後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「人目を忍んでひっそりと夜に咲く待宵草の花」

2019年08月07日 | 写真
待宵草は月見草、ツキミソウとも言います。
ツキミソウは、夏の夕方、日が落ちると開花し、朝方にはしぼんでしまう、たった一晩の命の花です。
https://hanatama.jp/oenothera.html から抜粋をお送りします。
陽が落ちて暗くなると咲くことから、人目を避ける奥ゆかしい印象に捉えられ、次のような花言葉がつきました。
『無言の愛情』
『打ち明けられない恋』
『密やかな恋』
月見草はどこか儚さの漂う感じもあり、か弱く上品な女性のイメージです。
近代文学でも、ツキミソウはよく登場します。明治晩年、竹久夢二が、避暑地で女性と恋に落ち、幾度かの逢瀬を交わすものの、結ばれずにひと夏の恋で終わります。夢二は失恋の想いを「宵待草(ヨイマチグサ)」の歌にしました。後に曲が付けられ、大正時代の大ヒット曲となります。
1番の歌詞は、今の時代にも残る有名なフレーズとなっています。
“待てど暮せど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな”
時は移り大正、昭和、平成ははるか遠い時代になりました。
もう現在は儚さの漂うか弱く上品な女性なんんていません。
しかし月見草は男の勝手な幻想をかきたてます。
夏の夜のロマンです。





「夏になると水車のある涼し気な風景が懐かしくなる」

2019年08月07日 | 日記・エッセイ・コラム
夏の楽しい思い出の一つに水車の見える風景があります。
水車の回っている所には高い山々の雪解け水が勢いよく流れています。水温が低いので川の周囲だけ涼しいいのです。
そんな風景は昔の日本にはあちこちにあったのです。
しかし現在は数少なくなってしまいました。
その一つは信州の安曇野にあります。
猛暑の中の安曇野にそんな水車のある川が流れているのです。

今日はそんな風景をご紹介したいと思います。

1番目、2番目、3番目の写真は2015年の7月に久しぶりに訪問して撮った写真です。

この水車は黒沢監督が数十年前に「夢」という映画を撮影するためにわざわざ作ったものです。水車の間を笠智衆が扮した村の老人と村人が楽しげに踊り歩いている場面に出てくる水車です。水車が美しいだけでなく北アルプスの伏流水を集めた水量豊かな清流も美しいのです。
北アルプスの残雪の稜線と良く調和してロマンチックな風景なのです。
この水車群は現在、穂高町にある大王わさび園の水車として管理されています。

昔の農村では水車で米の籾殻を脱穀したり、小麦を挽いて小麦粉にしたりしていました。水車は農村に必ずある原風景だったのです。
ですから水車のある風景を懐かしむ人々も多かったのです。
現在は復元した水車があちこちに展示してあります。
私も水車が好きなので何処にどういう水車があるか分かっています。

例えば小平市の玉川上水沿いの雑木林に覆われた遊歩道には3つも水車が復元して展示してあります。
特に「ふるさと村」には江戸時代中期から戦後まで使われていた農家が復元してあります。その家にあがると部屋から裏口の外に水車が見えるのです。
水車が回っているゴトン、ゴトンと低い音が聞こえてきます。

そして水車のある美しい風景は山中湖の西にある忍野八海にもあります。背景に残雪の輝く富士山が見えるのです。

水車小屋と言えば1970年頃に住んでいたシュツットガルト市の郊外にもありました。
ドイツ語でたしか Sieben Muhre(七つの水車)の道という名前のついた道でした。中世から続く古い道を遊歩道にしていました。
車が通れない道なので、子供を連れて行っても安心なのでよく散歩に行ったものです。
遊歩道のところどころにコーヒーとドイツ菓子を出す店があります。
水車小屋は洋の東西を問わず人々が好きなようです。

さて水車といえばもう一つ違う役目もあるのです。それは低い水路から水田に水を汲み上げる水車です。人が水車の上の乗って両足で水車の羽根を交互に踏んで水車を回すのです。
真夏にする辛い作業です。汗が滝のように流れます。私自身も小学生の時農村に疎開したのでこの辛い作業をしました。その辛い作業も今となっては楽しい懐かしい思い出となってしまいました。

皆様の近所にも水車小屋がありますでしょうか。こんな気楽な思い出を楽しみながら今日も一日過ごします。 天から貰ったボーナスのような老後の楽しい一日です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)