仙台の大学を卒業したのは1958年でした。その頃は蔵王山に何度か登り麓の峩々温泉に泊りました。
峩々温泉は、北海道開拓使であった初代の佐賀藩主鍋島直正 が、宿営の建物を建てたことからその歴史が始まったそうです。明治初期のことでした。
視界に入るのは深い森と山ばかりです。自然とかけ流しの天然温泉です。携帯の電波が届かない山奥です。
蔵王山は宮城県と山形県にまたがる大きな火山です。火山ですのでその中腹や麓に幾つかの温泉が湧き出しています。宮城県側には遠刈田温泉、青根温泉、峩々温泉、そして山形県側には上山温泉、蔵王温泉(昔の高湯温泉)などです。
仙台や山形の人々はこの温泉へ湯治に行きます。四季折々賑わう温泉地ですが特に秋の紅葉の時期にはとても賑わいます。その一方蔵王山は登山やスキーを楽しむ山でもあります。
刈田岳や熊野岳が登山者をさそいます。刈田岳の噴火口、お釜の景観が登山の疲れを癒してくれます。そして冬は樹氷に輝くスキー場になるのです。
1960年に仙台を離れるまで何度も蔵王に行き山奥の峩々温泉に泊まりました。
結婚して東京に住むようになります。しかし家内を峩々温泉だけは連れて行きませんでした。当時の峩々温泉はあまりにも粗末で家内が驚くと思ったからです。
仙台や山形の人々はこの温泉へ湯治に行きます。四季折々賑わう温泉地ですが特に秋の紅葉の時期にはとても賑わいます。その一方蔵王山は登山やスキーを楽しむ山でもあります。
刈田岳や熊野岳が登山者をさそいます。刈田岳の噴火口、お釜の景観が登山の疲れを癒してくれます。そして冬は樹氷に輝くスキー場になるのです。
1960年に仙台を離れるまで何度も蔵王に行き山奥の峩々温泉に泊まりました。
結婚して東京に住むようになります。しかし家内を峩々温泉だけは連れて行きませんでした。当時の峩々温泉はあまりにも粗末で家内が驚くと思ったからです。
そんな峩々温泉の改築した現在の写真をお送りいたします。
1番目の写真は大きく改築した現在の峩々温泉です。建物が7棟もありますが1958年当時は1棟だけでした。
2番目の写真は峩々温泉の近景です。険しい山に囲まれています。
3番目の写真は峩々温泉の湯舟です。
4番目の写真は蔵王の頂上にある御釜の紅葉の風景です。傍の駐車場からかなり登ると眼前に急にこの風景が広がるのです。健在だった父母や家族と一緒に見たのも30年以上も前になりました。
自分の故郷の蔵王山の麓の峩々温泉をご紹介しました。思い出いっぱいの峩々温泉です。
故郷の山と峩々温泉は一生私の心に中にあり我が人生を豊かにしてくれます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
自分の故郷の蔵王山の麓の峩々温泉をご紹介しました。思い出いっぱいの峩々温泉です。
故郷の山と峩々温泉は一生私の心に中にあり我が人生を豊かにしてくれます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)