あれは随分と昔になってしまいました。まだ高度経済成長の時代に入る前の1950年代から1960年代の初めまでの人々が必死に生きていた頃のことです。日本はまだまだ貧しく、必死に働かないとに生きていけなかったのです。
そんな時代に町々に走っていたのはボンネットバスと路面電車でした。自家用車が憬れの時代でした。
スバル360やマツダクーペが出始めました。トヨペットクラウンやダットサンを買う人も出始めました。
外車と言えばアメリカ車や、イギリスのヒルマンや、ドイツのフォルクスワーゲン、そしてフランスのルノーなどが少しずつ増えていった時代でした。
住宅はまだ貧しく一部屋のアパートに家族で住む人も多かったのです。南こうせつさんの「神田川」という歌では4畳半のアパートに住む若い男女の様子がせつなく唄われていました。皆様は「あなたはもう忘れたかしら~赤い手ぬぐいマフラーにして~」という歌詞を憶えていらっしゃいますでしょうか?
そんな時代の生活を思い出させるボンネットバスとルノーの写真とマツダクーペやスバル360の写真をお送りいたします。
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1番目の写真は1950年、昭和25年に日野自動車が作り、1966年まで製造されたボンネットバスです。日本全国の路線バスとして日本の風景の一部になったいたバスです。写真を撮った所は「日野オートプラザ」です。
アクセスなどは、http://www.hino.co.jp/autoplaza/access/index.html にあります。
直列水冷6気筒、80馬力のジーゼルエンジンがついていました。家内が撮ったので私も写っています。
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2番目の写真は運転席です。当時はパワーステアリングでなかったのでハンドルを回すには力が必要でした。ですから運転手は男に限られていたのです。ギヤーもシンクロされていませんから運転手はダブルクラッチをしてギヤーを入れ替えていたのです。男の子は必ずのように運転席の後ろに立って運転の様子を見ていたものです。
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3番目の写真はバスの椅子の様子です。椅子は全てこのような長いベンチ形式で、乗客が座ると女性の車掌が切符を切りに回って来るのです。満員になると車掌は動かないで、バスが止まった時、一番先に下りて出口の下で切符を切っていました。
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4番目の写真は日野自動車が1957年、昭和32年から製造し始めたフランスのルノーです。フランスルノー公団と契約し製造技術を導入しました。当時は日本で製造される外車は珍しく数多く売れたようです。自家用車やタクシーとして広く普及しました。
私はルノーの如何にもフランスらしい姿に憧れて、タクシーに乗る時はルノーを選んで乗っていたものです。
後ろに水冷4気筒、750ccの15馬力のエンジンを積んでいました。現在の軽自動車のエンジン760ccと同じだったとは驚きです。その割には機敏に走り回っていました。
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5番目の写真は日野自動車が1958年から販売していたハスラーという名前の小型三輪トラックです。製造は三井精機工業でした。エンジンは空冷単気筒、285cc、8・8馬力でした。
昭和30年代から40年代にはこのような小型三輪トラックが多数、全国に走っていたのです。マツダもダイハツも小型三輪トラックを大量に生産していました。
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6番目の写真はマツダクーペ360です。私もアメリカ留学から帰国した1962年から数年間乗っていました。アメリカではダッジの大型車に乗っていたのでマツダクーペの小ささに驚いたものです。
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7番目の写真はスバル360です。町をいっぱい走っていました。叔父もスバル360を持っていたのでマツダクーペ360を私が運転して2台で奥多摩湖までドライブしたこともありました。
日本の経済も成長してやがて高度成長期に入りました。
そうすると街から路面電車が消え、ボンネットバスやルノーやマツダクーペやスバル360も消えて行ったのです。愛用していたマツダクーペが懐かしいです。
こうして日本の車の風景がすっかり変わってしまったのです。
皆様は町々にボンネットバスが走り自家用車が憬れだった頃の思い出がありますでしょうか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)