後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

夏の甲子園で優勝校を出していない県

2019年08月23日 | スポーツ
北海道の北北海道。

東北の青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島。

関東の山梨。

北信越の新潟。富山、石川、福井。

近畿の滋賀。

中国の鳥取、島根、岡山。

九州の長崎、熊本、宮崎、鹿児島。

そして大阪は14校も優勝していて2019年現在最多の優勝校を出しています。
その一方で何故優勝校を出していない県がこんなにあるのでしょうか?
いろいろ考えさせられます。

履正社と星稜、甲子園歴代優勝校一覧

2019年08月23日 | スポーツ
ほとんどスポーツ音痴に近い私でも夏の甲子園は毎年見ています。門外漢の私が変な発言をするので家内は「貴方のせいで奥川君がフォアボール出した。ホームラン打たれた」などと文句を言い別室で試合を観ています。松井選手以来の星稜贔屓なのです。
今朝は日刊スポーツのネット版で履正社対星稜の試合の数多くの静止画を熱心に見てテレビでは分からない選手達の表情や躍動感を見ています。そして若者の燃えるような情熱を感じ心地良い思いをしています。素人の変な評論を書かずに履正社対星稜の試合の写真を以下に5枚だけをお送りします。写真の出典は日刊スポーツのネット版です。 https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/201908220000039.html

1番目の写真は 履正社対星稜 記念撮影に納まる星稜・奥川と履正社・井上(撮影・梅根麻紀)

2番目の写真は初優勝を決めマウンドに駆け寄る履正社ナイン(撮影・上山淳一)

3番目の写真は履正社対星稜 初優勝を飾り喜ぶ履正社ナイン(撮影・清水貴仁)

4番目の写真は履正社対星稜 力投する星稜先発の奥川(撮影・宇治久裕)

5番目の写真は履正社対星稜 3回表履正社2死一、二塁、左中間へ逆転3点本塁打を放つ井上(撮影・清水貴仁)
履正社が5-3で勝ち、初優勝しました。日刊スポーツのニュースを転載します。
先発は星稜が奥川、履正社が清水のエース対決。
履正社は1回表、1死から2番池田が左三塁打も後続倒れ無得点。
星稜は2回裏、2死二塁から7番岡田の右越え適時二塁打で先制。
履正社は3回表、2死から連続四球で一、二塁。4番井上が高めスライダーを捉え中越え3ランを放ち逆転。
星稜は7回裏、1死二塁から9番山瀬の左中間適時二塁打で1点差。2死後、3番知田の右前適時打で同点。
履正社は8回表、1死三塁から7番野口の中前適時打で4-3と勝ち越し。さらに1点を加え5-3
星稜は9回裏、1死一、二塁も知田が二ゴロ併殺打に倒れ試合終了。履正社が初優勝!

それにしても夏の甲子園は日本の時代を刻む文化です。過去の試合たちはそれぞれの時代の空気を思い出させてくれます。
そこで夏の甲子園歴代優勝校一覧を以下に示します。

第101回、2019年、履正社5-3星稜
履正社が5-3で勝ち、初優勝した。歴代優勝校、
以下は、https://mainichi.jp/koshien/senshuken/data/ からの転載です。
第100回
2018年
大阪桐蔭(大阪)[13―2] 金足農(秋田)
大阪桐蔭が4年ぶり5回目の優勝を飾るとともに2012年以来となる史上初の2度目の春夏連覇。金足農・吉田は6試合で881球。エースとしてチームを準優勝に導いた。
第99回
2017年
花咲徳栄(埼玉)[14―4] 広陵(広島)
花咲徳栄が春夏通じて初優勝。埼玉県勢としても夏初優勝。広陵は佐賀北に敗れて準優勝した2007年以来10年ぶりに決勝に進んだが、夏の初の頂点には届かなかった。
第98回
2016年
作新学院(栃木)[7―1] 北海(南北海道)
作新学院が第44回大会以来54年ぶり2回目の優勝。夏の複数回優勝は20校目。54年ぶりの制覇は、前回の東海大相模の45年ぶりを超える選手権史上最長ブランク。
第97回
2015年
東海大相模(神奈川)[10-6] 仙台育英(宮城)
東海大相模が第52回大会以来、45年ぶり2回目の優勝。神奈川県勢は通算7度目の優勝。
第96回
2014年
大阪桐蔭(大阪)[4-3] 三重(三重)
大阪桐蔭が、第94回大会以来、2年ぶり4回目の優勝。春夏通算では5度目の優勝で、横浜(神奈川)と並ぶ5位に浮上した。
第95回
2013年
前橋育英(群馬)[4-3] 延岡学園(宮崎)
前橋育英が初出場で初優勝。エース高橋を中心とした堅い守りで1999年の桐生第一以来、県勢2度目の優勝を勝ち取った。
第94回
2012年
大阪桐蔭(大阪)[3-0] 光星学院(青森)
大阪桐蔭が光星学院(青森)を降し、3回目の優勝。エース藤浪を擁し、史上7校目の春夏連覇。
第93回
2011年
日大三(東京)[11-0] 光星学院(青森)
日大三が6試合すべて2桁安打など打線が好調で2度目の優勝。東日本大震災復 興支援大会と位置づけられ、東北勢も健闘した。
第92回
2010年
興南(沖縄)[13-1] 東海大相模(神奈川)
興南が沖縄県勢として初優勝。史上6校目の春夏連覇も飾った。主戦・島袋を中心に投打とも他校を圧倒した。
第91回
2009年
中京大中京(愛知)[10-9] 日本文理(新潟)
中京大中京が7度目の優勝で優勝回数最多記録を達成。新潟県勢で初めて決勝進出した日本文理が、九回5点を入れる猛攻をみせたが一歩及ばなかった。
第90回
2008年
大阪桐蔭(大阪)[17-0] 常葉菊川(静岡)
記念大会で55校が出場し、北京五輪の影響で史上最も早い8月2日に開幕した。決勝で大阪桐蔭は史上最多タイの17得点で17-0と圧勝した。
第89回
2007年
佐賀北(佐賀)[5-4] 広陵(広島)
私立有力校が野球特待生問題で揺れる中、公立校の佐賀北が優勝。がばい旋風と呼ばれた。
第88回
2006年
早稲田実(東京)[4-3] 駒大苫小牧(北海道)
早稲田実の斎藤と3連覇を狙う駒大苫小牧の田中の投げ合いで決勝(1-1 延長15回)は引き分け再試合に。
第87回
2005年
駒大苫小牧(北海道)[5-3] 京都外大西(京都)
駒大苫小牧が戦後初の連覇を達成。しかし、大会後、部長が部員に暴力をふるった事件が発覚する。
第86回
2004年
駒大苫小牧(北海道)[13-10] 済美(愛媛)
駒大苫小牧は北海道の高校として初優勝。練習時間がとれない冬も雪上ノックなど独特の練習法で鍛えた。チーム打率4割4分8厘は史上最高。
第85回
2003年
常総学院(茨城)[4-2] 東北(宮城)
常総学院の木内監督は大会後の勇退を表明しており、常総学院の初優勝で花道を飾った。
第84回
2002年
明徳義塾(高知)[7-2] 智弁和歌山(和歌山)
明徳義塾は春夏合わせて19回目の甲子園で初優勝。
第83回
2001年
日大三(東京)[5-2] 近江(滋賀)
日大三は前年の智弁和歌山を上回るチーム打率4割2分7厘を記録した。
第82回
2000年
智弁和歌山(和歌山)[11-6] 東海大浦安(千葉)
智弁和歌山は11本塁打、100安打と大会記録を更新。チーム打率も4割1分3厘で史上最強の打線と呼ばれた。
第81回
1999年
桐生第一(群馬)[14-1] 岡山理大付(岡山)
決勝で桐生第一が14-1の大差で岡山理大付を破る。
第80回
1998年
横浜(神奈川)[3-0] 京都成章(京都)
横浜・松坂が決勝の京都成章戦でノーヒット・ノーラン。準々決勝のPL学園戦は延長十七回を投げた。青森大会で122-0の大差記録。
第79回
1997年
智弁和歌山(和歌山)[6-3] 平安(京都)
開会式の司会者を地元高校生が担当する。
第78回
1996年
松山商(愛媛)[6(延長11回)3] 熊本工(熊本)
女子マネジャーのベンチ入りが認められる。地方大会の参加校数が前年より9校少ない4089校と戦後初めて減少。
第77回
1995年
帝京(東京)[3-1] 星稜(石川)
柳川の責任教師、高木教諭が女性として初めて甲子園のベンチ入り。阪神大震災の影響で選手は電車で球場入り。
第76回
1994年
佐賀商(佐賀)[8-4] 樟南(鹿児島)
佐賀商は決勝で同点の九回、主将・西原の満塁本塁打で試合を決めた。決勝での満塁本塁打は史上初。
第75回
1993年
育英(兵庫)[3-2] 春日部共栄(埼玉)
鹿児島商工は2回戦を雨天コールドゲームで勝った後、3回戦は四回まで4ー0でリードしたが雨でノーゲーム。次の試合で負けた。
第74回
1992年
西日本短大付(福岡)[1-0] 拓大紅陵(千葉)
星稜・松井が明徳義塾戦で5打席すべて敬遠。試合は明徳が勝った。ラッキーゾーンを撤去。
第73回
1991年
大阪桐蔭(大阪)[13-8] 沖縄水産(沖縄)
愛知大会決勝で、愛工大名電が敗れ、鈴木は夏の甲子園は出場できなかった。
第72回
1990年
天理(奈良)[1-0] 沖縄水産(沖縄)
沖縄水産が沖縄勢として初めて決勝に進出するも、0-1で天理に敗れる。
第71回
1989年
帝京(東京)[2-0] 仙台育英(宮城)
決勝で帝京は延長十回の末、仙台育英を破る。
第70回
1988年
広島商(広島)[1-0] 福岡第一(福岡)
1回戦の滝川二ー高田が戦後初めて雨天コールド試合となる。
第69回
1987年
PL学園(大阪)[5-2] 常総学院(茨城)
PL学園が春夏連覇。
第68回
1986年
天理(奈良)[3-2] 松山商(愛媛)
松山商が準決勝の浦和学院戦で1イニング11連続安打の記録を作る。
第67回
1985年
PL学園(大阪)[4-3] 宇部商(山口)
PL学園が2回戦、東海大山形を29-7の大差で破る。1試合最多得点、毎回得点などを記録する。
第66回
1984年
取手二(茨城)[8(延長10回)4] PL学園(大阪)
大会期間中の14日間、すべての日に本塁打が記録される。
第65回
1983年
PL学園(大阪)[3-0] 横浜商(神奈川)
桑田(元巨人)、清原(元西武)のKKコンビの活躍でPL学園が初優勝。
第64回
1982年
池田(徳島)[12-2] 広島商(広島)
やまびこ打線の愛称の池田高校打線が爆発。初優勝。蔦監督の上半身を鍛えるトレーニングはその後に影響を与えた。
第63回
1981年
報徳学園(兵庫)[2-0] 京都商(京都)
名古屋電気工の工藤がノーヒット・ノーランを記録。
第62回
1980年
横浜(神奈川)[6-4] 早稲田実(東京)
決勝で敗れた早稲田実の荒木大輔投手に人気が集まる。
第61回
1979年
箕島(和歌山)[4-3] 池田(徳島)
箕島が春夏連覇。3回戦の星稜戦は延長十八回サヨナラ勝ちの熱戦だった。
第60回
1978年
PL学園(大阪)[3-2] 高知商(高知)
全都道府県から1校(東京、北海道は2校)出場するようになる。
第59回
1977年
東洋大姫路(兵庫)[4-1] 東邦(愛知)
東洋大姫路が決勝で延長十回の末、東邦を破る。決勝でのサヨナラ本塁打は史上初。
第58回
1976年
桜美林(東京)[4(延長11回)3] PL学園(大阪)
東海大相模の原貢監督、辰徳選手の親子出場が注目される。
第57回
1975年
習志野(千葉)[5-4] 新居浜商(愛媛)
浜松商・高林が史上初のサヨナラ本塁打。
第56回
1974年
銚子商(千葉)[7-0] 防府商(山口)
金属バットの使用が認められる。これ以降、本塁打の数などが増える。
第55回
1973年
広島商(広島)[3-2] 静岡(静岡)
作新学院・江川(元巨人)栃木大会で75奪三振の記録で話題に。甲子園では2回戦敗退。
第54回
1972年
津久見(大分)[3-1] 柳井(山口)
沖縄が本土に復帰し、名護の平安山主将が選手宣誓。
第53回
1971年
桐蔭学園(神奈川)[1-0] 磐城(福島)
決勝は桐蔭学園-磐城と、初の東日本勢の対決となる。
第52回
1970年
東海大相模(神奈川)[10-6] PL学園(大阪)
東海大相模はスクイズなしで優勝する。
第51回
1969年
松山商(愛媛)[4-2] 三沢(青森)
決勝の松山商-三沢が0-0で延長十八回引き分け再試合に。敗れた三沢の太田投手に人気が集まる。
第50回
1968年
興国(大阪)[1-0] 静岡商(静岡)
記念大会で、入場行進の際、歴代優勝校の校旗も行進する。市川昆監督が記念映画「青春」を制作。
第49回
1967年
習志野(千葉)[7-1] 広陵(広島)
1回戦の大宮-報徳学園で、報徳が本盗でサヨナラの珍しい記録。
第48回
1966年
中京商(愛知)[3-1] 松山商(愛媛)
中京商は春夏連覇。夏の大会試合数が通算1000を突破。
第47回
1965年
三池工(福岡)[2-0] 銚子商(千葉)
工業高校として初めての優勝。
第46回
1964年
高知(高知)[2-0] 早鞆(山口)
選手はすべて戦後生まれになる。
第45回
1963年
明星(大阪)[2-1] 下関商(山口)
沖縄代表・首里が沖縄県勢として初勝利。
第44回
1962年
作新学院(栃木)[1-0] 久留米商(福岡)
作新学院、初の春夏連続優勝。
第43回
1961年
浪商(大阪)[1-0] 桐蔭(和歌山)
尾崎が柴田に最後の大会で勝つ。銚子商・柴が大会初のサヨナラ本塁打。
第42回
1960年
法政二(神奈川)[3-0] 静岡(静岡)
法政二・柴田(元巨人)と浪商・尾崎(元東映)が2回戦で投げ合う。翌年のセンバツ、夏と全部で3度投げ合うエース対決だった。
第41回
1959年
西条(愛媛)[8(延長15回)2] 宇都宮工(栃木)
北海道を南北2つに分ける。
第40回
1958年
柳井(山口)[7-0] 徳島商(徳島)
準々決勝の徳島商ー魚津戦は延長十八回で初の引き分け再試合に。徳島商のエース板東は6試合で83奪三振の最多記録。
第39回
1957年
広島商(広島)[3-1] 法政二(神奈川)
早稲田実・王投手が2回戦の寝屋川戦でノーヒット・ノーランを記録。
第38回
1956年
平安(京都)[3-2] 県岐阜商(岐阜)
大会初日、伊那北ー静岡で初のナイターが行われる。
第37回
1955年
四日市(三重)[4-1] 坂出商(香川)
大会後、選抜チームがハワイ遠征を行う。
第36回
1954年
中京商(愛知)[3-0] 静岡商(静岡)
高鍋が宮崎県の学校として初めて甲子園出場。これで全都道府県の学校が出場したことになる。大会後、優勝旗が2カ月以上行方不明に。
第35回
1953年
松山商(愛媛)[3(延長13回)2] 土佐(高知)
初めてテレビ放送が行われる。
第34回
1952年
芦屋(兵庫)[4-1] 八尾(大阪)
石川が沖縄県の学校として戦後初めて予選参加も東九州大会で敗退。ユ二ホ-ムに背番号をつけるようになる。
第33回
1951年
平安(京都)[7-4] 熊谷(埼玉)
戦時中無くなった内野スタンドの大屋根復活。
第32回
1950年
松山東(愛媛)[12-8] 鳴門(徳島)
決勝は鳴門-松山東の初の四国対決に。
第31回
1949年
湘南(神奈川)[5-3] 岐阜(岐阜)
ラッキーゾーン設置。開会式で地元・西宮高校の女子生徒がプラカードを持つようになる。平安・杉山が初のサイクル安打。
第30回
1948年
小倉(福岡)[1-0] 桐蔭(和歌山)
学制改革で新制高校設置。全国高等学校野球選手権大会に。小倉・福島が5連続完封で連覇。公募で「栄冠は君に輝く」が大会歌に制定
第29回
1947年
小倉中(福岡)[6-3] 岐阜商(岐阜)
甲子園に戻る。予選参加校が1000校を突破。関門海峡を越え、初めて九州の学校が優勝。
第28回
1946年
浪華商(大阪)[2-0] 京都二中(京都)
甲子園が米軍に接収されたため、西宮球場で再開。朝鮮、満州、台湾の代表がなくなり19校が出場。
第27回
1941年
戦争で中止

第26回
1940年
海草中(和歌山)[2-1] 島田商(静岡)
戦時体制となり、全日本中等学校体育競技総力大会の一部門として開催。海草中が連覇。
第25回
1939年
海草中(和歌山)[5-0] 下関商(山口)
海草中の嶋投手が5試合すべてを完封する記録。準決勝と決勝は連続ノーヒット・ノーランだった。
第24回
1938年
平安中(京都)[2-1] 岐阜商(岐阜)
決勝の平安中-岐阜商戦で平安中がサヨナラ勝ち。
第23回
1937年
中京商(愛知)[3-1] 熊本工(熊本)
中京商・野口(元阪急)が熊本工・川上(元巨人監督)に投げ勝ち、4度目の優勝。
第22回
1936年
岐阜商(岐阜)[9-1] 平安中(京都)
外野スタンドが改装され、現在のスリバチ状になる。
第21回
1935年
松山商(愛媛)[6-1] 育英商(兵庫)
中学生が入場式のブラスバンドを担当。
第20回
1934年
呉港中(広島)[2-0] 熊本工(熊本)
野球乃塔が甲子園に建てられるも、戦時中撤去。藤村富美男(元阪神監督)の活躍で呉港中が優勝。
第19回
1933年
中京商(愛知)[2-1] 平安中(京都)
準決勝の中京商-明石中で延長25回4時間55分の熱戦の末、中京商がサヨナラ勝ち。中京商は3連覇も果たす。
第18回
1932年
中京商(愛知)[4-3] 松山商(愛媛)
中京商が松山商に延長11回サヨナラ勝ちで連覇達成。
第17回
1931年
中京商(愛知)[4-0] 嘉義農林(台湾)
中京商、初出場で優勝。
第16回
1930年
広島商(広島)[8-2] 諏訪蚕糸(長野)
予選参加500校を越える。広島商が連覇。
第15回
1929年
広島商(広島)[3-0] 海草中(和歌山)
アルプススタンドが完成。
第14回
1928年
松本商(長野)[3-1] 平安中(京都)
代表校は補欠を含めて出場選手を14人以内にすることが決まる。
第13回
1927年
高松商(香川)[5-1] 広陵中(広島)
ラジオの中継放送始まる。早稲田実が初の三重殺に成功。
第12回
1926年
静岡中(静岡)[2-1] 大連商(満州)
応援団が禁止される。大連商が現在の日本国外の学校としては初めて決勝進出。
第11回
1925年
高松商(香川)[5-3] 早稲田実(東京)
初めて試合経過をラジオで放送。
第10回
1924年
広島商(広島)[3-0] 松本商(広島)
会場を阪神甲子園球場に移す。3日目で早くも満員に。静岡中・田中が初の満塁本塁打。
第9回
1923年
甲陽中(兵庫)[5-2] 和歌山中(和歌山)
台湾、東京の代表校が加わり19代表に。
第8回
1922年
和歌山中(和歌山)[8-4] 神戸商(兵庫)
和歌山中が決勝の8回に4点差を逆転し、大会初の連覇。
第7回
1921年
和歌山中(和歌山)[16-4] 京都一商(京都)
満州(中国東北部)、朝鮮からも代表校が加わり17代表に。和歌山中が4試合で75点の大会記録。
第6回
1920年
関西学院中(兵庫)[17-0] 慶応普通部(東京)
北海道代表が加わり15代表に。
第5回
1919年
神戸一中(兵庫)[7-4] 長野師範(長野)
全国14代表が参加。敗者復活戦を廃止。
第4回
1918年
米騒動で中止
予選は行われたが大会は中止に。
第3回
1917年
愛知一中(愛知)[1(延長14回)0] 関西学院(兵庫)
会場を兵庫県の鳴尾球場に移す。五輪を参考に初の入場式。
第2回
1916年
慶応普通部(東京)[6-2] 市岡中(大阪)
全国12代表が参加。市岡中・松本が大会初のノーヒット・ノーラン。敗者復活戦を導入。
第1回
1915年
京都二中(京都)[2(延長13回)1] 秋田中(秋田)
大阪府の豊中球場で全国中等学校優勝野球大会として開催。全国10代表が出場した。広島中・中村が大会初本塁打。

この一覧によると第1回は1915年 の京都二中(京都)と秋田中(秋田)の試合でした。延長13回の末、2対1で京都二中が勝ちました。
第二次大戦の為1941年から45年まで中止になりました。
自分は1936年の生まれなので主に戦後の試合に思い出があります。
その時代のことをいろいろ想うのです。
皆様も夏の甲子園にまつわるいろいろな思い出をお持ちのことと存じます。
夏の甲子園は日本の時代を刻む文化です。過去の試合たちはそれぞれの時代の空気を思い出させてくれます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)