後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「日韓友好は日本の国益です」

2023年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム
国際社会は一見平和のように見えます。しかし現実は厳しく各国は安全保障のため軍備に多大な予算を投入しています。しかし安全保障のためには軍備だけではなく信頼できる友好国を持つことの重要性は明らかです。
日本の安全保障はアメリカとの安保体制も重要ですが、近隣の中国と韓国との友好関係も重要なことは論ずるまでもありません。しかるに日韓関係は過去の歴史の故に友好関係を築くのは困難です。しかし日韓友好は日本の安全保障のためには欠かすことが出来ません。
今日は日韓友好の促進のために日本による朝鮮併合の歴史を考えてみたいと思います。
(1)客観的に考えた朝鮮併合の歴史
日本による1910年から1945年までの朝鮮併合を客観的に考えるためには、日本人と韓国人の歴史観を公平に書くことが最も重要です。
韓国人は現在の韓国は1919年の上海の亡命政府から始まったと考えています。現在の韓国の憲法にそう明記してあるからです。
一方、日本の学校では隣の韓国は1945年の日本の敗戦によって生まれた新しい国だと教えています。上海に出来た亡命政府のことは一切教えていません。ですから日本人は上海の韓国の亡命政府のことは全く知らないのです。
しかし韓国人は上海に1919年出来た大韓民国臨時政府が現在の大韓民国のはじまりだという教育を受けます。
この日韓両国の学校教育の違いが現在の悪い日韓関係の原因なのです。
韓国の学校では次のような憲法の冒頭に書いてある通り教えているのです。
・・・悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は、3・1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統が現在の韓国政府です。と・・・以下省略。
ここに出て来る3・1運動とは韓国人なら誰でも知っている1919年の3月1日の朝鮮独立運動のことです。
これは韓国人の歴史認識です。これは冷厳な事実です。
当時、上海には多くの朝鮮人独立運動家が集結し、彼らは臨時議政院を設立します。そして李承晩を首班とする閣僚を選出、臨時憲章を制定し、1919年4月、大韓民国臨時政府の樹立を宣言したのです。この李承晩は戦後に韓国の初代大統領になります。
日本の学校では韓国の初代大統領は李承晩と教えますが、彼が上海の大韓民国臨時政府の首班だったと一切教えません。日本では上海の亡命政府のことはタブーなのです。詳しくは、http://ja.wikipedia.org/wiki/大韓民国臨時政府 をご覧下さい。
なお三・一運動は1919年3月1日に日本統治時代の朝鮮で起こった運動です。独立万歳運動や万歳事件とも呼ばれています。現在の韓国では3月1日を三一節として祝日に指定しています。
以上が現在の韓国人が理解している朝鮮併合にまつわる歴史です。
一方日本人は朝鮮併合は彼等の希望で平和的になされたものだという理解です。従って日本の学校では朝鮮の独立運動や亡命政府のことは一切教えていません。
このように朝鮮併合の歴史観は日本と韓国で大きく異なるのです。まったく違うのです。
以上が客観的に考えた朝鮮併合の歴史です。
(2)韓国の慰安婦問題や徴用工問題に対して日本側に道義的な問題がある
韓国の慰安婦問題や徴用工問題を少し深く考察しました。その結論をかいつまんで書きます。
慰安婦問題や徴用工問題の根本原因は1910年から1945年までの日本による朝鮮併合にあると考えられます。
慰安婦問題や徴用工問題のような悲劇は日本の朝鮮併合に関連して起きたことです。ですから日本に道義的な責任があるという韓国の主張を無下に否定することが出来ないのです。
日本政府が直接実行しなくても朝鮮総督府の暗黙の了解で日韓の民間人が行ったことなのです。
道義的責任を取るためには日本民民族の誠意ある反省と寄付による慰謝料を払うことです。金額は問題ではありません。
道義的責任を取るか否かは日本民族自身の問題です。道義的責任を取れば日本民族は韓国から信頼されます。いたって明白なことです。
この冷厳な事実は事実として認めないと適切な日韓関係が築けないと私は思っています。
日韓友好は日本の安全保障のためには欠かすことが出来ません。そしてそれ以上に日本民族の品性がかかっているのです。
全ての外国の文化を尊敬すれば良いのです。それが日本民族の品性を高めるのです。この世界の全ての民族には優劣などはありません。韓民族も大和民族にも優劣などはありません。

今日の挿し絵代わりの写真は韓国の花々の風景写真と朝鮮民族の踊りの写真です。出典は、https://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TMC/TE_JA_7_5.jsp… です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)