後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「蔵王山の美しい樹氷の写真」

2024年11月23日 | 写真
仙台で生まれ育った私は何度も蔵王山の樹氷の間でスキーをしたことがあります。
当時は仙山線で山形駅に行き、そこからバスで高湯温泉(現在の蔵王温泉)に上がりました。高湯温泉からはスキーを履いてドッコ沼の山小屋に逗留するのです。
ドッコ沼の上の懺悔坂から地蔵岳までが樹氷地帯なのです。地蔵からの帰りは急坂の懺悔坂は怖いので、なだらかな大平コースを下ります。夕日を浴びた茜色の樹氷の光景が今でも私の網膜に焼き付いています。
あれから茫々60年以上も経ちました。
毎年、今頃になると懺悔坂の怖さと夕日の樹氷の姿を思い出します。
今日は皆様に蔵王山の美しい樹氷の写真をお楽しみ頂きたいと思います。
お送りする写真は「 山形蔵王の樹氷写真集」、http://www.asahi-net.or.jp/~EH5W-KRD/zao/photo.htm からお借りしました。
これらの写真のはじめの2枚が樹氷の写真で3番目の写真は霧氷と言い出来る過程がまったく違います。
霧氷は文字通り霧が枝に氷りついたもので寒い場所なら何処でも出来ます。
4枚目は蔵王の頂上にある噴火口、「お釜」と這い松に出来た一種の樹氷です。這い松に出来たものは樹氷とは言わず、当時は「しゅかぶら」と呼んでいました。
樹氷は蔵王山と八幡平にしか見ることが出来ません。特殊な気象条件が必要なのです。

今日の樹氷の写真では樹氷が雪をかぶっています。雪をかぶった樹氷は不思議な恰好をしています。

蔵王山の美しい樹氷の写真をお楽しみ頂きたら嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「昔の日本の冬は貧しくて寒かった」

2024年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム
最近、東京も寒さが一段と厳しくなって来ました。毎年2月になると私が住んでいる小金井にも雪が降ります。
私は北国の仙台に生まれ育ったので雪の坂道で橇遊びや竹スキーをしました。雪が懐かしいです。そこで小金井公園の雪景色の以前の写真をお送り致します。小金井公園が雪で埋もれています。
1番目の写真は雪で覆われた「みんなの広場」の風景です。
2番目の写真は3人の若者が雪達磨を作って遊んでいる風景です。写真を撮っている家内へ自分達はカナダから来てスノウマン造りのプロだと言ったそうです。
3番目の写真は家内がジョギングしている風景です。
毎年寒くなると戦前、戦後のころに過ごした仙台の冬の日々を思い出します。
当時は日本中が貧しくて、ひもじくて冬の寒さが一層厳しく感じられたのものです。家の暖房といえば火鉢の小さな炭火と練炭コタツしか無いのです。その上、外と家の中を仕切るガラス戸の立て付けが悪くて隙間風が入って来ました。
吹雪の夜に寝ていると枕もとまで雪片が入ってきたものです。
現在の日本の家はガスストーブや電気ストーブやエアコン暖房で温められていて冬の寒さなど怖くありません。
しかし時々は昔の冬の寒さを思い出した方が良いのではないでしょうか?
その冬の寒さを考えると春の有難味が一層深くなります。四季のあることに感謝したくなります。日本に生まれた幸せをしみじみと感謝します。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)