後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「感動的だった旅(6)江戸時代そのままの大内宿への旅」

2023年09月06日 | 日記・エッセイ・コラム
大内宿(おおうちじゅく)は、福島県南会津郡にある江戸時代の会津西街道の宿場です。明治期の鉄道開通に伴って宿場としての役割は無くなりました。しかし茅葺屋根の民家が街道沿いに建ち並ぶ集落は観光名所として有名です。
地名として現在も受け継がれている。1981年(昭和56年)に重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。
私どもも2度訪問しました。江戸時代そのままの宿場の風景に感動したものです。 全長約450mの道路の両側に藁ぶきの民家が整然と建っています。江戸時代には会津西街道の「半農半宿」の宿場でした。泊り客が少ないので周囲の畑で農業もしていたのです。 
1980年(昭和55年)7月に「下郷町伝統的建造物群保存地区保存条例」が制定され、1981年(昭和56年)の4月に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。
宿場町としては長野県の妻籠宿および奈良井宿に続いて全国で3番目の選定でした。「大内宿保存会」も出来、住民による町並み保存活動が始まりました。
近くのJR湯野上温泉駅も1987年に茅葺屋根の駅舎に建て替えられなした。
そんな所が観光名所の大内宿なのです。
大内宿は何度も行った懐かしい宿場町です。写真をインターネットからお借りしてお送り致します。
写真で示したような大内宿の道路をゆっくり歩きました。自分自身が江戸時代の人間になったような気分になります。そして最後の写真のような古い民家の中に入りんました。古い和服を着た老婆がいてダンゴを売ってます。家内と私は囲炉裏端に坐って無言でダンゴを食べます。
外に出て道を山の方向に登り小山の上に立ちました。そこからは整然と藁葺き屋根が並ぶ宿場町が見下ろせたのです。何故か感動しました。

今日は「感動的だった旅」の(6)として江戸時代そのままの大内宿への旅をご紹介致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)


「感動的だった旅(5)長崎の教会を訪れる旅」

2023年09月06日 | 日記・エッセイ・コラム
長崎は日本のカトリックの揺籃の地です。隠れキリシタンが250年の厳しい禁教にもかかわらず信仰を守り続けた土地です。
その長崎の大浦天主堂と出津教会の写真を掲載します。
1番目の写真は国宝の大浦天主堂の写真です。
 長崎市への原爆投下によって破損しましたが、爆心地から離れていたため焼失は免れました。そして昭和28年に文化財保護法に基づき国宝に指定されました。これは洋風建築としては初の国宝指定でした。
2番目の写真は大浦天主堂の横にある司祭館です。現在はキリシタンの遺物の展示館になっています。私どもも訪問しました。
3番目の写真は出津教会です。ド・ロ神父が長崎の出津に 建てました。彼は宣教師として1868年に来日してから1914年に亡くなるまで一度も故郷に帰ることなく、私財をなげうって日本、特に長崎の貧しい人々のために自分を捧げた司祭でした。 
4番目の写真はド・ロ神父記念館です。私どもも訪問しました。
ド・ロ神父は長崎の出津教会の主任をしながら手を付けたのが福祉事業だった。遭難漁民の寡婦ら貧しい婦女子に機織りや食品製造などの技術を教え、自力で生きて行く道を開けるよう援助する施設として「救助院」を開いたのです。 

「感動的だった旅」の(5)として長崎の教会、大浦天主堂と出津教会を訪れる旅の思い出を書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)


「五能線で行った太宰治記念館、『斜陽館』の写真」

2023年09月06日 | 写真
この前の記事、「感動的だった旅(4)はるか最果ての五能線の淋しい旅」の五能線で五所川原市へ行って太宰治記念館、『斜陽館』を訪問しました。
斜陽館は太宰治が生まれ県立青森中学校に入学するまで住んでいた青森県の津軽平野にある大きな家です。占領軍の農地解放、小作人制度廃止で大地主の津島家が没落し、昭和23年に当主の津島文治氏が同じ金木町の角田唯五郎氏に売り渡しました。昭和22年、太宰治の「斜陽」という小説が大ベストセラーになったので買い取った建物を、角田氏は昭和23年に斜陽館という名前の旅館にしました。この経営方針は成功しましたが、次第に客足も減り、その後、斜陽館は廃屋同然になっていました。
その後、昭和51年に黒滝氏が買い取りました。平成8年には、金木町が地域の活性化のためにこの家を買い取り、1億5千万円をかけて復元工事を完成し、太宰治記念館として一般公開しているのです。家内が2013年5月31日に撮影した斜陽館の写真です。

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「感動的だった旅(4)はるか最果ての五能線の淋しい旅」

2023年09月06日 | 日記・エッセイ・コラム
全国の地方には単線で電化されていない昔風の鉄道があちこちに走っています。多くの人がそのようなノスタルジックな鉄道に乗るためにわざわざ旅に出ます。
今日は「感動的だった旅」の(4)として、はるか最果ての単線の五能線の旅の思い出をお送り致します。津軽へ行くため五能線に乗ったのです。
秋田県の東能代駅から日本海側を走り、青森県の五所川原を経て、川部駅まで行く路線を五能線といいます。全長147kmの鉄道です。
沿線には海からの強風に耐えかねて過疎になってしまった小さな漁村が所々にあるだけです。
私も一度は乗って見たいと長い間憧れていた五能線です。
津軽への旅行の途中に、その深浦駅から鰺ヶ沢駅までの約1時間の区間を乗りました。2013年5月30日のことでした。
昔風のジーゼル車の車窓からの眺めは荒涼とした日本海が広がるだけで、人間が居ないのです。たまに廃屋の目立つ村落を通過しますが、人の気配がしません。
昔、日本が貧しかった頃の汽車の旅を思い出しながら車窓の外に広がる海をただボンヤリン眺めていました。すると何故か穏やかな気分なるのです。家内が撮った写真をお送りします。
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1番目の写真はいかにもローカル線といった風情の2両編成の車両です。
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2番目の写真は運転士さんの後ろに立って写しました。
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3番目の写真は寂しい日本海の荒磯の風景です。五能線の沿線はこんな風景が続きます。
波打ち際からほんの少し上がった所に水田がありました。稲作があるのにはびっくりしました。五能線は線路の手入れが悪いのか、とにかく凄く揺れるジーゼル車の旅でした。深浦駅で乗り込み鰺ヶ沢駅で下車しました。
ところでいろいろな鉄道の雑誌では、「五能線の魅力は冬に行かないと分からない」と書いてあります。そこで検索をして冬の景色の写真をお送りいたします。写真の出典は、http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/da/%E5%86%AC%E3%81%AE%E4%BA%94%E8%83%BD%E7%B7%9AImg406.jpg です。

4番目の写真は冬の日本海の荒磯の風景です。
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5番目の写真も冬の日本海の風景です。
このような冬の五能線の写真を見ていると確かに冬が魅力的な路線だと分かります。冬は別世界です。はるばる地の果てにやって来たという感じが胸を打つに違いありません。

今日ははるか最果ての単線の五能線の淋しい旅の思い出をお送り致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)