老境になると懐かしいのは最初のアメリカ留学です。1960年に初めてアメリカへ留学しました。オハイオ州立大学に留学したのです。
その時アメリカの豊かさに驚愕する体験をしたのです。戦争で負けてひどく貧しい生活をしていた日本から豊かなアメリカに行って驚きました。それは人生で一番大きいな驚きでした。感動でした。これでは戦争に負けるとしみじみ思いました。真珠湾攻撃をした日本の愚かさに失望しました。
今日はアメリカの豊かさに驚いた留学体験を書いてみたいと思います。
まずオハイオ州立大学の規模があまりにも壮大なので驚き感動しました。大学専用の飛行場を持っているのです。そして学生が格安で使える18ホールのコースを2つ揃えたゴルフ場を持っていることです。その広さは日本の大学と比べようもありません。
アメリカ全土には、同じように壮大な規模の大学が数十あると聞いて、私は度肝を抜かれました。そうしてこんなにも豊かな国と戦争をした日本民族の愚かさをしみじみ想ったのです。国力の差で戦争に負けたとさんざん聞いていましたが、その差があまりに大きいことに愕然としたのです。はるばる遠いオハイオ州まで旅をして日米の国力の決定的な相違を始めて知ったのです。
オハイオ州立大学の風景を写真に従ってご紹介します。
アメリカの大学は広大な敷地の中に建物を建てています。その様子は街の中の古い建物をそのまま校舎として使っているヨーロッパの大学とは大いに違います。
1番目の写真は校地の中央にある芝生の広場とそれを囲む建物群の写真です。このような広い芝生の広場がもう一つありました。芝生の中に交差している通路は学生たちが芝生を踏まないように舗装した通路です。
2番目の写真は数万人を収容する巨大なスタジアムです。写真の下方に写っている自動車と比較してみるとスタジアムの巨大さが分かります。この大学はアメリカン・フットボールが強いので有名なので、スタジアムも立派なのです。試合のある時は入場券が売れすぎて入手が困難なのです。私はフルブライト留学生だったので地元の新聞社、コロンバス・デスパッチ社がすぐに招待してくれたお陰で観戦することが出来ました。
3番目の写真は私達が使っていた3階建てのロードホールという建物です。この写真では右のほうに玄関がありますが、その右の1階には、私が作った実験措置が置いてあった部屋があり、2階には講義室がありました。
4番目の写真はこの大学の金属工学科の入っている主な建物です。玄関を入ってすぐ右に学科主任のフォンタナ教授の部屋がありました。イタリア系の人でいシシリー島のギャングの親玉の風貌でしたがとても優しい性格の教授でした。そして学科主任の秘書はヘレンという面倒見の良い上品な女性でした。学科主任にアポ無しで何時行ってもニコニコしてすぐに学科主任に会わせてくれたのです。ヘレンが引退したとき、日本に観光旅行に来ました。帝国ホテルに泊まったので昔世話になった日本人留学生が集まり歓迎会をしました。ちょっと脱線しましたが今日は1960年代のアメリカの豊かさに驚いた留学体験を書きました。
茫々、あれから60年です。親切に接してくれた全ての人に感謝の気持ちがいっぱいです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)