後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

門松やおせち料理は美しい日本の文化

2015年12月28日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日は山の小屋に行き暮れの掃除をしながら門松やおせち料理のことを考えていました。
まず昨日の甲斐駒岳と八ヶ岳の写真を順にお送りします。



そして3番目の写真に小屋の写真を示します。

この写真のようにこの小さな小さな小屋は大きな松の木や雑木に囲まれた森の中にあります。
毎年、暮れになると門松につかう松の枝を取りにきます。
小屋の周囲の松は大木すぎて門松には、向いていません。小屋の後ろの雑木林を200mくらい入ったところに石空川が流れていて、その川原に小さな松が沢山生えています。
数年前まではその松を取りに川原へ降りて行きましたが、最近は体が硬くなってしまい降りて行けません。門松は東京で買うことにしています。
話はそれますがこの小屋は森と遊ぶ小さな基地です。周囲の雑木林を散歩したり、野鳥の鳴き声を楽しみます。夏にはセミの声が降り注ぎます。新緑も紅葉も楽しめます。小屋の窓から猿や鹿も見えます。自然の中に溶け込んで楽しむ小さな基地です。
それはさておき、お正月が来ると多くの人は門松を飾り、お節料理を作ります。
しかし人それぞれでそれを一切しない人もいます。
それににしても門松とお節料理は連綿と続いています。それは美しい日本の風物詩なのです。
日本の美しい伝統文化と思います。
何故、多くの人々が続けているのでしょうか。
いろいろな理由があるでしょうが、私の場合は門松やお節料理は家庭の幸せの証として大切にしています。
楽しかったお正月の思い出として大切にしています。
まだ家内が若く、子供も幼かった頃におせち料理を熱心に作っていたものです。
自分が子供の頃の食糧難の時代に両親が必死でお正月のご馳走を用意していたからです。
そのような楽しかった頃の思い出がよみがえって来るのです。
上にも書きましたが 門松は以前は山に取りに行きました。半紙と稲縄で作った飾りをつけて毎年門扉にとりつけます。それはお正月を迎えるささやかな儀式のようなものです。
そして今日からお節料理の材料の用意を始めます。
昔は全てのお節は手作りでした。現在は半分完成した材料を売っています。その上、大小さまざまな大きさの重箱に美しく詰めたお節料理さえ売っています。
家内は何でも手作りしようとしていました。作っている最中が楽しいらしいのです。
日本人なら「お節料理」についてはいろいろな想いを持っていると思います。
戦前生まれ、戦後育ちの人々にとっては悲しい思い出もまつわりついています。
戦後は食糧難で材料が無いのです。当時の親たちはお正月料理の準備で苦労したものです。
最近は豊かなになり材料で苦労することが無くなりました。
美しく重箱につめたお節料理を前にして、時々私は、南の島々で餓死した兵隊さんたちへ食べさせたかったと想うのです。
私はお節を見ると楽しい思い出とともに、今でもそのように想いが頭をかすめるのです。
そして現在でも孤独な人々はお節料理を作らないかも知れません。
幸せな家庭でも門松もお節もしない人々もいます。
いろいろな時代と、いろいろな家庭の光景を想像します。
それはさておき、美しいおせち料理の写真をお送りします。
4番目の写真は高島屋のお節料理の写真です。

この写真の出典は、http://www.takashimaya.co.jp/shopping/special/osechi/0900002064/0900002065//-/です。
5番目の写真に 三越のお節料理の写真を示します。

この写真の出典は、http://mitsukoshi.mistore.jp/osechi/nihombashi/index.html;jsessionid=swvsJd1QMPNR7n6cT6QDF2vgvlyn3wYLjFdypGQRBlQnm1WGNmjx!30512671 です。
そして、http://erecipe.woman.excite.co.jp/theme/osechi.htmlには非常に数多くのお節料理の作り方が書いてあります。

それにしても門松やおせち料理は美しい日本の文化です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 後藤和弘(藤山杜人)

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