後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「曇り日の多摩湖周遊道路をドライブして来ました」

2019年08月26日 | 写真
多摩湖は村山貯水池とも言い東京の水道水の一つの水源になっています。
東端に高く長い堤防があり、今日は時計回りと反対方向に周遊道路を堤防の下からぐるりとドライブして来ました。
撮った写真をお送りします。

1番目の写真は多摩湖の真中の道路上から東の堤防の方向を写した写真です。

2番目の写真も多摩湖の真中の道路上から東の堤防の方向を写した写真です。

3番目の写真は北側の周遊道路の風景です。

4番目の写真は北側の周遊道路の脇にある西武球場の巨大な屋根です。

5番目の写真は南側の周遊道路の風景です。
多摩湖の周遊道路は緑が多く自然が一杯なのでよく行くところです。今日はミンミン蝉が鳴いていましたが、その声が写真に写らないのが残念です。
今日も平穏に暮れ行くようです。年を取ると平穏が一番大切に思うようになりますね。

老境になって初めて分かる人、分からない人

2019年08月26日 | 日記
老境になって初めて分かる人と分からないでそのまま死んでしまう人。人はさまざまです。
最近、石山望さんの日記に次のようなものがありました。感銘を受けたのでここに転載します。原文は、https://smcb.jp/diaries/8048527 にあります。
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『ああ、人生、』
この頃、思うことがある。
でも、それは、私くらいの年齢の人達にとっては、同じことかもしれない。
そして、それが、「分る」ということかもしれない。

よく思う。ことに、逝き去りし、今は亡き人達のことである。
私7歳の時、父が亡くなった。享年57歳。
それまで、父が商売(京都中央市場の塩干仲買)をしていて、我が家を支えていてくれたので、これはすぐに後継をというわけで、私の2番目の姉に白羽の矢が立った。彼女23歳。
彼女には4つ違いの兄がいたが、これがまた、全く商売には向いていなかった人で、早々と家を出て、大阪の裁判所に勤めていた。

でも、この2番目の姉、一人では商売を継げないから、誰か婿養子をというわけで、急遽、血のつながらない親戚の人と結婚した。
しかし、この人、いわゆる「いい人」であったが、金勘定もできない。姉は、嫌だったそうだが、「この人と結婚しなかったら、家が潰れると思った」と、後年私に話してくれた。まあ、家の犠牲になったというわけである。

その婿養子に来られた人は、商売が下手、また、周りの者の決めた結婚で、自分の嫁との仲がそんなにいいということがなかった。というわけで、我が家の雰囲気は、なんだか冷たく、ギスギス、。
この養子さん、丹波の大きな農家の3男坊で、非常に呑気。したがって、姉は商売の全てを自分で仕切らなくてはならなくなってしまった。

子供は、男一人、女2人。ただ、その誰ともあまり親近感はなかったように思う。
当時、私の母親がまだ生きていたので、私もその実家にいたが、その養子さん、極めて保守的。韓国人のことを声高に「チョーセン!」と呼ぶような人で、私、それが厭だった。

そんなこんなで、彼は、まず完全に家の中で浮き上がってしまっていた。
商売の方は、なんとか姉が頑張って、切り盛りしたが、彼女夫婦のなめた辛酸は、それはそれは筆舌に尽くしがたいものがあったと思う。

私、今にして、この義兄のことを思う。なんと立派な人であったかと。
冷たい家の中で完全に孤立。これといって友達もなかったのではなかろうか。
しかし、それでも、離婚して口うるさい田舎に帰るわけにもいかず、我慢に我慢を重ねて、我が家にいてくださった。これは立派である。
だって、この人が来て下さられなければ、我が家は潰れていたに違いないのであるから。

私、彼の存命中に、そういうことを理解して、彼と親しくしようという努力をしていれば、どれほどこの義兄、救われたかもしれない。
ただ、その頃は、私、自分自身に問題があり、そこまで膨よかな気持ちになれなかったのも事実である。それどころか、口汚く罵ったこともある。
本当にゴメンね、兄さん。

その義理の兄さん、最後には、好きなタバコ(彼の唯一の友達、「いこい」というきつくて安いタバコ)を吸い続けて、70歳の若さで死んでしまった。脳梗塞。
今の私、これは十分理解できる。周りに誰も親しい人がいない状態で、生きているのが嫌だったのであろう。ましてや、自分の妻に先立たれるなんて以ての外。いわば、間接的自殺である。

この兄さん、お酒でも飲まれれば、私も、もう少し話しやすかったのであるが、それもなかったし。
そして、姉もまた、後を追うようにして、その数年後亡くなった。今度は、脳溢血で、。

人間は、死ぬと、誰でも仏になるというのは、本当です。
ああ、こういうことが理解できるようになるのには、自分自身の生活がやっと安定するようになり、心に余裕ができ、人の痛みも分る、この歳まで待たなければならないのですか。

するとそのあとは、「自分が逝く」ということの為の準備にとりかからなければならないのですね。
ああ、人生、、(終り)

挿し絵代わりの写真はロンドンの住宅街の風景です。今日の著者の石山望さんは長年ロンドンにお住まいです。こんな場所だろと勝手に想像しています。
写真の出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/samberasam51/33555930.html です。


西洋の食文化の奥深さと鹿肉を美味しく食べる方法

2019年08月26日 | 日記・エッセイ・コラム
世界各国の食文化というものは現地に行って食べてみないと分かりません。
例えば中国料理でも日本のそれは日本人好みの味に変えれてしまい中国各地の独特の美味しさが無いのです。
西洋料理も同様です。フランス料理やドイツ料理の独特な美味しさがありません。日本流のフランス料理が一番美味しい料理でドイツ料理は不味いと信じ込んでいます。
最近はイタリアンが人気ですが、日本のイタリアンはイタリア現地とは随分と違うそうです。
以前ドイツに住んでいた頃、デパートの地下でカモやガンなどの野鳥が羽が付いたまま売っていました。野生のシカ肉も売っています。ライン河で捕れたウナギも養殖の鱒もドイツ鯉も活きたまま売っています。
私は嬉しくなり野鳥のカモ、活きた鱒、活きウナギ、野生のシカ肉などを買って来て料理をして美味しいドイツビールとともに食べました。
ところがバターでムニエルにした活きた鱒以外は美味しくなかったのです。それ以外は酷く不味かったのです。
ドイツの食文化としての料理法に無知でそれぞれの料理方法が間違っていたのです。
素材を煮たり焼いたりする前の下準備が重要なことを無視していたのです。
最近、北海道で獲れたエゾシカ肉を沢山頂く機会がありました。その鹿肉を送って下さった「でいしゅうさん」という方から鹿肉を美味しく食べる下準備の方法を教えて頂きました。

今日は野生の鹿肉を美味しく食べる方法をご紹介いたします。
鹿肉を送ってくれた「でいしゅう」さんは三重県に住んでいて趣味で北海道のエゾシカ猟をしている方です。
頂いた鹿肉を山椒味噌味のステーキにしたり、フランス料理風のソースをステーキにかけて食べました。ところが単純に塩コショウだけで焼いたものがロースでもモモ肉でも一番美味しかったのです。
美味しい肉はあまり凝った料理をしないで、焼いて塩コショウだけで食べると美味しいのだと分かりました。
焼いた鹿肉は実に柔らかで滋味豊かな奥深い美味しさがあったのです。ほんの少し野生の風味がして奥行のある味です。その上、同じ草食動物の和牛のような風味がかすかにするのです。
そこで鹿肉を送ってくれたでいしゅうさんにどうして美味しいのかを聞きました。
3つの絶対条件があるようです。
(1)鹿を一発で即死させ苦しめない。(苦しんで死んだ肉は全て不味い)
(2)即死後、体温の下がらないうちに完全に血を抜く。
(3)解体の時、毛皮に触った手で肉に絶対に触ってはいけない。毛皮に触った手で肉に触ると腐敗菌や雑菌がすぐに繁殖し長期の熟成が出来なくなるのです。

以上をきちんと行った鹿肉は数日間の冷蔵庫での熟成で柔らかになり風味も増すのです。
結論を先に書けば、以上の3条件を完全に出来る猟師の獲った鹿肉は美味しいのです。
では不味い鹿肉はどうして出来るのでしょうか?
多くの猟師は上の(1)と(2)は知っています。なるべき完全に血を抜くように努力します。
ところが解体の時、皮を剥いだ手で、そのまま肉も切ってしまうのです。
これでは数日間の熟成期間中に雑菌が繁殖し不味くなるのです。酷い時には腐敗してしまうのです。

草食動物の肉は和牛でも輸入牛でも鹿でも数日間熟成しないと不味いのです。
私はでいしゅうさんから、濡れタオルで包んで送られて来た鹿肉を、別の新しい濡れタオルで包んでさらに3日間冷蔵庫で熟成しました。
そうしたら実に柔らかになりました。風味も一段と増したのです。
写真はでいしゅうさんに送って頂いたエゾシカ肉です。

1番目の写真は私の家で3日間の熟成が終わったモモ肉を切っている場面の写真です。

2番目の写真は切り終わった肩ロースの写真です。これも私の家で3日間の熟成が終わったものです。

3番目の写真はローズマリーとともにステーキにしたモモ肉の写真です。

あまり美味しかったのででいしゅうさんに更に美味しい鹿肉について聞きました。そうしたら以下のような事が大切だと教えくれました。

1、美味しい年齢(2歳の牡)の鹿であるか。
2、牧草をしっかり食べて肥育している季節か。(北海道の鹿は牧草地に出て牧草を食べている)
3、雪の季節は美味しくない。
4、撃った時に一発で首の骨を砕いて、即死させたか。苦しめた鹿は不味い。
5、直ぐに放血を行う。小バケツ一杯は出る。
6、内臓をすぐに抜く。
7、体温を下げる。皮は早く剥いだ方が良い。
8、皮を剥ぐときに、毛に触った手で肉を掴まない。
9、大分けにした肉は吊るして血を抜く。
10、肉をブロックにしてから、濡れタオルに包み、3日ほど熟成さす。
11、肉からはスジを取、肉の繊維に気を付けて切る。

私は山梨県の甲斐駒岳の麓にある肉屋さんから鹿肉やイノシシ肉を買って食べたことが何度もありました。
イノシシ肉は美味しいのですが、鹿肉は全て不味かったのです。
その肉屋さんの息子さんが鉄砲撃ちの猟師で甲斐駒岳の麓で獲った新鮮な肉なのです。
鉄砲撃ちの息子が獲った新鮮な鹿だから美味しいよと女主人が自慢していました。
しかしその息子さんの血抜きや解体処理が間違っていたのです。
その長年親しんでいた肉屋さんも、主人が病気になり廃業してしまいました。

さて冒頭にスーパーに並んでいる牛肉も豚肉も美味しいと書きました。それらは解体方法が適切で熟成されているからです。
西洋人な野生のカモや鹿肉を購入後に自分で適切に処理し美味しく料理します。
ドイツ人もカモなどの野鳥の下準備と料理法を知っているのです。
ライン河で捕れたウナギを清浄な水で3日飼って泥を吐かせることも知っています。
その後輪切りにて美味しいウナギのスープにするのです。
ドイツと言えばニシンの発酵させたものもあります。日本の鮒寿司に似た強烈な匂いと味がします。
上手に発酵させれば最高に美味ですが下手に発酵させたものは最低です。

この様に西洋の食文化は奥が深いのです。ドイツ料理は不味いと言う人は上手に発酵させたニシン(マテユエステ・ヘリング)を食べたことが無いのです。世界各国の食文化というものは現地に行って食べてみないと分かり難いものですね。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)