自分が貧乏だから持っているお金だけで出来る趣味を楽しむ。これが引退後の人生を輝かしい日々に変える為の鉄則と確信する境地に至りました。
まず自分が貧乏であると、しっかり認識します。しかし、お金持ちになろうと考えてはいけません。創意工夫を重ねて、あるお金だけで賢い生活をすることです。この時、一つや二つの趣味を持ち、その為の最小の出費を惜しんではいけません。
何度も書きましたが、別荘と「山の中の小屋」との出費の違いは大きいものです。建造費が10対1位違います。別荘地と山林地とは値段も違う上、不動産税が雲泥の差です。しかし豊かな想像力と自然へ対する憧憬が強ければ同じように楽しめます。ロマンチシズムを持っていると、より一層豊かに趣味を楽しめます。
十畳位の小屋を50年間、増築もせず通っています。
1番目の写真は私の山林の中の小屋です。
電気釜という文明の利器を山へ持って行って美味しいご飯を炊くのです。友人の鬼家さんを招んで、青空の下で家内と3人で昼食を楽しむ。それだけが楽しいのです。見上げると丘の稜線に立つ雑木林が落葉し、向こう側の青い空が見えます。テーブルの足元には清らかな水音をたてて小川が流れています。昼食は炊き上がったばかりの鶏飯だけです。お茶と漬物だけの質素な食事です。モリアオガエルの冬眠のさせ方が食卓の話題です。
2番目の写真は山林の中の小屋の庭で使った電気釜です。
3番目の写真は炊き上がったばかりの鶏飯の食卓です。
鶏ご飯の準備は前日に自宅で丁寧にします。鶏肉、ゴボウ、シイタケ、ニンジン、油揚げを刻み濃い味で煮て持って行きます。茶飯が出来たら混ぜるのです。鶏ご飯を丼に盛り、上に卵焼き、サヤエンドウ、紅ショウガ、刻み海苔をかけて出来上がりです。一番大変だった工程は、鶏の一枚のもも肉を小さく刻むことでした。それを根気よくしたので山の中で食べる鶏飯が一層美味しく感じることが出来たのです。正直に白状すればニンジン、ゴボウ、シイタケを刻んで煮たのは家内ですが。
山林の中に小屋を持っています。そう人に言うと、「私には別荘を持つ余裕が有りません」と答える人が多いのに吃驚します。それは好奇心の欠如と想像力の貧困を白状しているように聞こえます。そのような発想方法では引退後の人生を輝かせる事が不可能と思います。
紙と墨だけで古新聞紙に見事な書を書く人を見たことがあります。子供へ書道を教えている人でした。子供の持ってきた粗末な筆を取り、墨汁をたっぷり浸けて、一気に書いた文字の躍動感に吃驚したことを思い出しています。書の趣味はごくささやかな出費で楽しめるのです。勿論、お金をかけだしたらキリが有りません。それはどんな趣味でも同じことです。自分が貧乏であるとしっかり認識する。賢い工夫と想像力で趣味の世界を豊かにする。出費は最小限にする。貴方自身の想像力と何かへ対する憧憬の心があれば人生が輝きだすのです。
皆様は趣味をお持ちでしょうか?どの様な境地で楽しんでいらっしゃいますか?毎日が輝いていますでしょうか?
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 藤山杜人