後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「写真を見て懐かしむ酸ヶ湯温泉、八甲田山、会津の紅葉」

2024年11月19日 | 日記・エッセイ・コラム

東北地方の山々は秋深くなると紅葉が美しくなります。山全体が燦然と輝くのです。しかし東北の山々は遥かに遠く交通も不便です。東北の仙台は私の故郷ですが東北の山々の紅葉はなかなか見に行けません。しかし若い頃は酸ヶ湯温泉、八甲田山、会津の紅葉、会津の磐梯山、猪苗代湖などの紅葉は見に行きました。

仙台を出て茫々60余年。東北の紅葉を見ておりません。今日はそんな懐かしい東北の山々の紅葉の写真をお送りいたします。始めは酸ヶ湯温泉と八甲田山の紅葉で、続いて会津の梯山、猪苗代湖の紅葉の写真をお送りいたします。

酸ヶ湯温泉は懐かしい曾遊の地です。東北の山奥にある実にひなびた温泉場です。近所の農民が湯治に来る素朴な宿があるだけです。

写真の出典は、https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=25053017647&GroupCD=0&no=&rtm=likeimage です。

1番目の写真は酸ヶ湯温泉です。すごい山奥の秘湯でした。野外にある湯舟に妻と入りました。周囲は新録の山でした。

2番目の写真は八甲田山の紅葉です。この八甲田山の麓へ車でき頂上をると、こんな山でした。

3番目の写真は八甲田山の麓の紅葉です。麓には川が流れています。

続いてて会津の磐梯山、猪苗代湖の紅葉の写真をお送りいたします。写真の出典は、https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=25053017647&GroupCD=0&no=&rtm=likeimage です。

4番目の写真は磐梯山、猪苗代湖の紅葉です。

5番目の写真は磐梯山です。綺麗な火山です。

6番目の写真は檜原湖の紅葉です。磐梯山の裏は火山の爆発で吹き飛んでいます。

7番目の写真は磐梯山の遠景と樹々の紅葉です。

磐梯山は1888年(明治21年)7月15日に水蒸気爆発しました。山体崩壊を起こし発生した爆風と岩屑なだれにより北麓の5つの村の11集落が埋没する被害が出ました。そして477人の死者を出しました。
この噴火は明治になってからの近代日本初の大災害です。
現在は会津磐梯山と猪苗代湖はすっかり静かになり明治21年の大災害も忘れられています。
私の大学時代の友人が大きなキャビン付きのヨットを猪苗代湖に係留していました。そのお陰で何度か猪苗代湖でセイリングを楽しみました。磐梯山が碧く輝いていました。懐かしい風景です。
7番目の写真の出典は、https://imagenavi.jp/search/detail.asp?id=70273505 です。
 
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。 後藤和弘(藤山杜人)

「写真を見て懐かしむ紅葉の十和田湖と奥入瀬渓流」

2024年11月19日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の秋は気温が丁度良く空気が澄んでいて実に気持ちの良い季節です。その上紅葉が野山を飾り見事になります。精神が高揚する季節です。

今日はそんな紅葉の風景写真をまずお送り致します。十和田湖と奥入瀬渓流の紅葉です。十和田湖の写真の出典は、https://amanaimages.com/info/infoRF.aspx? と、SearchKey=11076032925 です。紅葉の奥入瀬渓流の写真の出典は、https://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10211000216 です。

1番目の写真は紅葉の十和田湖と湖上を行く観光船です。観光船から眺めた回りの山々が美しい曲線を描ております。

2番目の写真は観光船のいない静かな湖です。十和田湖周辺は静かな森になっていて小鳥の囀りが聞こえるだけです。

3番目の写真は十和田湖の岸の半島です。岸辺は不思議に形で入り組んでいるのです。

4番目の写真は有名な高村光太郎作の「乙女の像」です。乙女というよりは2人の中年の女性の像です。芸術を感じさせます。乙女の像の写真の出典は、https://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=11076033489 です。

5番目の写真は奥入瀬渓流です。日本を代表する美しい渓流です。水がこの写真のように白く泡立って勢いよく流れています。

6番目の写真も美しい渓流の風景です。所々に滝があり清々しい水音が木霊しています。

7番目の写真も渓流の風景です。この渓流はやがて太平洋に流れ下っています。滝が幾つかあるので鮭や鱒が十和田湖まで登って行けません。十和田湖には和井内貞行がヒメマスを放流したのでヒメマスが沢山棲んでいます。

さて十和田湖の歴史を少しご紹介したいと思います。(十和田湖 - Wikipedia

十和田湖にはマタギ(猟師)にまつわる伝説もあるほか、湖畔の中山半島にある十和田神社坂上田村麻呂が平安時代初期の大同2年(807年)に創建したとの説もあます

十和田神社は中世に山伏が修行し、江戸時代には南部藩の霊場となっていました。十和田湖は青龍権現を祀る神仏習合の霊山として、近畿の熊野権現や関東の日光東照宮に比べられる東北地方の山岳霊場でした。

近世以降は1665年(寛文5年)に鉛鉱、1719年(享保3年)には銀鉱が発見され十和田鉱山で知られるようになります

 1849年(嘉永2年)松浦武四郎北海道からの帰路、奥入瀬方面から青龍権現に参拝し発荷峠を越え、その記録を『鹿角日記』に記録しています。

1905年(明治38年)に和井内貞行ヒメマスの養魚事業を成功させました。

1908年(明治41年)に文人の大町桂月が初めて十和田湖を訪れ、1921年から1923年にかけて周辺を探勝し、その素晴らしさを紹介します。以降は、風光明媚な観光地として有名になったのです

1936年(昭和11年)に国立公園に指定されました。2003年 - 2004年ごろの300万人をピークに観光客は減少を続け、特に東日本大震災のあった2011年には大きく数が減りました。

最後に奥入瀬渓流のことです。(奥入瀬渓流 - Wikipedia)

奥入瀬渓流は十和田湖東岸の子ノ口から流れ出て、焼山までの約14kmにわたる渓流です。国指定の特別名勝及び天然記念物です。二重カルデラ湖の十和田湖が決壊して形成されたU字型の渓谷です。

1936年(昭和11年)には十和田国立公園(現:十和田八幡平国立公園)に指定されまし。銚子大滝(高さ7m、幅20m)や落差15mの九段の滝など、が連続して現れるため「瀑布街道」とも呼ばれています

今日は紅葉の十和田湖と奥入瀬渓流をご紹介致しました。 日本の秋は紅葉が綺麗で空気が清々しく実に気持ちの良い季節です。皆様も紅葉を見る旅に出かけることと存じます。

それはそれとして、皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


「写真を見て懐かしむ八ヶ岳山麓の小屋への小さな旅」

2024年11月19日 | 日記・エッセイ・コラム
間もなく90歳代に手が届きそうになった私は車の免許を返上しました。それまでは車でいろいろな所へ旅をしたのものです。
今日は八ヶ岳山麓の小屋への小さな旅の思い出をご紹介したいと思います。山梨県北杜市の山林の中の小屋への旅です。
その小屋は甲斐駒岳の足元の深い、深い森の中にあります。
人のいない淋しい雑木林の中の小屋への旅はチョッとした冒険の旅でもあります。そして俗界を離れた桃源郷への旅のような感じもいたします。
それでは皆様を深い山林の中への小さな旅を写真にしたがってご案内いたしましょう。
1番目の写真は北杜市武川町の山道の入り口に広がる稲田の風景です。ブランド米の武川米(農林48号)を作っています。寿司屋さんがよく使う米です。
2番目の写真は雑木林の中の小屋へ登って行く悪路です。ゆっくり車を走らせないと路面に出ている石に車体をガツンとぶつけます。冬になると、すっかり落葉して明るい道になりますが、何時もは昼でも暗い道です。ここで俗界からいよいよ離れるのです。
3番目の写真は暗い雑木林を2Km位登った終点にある私の小屋です。鉄筋コンクリートにしたので建てて50年になりますが朽ちません。家の中に入ると何時も清潔になっています。周囲は湿気の多い谷地ですが朽ちないのが取り柄です。
4番目の写真は小屋の反対側の黄葉が始まった木の写真です。写真の左手前に写っているガーデン燈は夜に美しい光を放ちます。小屋にはガス、水道はありませんが電気だけは来ています。
5番目の写真は小屋の庭を流れる小川の写真です。この畔の椅子に座って水音を聞いていると俗界のことは全て忘れてしまいます。桃源郷とはこのような所なのかと想像をめぐらせます。私は桃源郷に遊ぶ心地で座っています。周囲を流れる空気が新鮮で遠方で鳥の声がします。静かに坐っていると時々猿の群れが遊びに来ます。
一方、家内は何時ものように長い棒を持ってしきりに川の中の落ち葉や枯れ枝を取り除いています。そうすると綺麗な川底の白っぽい砂床が見えて美しい小川になるのです。先日の台風で木の枝が折れ、橋の上まで水が上がり「沈下橋」状態になっていました。何時来ても家内は川で夢中に遊んでいます。
小屋に着いたのは11時前でしたが小川のそばで1時間位のんびりしました。その後屋内でお茶を淹れ持参したオニギリを食べました。
6番目の写真は下界の別荘地の花々です。
7番目の写真も別荘地の花です。この別荘には夫婦が住んでいますが。奥さんが花好きでいろいろな花を栽培しています。以前にご挨拶したら、何時でも写真を撮っても良いと言われました。
8番目の写真はダリアの花です。
9番目の写真は名前の知らない花です。
10番目の写真は万葉集の山上憶良の歌にあるフジバカマの花です。日本で1000年以上大切にされている花です。
11番目の写真は菊の花の向こうに見えた八ヶ岳です。
ここからは甲斐駒岳がまじかに見えます。
このような写真を撮った後は何時ものように白州道の駅にある大型スーパーに寄ります。
そのスーパーではバラの花が12本で200円なのです。何故バラの花が何時も安いのか不思議です。白州から甲州街道を甲府の方向に行くと昔の台ケ原宿に入ります。古い宿場町で七賢という酒蔵と信玄餅の元祖の金精堂があります。
この元祖の信玄餅を買って帰ってきました。
中央高速道路へは須玉インターから入りました。往復300Kmの小さな旅でした。
面白いことが何も無い地味な小さな旅です。あるのは山林だけです。
山林がお好きな方にはお薦めの旅です。

それはそれとして、
 今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)