2001年のアメリカ同時多発テロ事件はイスラム過激派テロ組織アルカイダによるものでした。
この事件をきっかけに国際テロ組織の脅威が世界的に広がります。
アメリカはアルカイダに支援を行った国への報復としてアフガニスタン紛争、イラク戦争を行ったのです。
こうして21世紀は新しいかたちの戦争の世紀になりました。この新しい戦争の特徴は欧米各地でテロ事件が次々に起きるということです。
アメリカやフランスでイスラム過激派の残忍なテロが数多く起きています。
しかし日本では一回も起きていません。日本はこの新型の戦争に一切巻き込まれず平和を守ってきたのです。
今日は日本でイスラム過激派のテロが起きなかった決定的な理由を書いてみます。
日本にも多くのイスラム教徒が住んでいます。多くは中東やパキスタンやインドネシアから来た人々です。
ですからイスラム過激派によるテロが起きても不思議ではありません。
しかし日本ではイスラム過激派によるテロが一切起きていません。
その理由は警察当局の厳しい取り締まりが考えられます。しかしもっと本質的で決定的な理由があると私は信じています。
その決定的な理由とは、中東のイスラム諸国は実は熱烈な親日国であることです。
イスラム教の諸国はキリスト教の国々を敵と思っています。同じ一神教同士の宿命的な対立です。
一方日本は仏教国です。多神教的な大乗仏教です。イスラム教の諸国は敵と感じないのです。
その上、日本は日露戦争や太平洋戦争でキリスト教国のロシアやアメリカと戦ったのです。
こんな背景があるのでエジプト、トルコ、イラン、サウジアラビア、ヨルダン、パキスタンなどの国々は驚くほど親日国なのです。
以下に簡単にご紹介したいと思います。
(1)ヨーロッパのキリスト教の国々は11世紀、12世紀に十字軍を中近東に送り込み、現在のベイルート、ヨルダン、シリア、イスラエル、などなどの土地に数多くの十字軍国家を作り残虐な統治をし続けたのです。
十字軍が築いた堅固な城が現在でも中近に残っています。
日本ははるか遠方に存在する国だったので勿論十字軍は送れませんでした。この件に関して、日本は完全無罪です。
(2)日本は仏教国なので一神教のキリスト教とイスラム教との間の戦争には完全に中立的な存在なのです。イスラム教の人々は多神教的な大乗仏教の日本を敵だと感じないのです。これは感情問題です。キリスト教の信者になって佛教をいろいろ研究すると理解出来ます。
(3)イギリスの18世紀の産業革命以後に、圧倒的な武力を持つようになったヨーロッパ諸国とロシアが、中近東のイスラム諸国を保護国や植民地にしました。
その憎いロシアを日本は日露戦争で破ったのです。ロシアに権益を奪われていたイランをはじめイスラム諸国が拍手喝采をしたのは当然です。
そして第二次世界大戦では日本は勇敢にもアメリア、イギリスに立ち向かい、大きな損害を与えたのです。
日本は敗けましたがこの大戦争のお蔭で、インド、パキスタン、エジプト、イラン、イラク、ヨルダン、サウジアラビアなどなどの諸国が独立国家になれたのです。当然のことながら、これらの国々は日本へ深く感謝しています。
以上のよう歴史的な事情は宮田 律著の「イスラムの人は何故日本人を尊敬するのか?」という本に詳しく書いてあります。その本の内容は岡井盛夫さんという方が要約して紹介しています。
(http://homepage3.nifty.com/morrio/back1/islam/miyataislam.html)
その概要は末尾の参考資料に書いてあります。
ここでは二つだけをご紹介します。
(1)19世紀以降、イスラム世界はヨーロッパの帝国主義に侵食されました。栄華を誇ったオスマン帝国も、イギリス、フランス、ロシア諸国に進出され、アラブ地域は、イギリス、フランスの帝国主義勢力に分割支配されたのです。 ところが、アジアの小国、日本がロシアとの戦争で勝利します。イスラム世界から、一斉に称賛の声が上り、日本は、ヨーロッパ帝国主義に抵抗する国々にとって希望の光となったのです。
(2)イラク戦争の際、自衛隊は「人道復興支援」のためイラク南部の都市サマーワを中心に活動して2006年7月に撤収します。現地誌「サマーワ新聞」は、自衛隊員のことを「高い倫理を保持した人々」と形容しました。他国の人々のことを尊重し、他国民の家庭や職業に敬意を払う立派な文明を伝統をもっている」、と絶賛したのです。
このようにイスラム諸国の人々は日本人を尊敬し非常に友好的なのです。
アラブ諸国と敵対するアメリカとの関係を気にするあまりこの事実を日本のマスコミはあまり報道しません。
報道しないもう一つの理由は日本人は明治維新以来、欧米から熱心に科学技術を学び、欧米の政治体制や資本主義を導入してきた事情にもよります。
イスラム諸国の多くは部族の首長が独裁的に統治し、中世さながらの国々なのです。民主主義も資本主義も随分と遅れている地域なのです。その理由で日本人が関心を持たないのでしょう。
もし日本政府が親日的なイランやアラブ諸国と協力すれば世界に平和をもたらすことが不可能ではありません。しかしそのような外交努力があまりなされていない様子です。
日本国内でテロさえ起きなければそれで良いという考えだけ良いのでしょうか?
日本人がもっとイスラム教の国々と交流を深めるように祈っています。それが世界の平和共存に大きな貢献をすると信じています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
今日の挿し絵代わりの写真は3つのイランの世界文化遺産の写真です。イランには16件の世界文化遺産があります。
1番目の写真はペルセポリスの遺跡です。ダレイオス1世が建設に着手したのは紀元前520年と言われています。
2番目の写真はイランのエスファハーンにあるイマーム広場です。
3番目の写真はタブリーズの歴史的バザール施設 です。
上の3枚の写真の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3です。
===参考資料================
以下は宮田 律著の「イスラムの人は何故日本人を尊敬するのか?」の要約の抜粋です。
「イスラム世界と日露戦争」
(1)19世紀以降、イスラム世界はヨーロッパの帝国主義に侵食された。栄華を誇ったオスマン帝国も、イギリス、フランス、ロシア諸国に進出され、帝国は弱体化した。帝国の支配下にあったアラブ地域は、イギリス、フランスの帝国主義勢力に分割支配された。
ところが、中東でヨーロッパ支配が強化される一方で、アジアでは、小国日本がロシアとの戦争で勝利した。イスラム世界から、一斉に称賛の声が上がった。日本は、ヨーロッパ帝国主義に抵抗する国々にとって希望の光となった。
(2)トルコのイスタンブールには、「乃木通り」や「東郷通り」がある。トルコは、オスマン帝国の中心であった。そのオスマン帝国の弱体化の一因は、北から進出してきたロシアであった。オスマン帝国は、露土戦争(1877-78)で惨敗した。オスマン帝国は長年ロシア帝国主義の進出に苦しめられたから、トルコ人はロシアに怨念を抱いている。そのロシアに、日本が勝利した(日露戦争)ことで、日本を称賛する感情が沸騰した。トルコ人は、日本人に対し、強い親愛の情を持った。
(3)日露戦争の影響で、トルコでは、「トーゴー」「ノギ」「ジャポン」という名前を子どもにつける人まで現れた。
(4)ムスタファー・カーミメル(1874-1908)は、エジプトの民族主義者である。彼は著書『昇る太陽』の中で、「日本の歴史こそ、東洋の諸国に最も有益な教訓を与えてくれるものと信じる」、と書いている。
(5)エジプトの詩人・ハーフェズ・イブラホヒーム(1872-1932)は、日露戦争の従軍看護婦のことを称賛し、「日本の乙女」(長文の詩)を発表した。
(6)ロンドン亡命を終えてスエズ運河を通過中の孫文は、「おなたは日本人か」と尋ねられた。「中国人だ」と答えると、「中国は日本に近い。日本がロシアに勝ったことを我が事のように喜んでいると、日本人に伝えてくれ」、と頼まれた。
(7)タタール人のアブデュルレシト・イブラヒム(1852-1944)は、『ジャポンヤ』(日本旅行記)の中で、「日本人は改宗すれば、完璧なムスリムになれる」、と記述している。・・・・・中略・・・・・・
「イスラムの人の、日本人へのプラトニックラブ」
イスラム世界には、遊牧民の伝統がある。ラクダ、ラバを使ったキャラバンの移動の歴史である。例えばイラン人は、人懐っこく、気さくで、外来の者に親切、他人を思いやり面倒見がよい。なぜなら、酷暑の気候に暮らしていくためには、お互いが助け合って、よそから来た者をもてなす。それが砂漠の民の生活習慣であるから。彼らは見知らぬ人に向かって「今晩うちに来て食事をしないか」、と声をかける。
(1)1945年、イスラムの人は、原爆被災者への同情を示した。その後、日本の経済復興は著しく、高性能の家電製品や自動車が彼らから高く評価されている。イスラムの人にとって、日本人は「頭のよい民族」であり、ビジネスマンの礼儀に敬意を示し、倫理道徳の高さ、マナーの良さを尊敬している。イスラムの善は誠実、禁欲、慈悲である。彼らは「日本人はムスリムでもないのにイスラムの教えを実現している」、と考えている。
(2)日本人はシスティマチツクに働いている。仕事を中途半端に終わらせない。アブダビのムハンマド皇太子は「日本の教育、しつけは優れている。その手法をアブダビの教育に反映させたい」、と評価し具体化している。
(3)エジプトも親日的国家。ジャーナリストのモハメッド・ヘイカルさんは、「日本とアラブ世界の間には、プラトニックラブとも言うべき感情がある」、と語った。
(4)イランの新年は、「ノールーズ」という。都会に出たイラン人は一斉に里帰り、家族の結びつきを大事にする。衣服を買ったり大掃除をしたりする。(何か昔の日本に似ている)
(5)イランは、かってアケメネス朝、ササン朝などの古代文明が栄えた。文明の中心であつた。古代には、日本、中国、イランに至るまで文化の交流があった。
(6)1984年のロサンゼルス・オリンピック、柔道無差別級の決勝で、エジプトのモハメド・ラシゥラン選手は山下泰裕選手と対戦した。山下選手は、右足に肉離れを起こしていたが、ラシゥラン選手はその右足を攻めることはなかった。優勝は山下選手であったが、ラシゥラン選手は「國際フェアープレイ賞」を受賞した。・・・・以下省略します。