後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

天国と極楽浄土は同じ所・・・入口が違うだけです

2011年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム

死んだ祖父母や両親が仏教徒で、子供がキリスト教という場合があります。その逆の場合もあります。例えばキリスト教徒の子供が死んで天国へ行ったとき、浄土にいる祖父母、両親に会えないのでしょうか?あるいは先に死んでしまったペットの愛犬や猫には会えないのでしょうか?

このような疑問は多くの人々が持っています。しかし口に出して他人に聞く訳にもいきません。神父さんやお坊さんへ聞くのも憚られます。あまりにもばかばかしい質問です。しかし真剣に考えれば考えるほど切実な問題です。

その質問に対しての私の答えは年齢と共に変化してきました。

若い頃は、「そうです。浄土と天国は違いますから多分会えないのでしょう」と答えていました。

中年になってからは、「そうですね。難しいかも知れませんね。でも一生懸命会おうとすれば会えるかも知れませんね」と答えるようになりました。

老境に至ってからは、「天国と極楽浄土は同じ所・・・入口が違うだけですよ。必ずすぐに会えます。」と、確信を持って答えます。明るい声で答えます。すると多くの人は納得します。

そんな答えを何度もしていると自分もそのように信じるようになります。

宗教は人を幸せにする為にあるのです。浄土と天国は違うと言って不幸な人を作ってはいけません。ときどき狭い狂信的なキリスト教徒や仏教徒に会うことがあります。

宗教の信者が一番注意すべきことは狭量と狂信です。自分の信仰を他人へ押しつける事です。そのような事をすれば、無宗教の人々が増えるのです。

無宗教でも良いし、信仰を持っていてもどちらでも良いのです。

それはそれとして、ご縁があってこの文章を読んで下さった、

皆様のご健康と平和を今日もお祈り申し上げます。藤山杜人

浄土や天国には花がいっぱい咲いていると思いますので私が夢の島公園で昨年撮った花園の写真を下にお送りいたします。

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