後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

夏が来ると思い出す戦争(4)ホロコーストとドイツ人の深刻な謝罪

2019年08月01日 | 日記・エッセイ・コラム
現在多くの国々は平和です。人々は楽し気に毎日過ごしています。
長い間平穏に暮らしていると第二次世界大戦の筆舌に尽くせない悲劇を忘れます。戦争が人間を狂気に駆り立てることも忘れます。狂気になった人間は悪魔の残虐性を示します。
そんな人間の恐ろしさを時々は鮮明に思い出し、戦争が二度と起きないようにたゆまぬ努力をすべきです。
特に日本では戦後74年間平和だったので戦争の記憶は風化しています。軍備を強化し憲法を改正して戦争が出来るようにしようという風潮が次第に勢いを増しています。
こんな時こそ戦争の残虐性を思い出し平和を守る決心をすべきです。決心を何度も繰り返しすべきです。

そんな想いで今日はナチスによるユダヤ人の大量虐殺、ホロコーストとヴァイツゼッカー大統領の謝罪文をご紹介したいと思います。
ヒットラーとナチスによるホロコーストで犠牲となったユダヤ人は少なくとも600万人以上と考えられています。
また同時期にナチス・ドイツの人種政策によって行われたロマ人に対する逮捕、処刑も多数ありました。
そして精神障害者の殺戮や反社会分子とされた労働忌避者や浮浪者や同性愛者も処分されたのです。
狂信的なキリスト教一派のエホバの証人も処刑されたのです。
特にドイツが残虐だったのは独ソ戦でした。戦争捕虜や現地住民が飢餓や強制労働によって2000万人も死んだのです。
これは西洋文明の歴史においても最も破壊的な出来事でした。
戦争に負けたドイツ人は反省しますが、その一方で悪魔はナチスだったとして他の人々は罪を逃れようとします。
しかしドイツの敗戦から40年後に大統領が「荒れ野の40年」と題する謝罪の演説をしたのです。
この演説は人間的な真摯な謝罪だったのです。有名になり世界中で演説全文が本として出版されました。
当然日本でも出版され最近は新刊も出ています。
この演説をしたのはヴァイツゼッカー大統領でした。1920年生まれ2015没でドイツの第6代連邦大統領(在任:1984年 - 1994年)でした。
これは一西洋人の良心的な告白であり悲しみに満ちた独白です。以下に示します。

『荒れ野の40年』 (1985)    ヴァイツゼッカー
 5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされます。
 われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべております。
 ことにドイツの強制収容所で命を奪われた 600万のユダヤ人を思い浮かべます。
 戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。
 ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。
 虐殺されたジィンティ・ロマ(ジプシー)、殺された同性愛の人びと、殺害された精神病患者、宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人びとを思い浮かべます。
 銃殺された人質を思い浮かべます。
 ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者に思いをはせます。
 ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス――これらのレジスタンスの犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。
 積極的にレジスタンスに加わることはなかったものの、良心をまげるよりはむしろ死を選んだ人びとを思い浮かべます。
 はかり知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みがつづいております。
 死者への悲嘆、
 傷つき、障害を負った悲嘆、
 非人間的な強制的不妊手術による悲嘆、
 空襲の夜の悲嘆、
 故郷を追われ、暴行・掠奪され、強制労働につかされ、不正と拷問、飢えと貧窮に悩まされた悲嘆、 捕われ殺されはしないかという不安による悲嘆、迷いつつも信じ、働く目標であったものを全て失ったことの悲嘆――こうした悲嘆の山並みです。
 今日われわれはこうした人間の悲嘆を心に刻み、悲悼の念とともに思い浮かべているのであります。
 人びとが負わされた重荷のうち、最大の部分をになったのは多分、各民族の女性たちだったでしょう。
彼女たちの苦難、忍従、そして人知れぬ力を世界史は、余りにもあっさりと忘れてしまうものです(拍手)。彼女たちは不安に脅えながら働き、人間の生命を支え護ってきました。戦場で斃れた父や息子、夫、兄弟、友人たちを悼んできました。この上なく暗い日々にあって、人間性の光が消えないよう守りつづけたのは彼女たちでした。
 暴力支配が始まるにあたって、ユダヤ系の同胞に対するヒトラーの底知れぬ憎悪がありました。ヒトラーは公けの場でもこれを隠しだてしたことはなく、全ドイツ民族をその憎悪の道具としたのです。ヒトラーは1945年 4月30日の(自殺による)死の前日、いわゆる遺書の結びに「指導者と国民に対し、ことに人種法を厳密に遵守し、かつまた世界のあらゆる民族を毒する国際ユダヤ主義に対し仮借のない抵抗をするよう義務づける」と書いております。
 歴史の中で戦いと暴力とにまき込まれるという罪――これと無縁だった国が、ほとんどないことは事実であります。しかしながら、ユダヤ人を人種としてことごとく抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。
 この犯罪に手を下したのは少数です。公けの目にはふれないようになっていたのであります。しかしながら、ユダヤ系の同国民たちは、冷淡に知らぬ顔をされたり、底意のある非寛容な態度をみせつけられたり、さらには公然と憎悪を投げつけられる、といった辛酸を嘗めねばならなかったのですが、これはどのドイツ人でも見聞きすることができました。
 シナゴーグの放火、掠奪、ユダヤの星のマークの強制着用、法の保護の剥奪、人間の尊厳に対するとどまることを知らない冒涜があったあとで、悪い事態を予想しないでいられた人はいたでありましょうか。
 目を閉じず、耳をふさがずにいた人びと、調べる気のある人たちなら、(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした。人びとの想像力は、ユダヤ人絶滅の方法と規模には思い及ばなかったかもしれません。しかし現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのであります。当時まだ幼く、ことの計画・実施に加わっていなかった私の世代も例外ではありません。
 良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形がありました。戦いが終り、筆舌に尽しがたいホロコースト(大虐殺)の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。
 一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。

一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。
 人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人ひとり自分がどう関り合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。
 今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。

 ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。

・・・・この演説は長いので中間を省略してむすびの部分を以下に示します・・・・・

道徳に究極の完成はありえません――いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝されつづけるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力がそなわっております。
 ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。
 若い人たちにお願いしたい。
 他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
 ロシア人やアメリカ人、
 ユダヤ人やトルコ人、
 オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、
 黒人や白人
これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
 若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。
 民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。
 自由を尊重しよう。
 平和のために尽力しよう。
 公正をよりどころにしよう。
 正義については内面の規範に従おう。
今日、1985年の五月八日にさいし、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。 (終わり)

なお全文は以下にあります。
https://r.binb.jp/epm/e1_6434_07022015122740/ と
www.nenkinsha-u.org/04-youkyuundou/pdf/deu_weizsacker1502.pdf です。

「荒れ野の40年」とはイエス・キリストが荒れ野で40日間悪魔の誘惑に屈せず修行したという聖書の内容になぞらえたものでしょう。
そこで今日の挿し絵代わりの写真はイエスが天に昇る光景を描いた油彩画にしました。
この絵はジョン・シングルトン・コプリー が1775年に描いた「キリストの昇天」です。


今日は深刻な内容の記事でした。
しかし内容はさておき、

今日も皆様のご健康と平穏をお祈り申し上げます。  後藤和弘