鯖街道に秋立ちぬ       大島翠木
秋立つや蝉声はたと止むあした    久保晴子

以上は季語、「秋立つ」の句集(http://www.haisi.com/saijiki/akitatu.htm)より。
「秋たちぬ」とは美しい言葉です。秋風が吹き清涼の季節が始まるという情感が込められた言葉です。

今日の挿し絵代わりの写真は夏の花々の写真をお送りします。
はじめの2枚は自宅の庭で撮ったものです。残りの3枚は三鷹市「緑と花の広場」で撮りました。

それはそれとして、今日は残暑をお見舞いし、皆様のご健康をお祈りいたします。
                  後藤和弘(藤山杜人)