後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「江戸時代そのままの海野宿、関宿、熊川宿の風景」

2024年12月18日 | 日記・エッセイ・コラム
古い町並みの写真をお送り致します。
出典は、https://travel.rakuten.co.jp/mytrip/traditional/shukuba-machi です。

1番目の写真は海野宿です。
中山道と北陸道を結ぶ北国街道の宿場町として栄えた「海野宿」。江戸時代の旅籠屋作りや茅葺き屋根の建物、明治以降の堅牢な蚕室造りの建物が見事に調和した町並みが残り、「日本の道百選」「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定されています。

2番目の写真は関宿です。
東海道五十三次の47番目の宿場町として栄え、東海道の宿場町の中では唯一当時の町並みを色濃く残すといわれる「関宿」。江戸時代には参勤交代や伊勢参りの人々などで賑わいました。

3番目の写真も関宿です。
「重要伝統的建造物群保存地区」「日本の道百選」に選定された町並みには、SNS映えするフォトスポットもいっぱい。ノスタルジックな雰囲気を写真に収めながら散策する人も増えています。

4番目の写真は熊川宿です。

若狭から京都を結ぶ重要な宿場として栄えた「熊川宿(くまがわじゅく)」。街道に面して多様な建物が立ち並び、昔ながらの町並みを作り上げているのが特徴です。

また、若狭湾で採れたサバなどの海産物を京都に運ぶ際に使用されたことから「鯖街道」と呼ばれ、鯖寿司をはじめとしたグルメが堪能できるお食事処も人気。

「甲州街道の台ケ原宿の風景」

2024年12月18日 | 日記・エッセイ・コラム
台ケ原宿は私の山林の中の小屋の下にある宿場町です。
小屋からの帰りに何度も寄り七賢というぉ酒をよく買ったものです。
懐かしいので台ケ原宿の風景の写真をお送り致します。
写真の出典は、https://kaidoutabi.com/6kousyu/40daigahara.html です。
 



「江戸時代そのままの大内宿への旅」

2024年12月18日 | 日記・エッセイ・コラム
大内宿(おおうちじゅく)は、福島県南会津郡にある江戸時代の会津西街道の宿場です。明治期の鉄道開通に伴って宿場としての役割は無くなりました。しかし茅葺屋根の民家が街道沿いに建ち並ぶ集落は観光名所として有名です。
1981年(昭和56年)に重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。
私どもも2度訪問しました。江戸時代そのままの宿場の風景に感動したものです。 全長約450mの道路の両側に藁ぶきの民家が整然と建っています。江戸時代には会津西街道の「半農半宿」の宿場でした。泊り客が少ないので周囲の畑で農業もしていたのです。 
1980年(昭和55年)7月に「下郷町伝統的建造物群保存地区保存条例」が制定され、1981年(昭和56年)の4月に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。
宿場町としては長野県の妻籠宿および奈良井宿に続いて全国で3番目の選定でした。「大内宿保存会」も出来、住民による町並み保存活動が始まりました。
近くのJR湯野上温泉駅も1987年に茅葺屋根の駅舎に建て替えられなした。
そんな所が観光名所の大内宿なのです。
大内宿は何度も行った懐かしい宿場町です。写真をインターネットからお借りしてお送り致します。
写真で示したような大内宿の道路をゆっくり歩きました。自分自身が江戸時代の人間になったような気分になります。そして最後の写真のような古い民家の中に入りました。古い和服を着た老婆がいてダンゴを売ってます。家内と私は囲炉裏端に坐って無言でダンゴを食べます。
外に出て道を山の方向に登り小山の上に立ちました。そこからは整然と藁葺き屋根が並ぶ宿場町が見下ろせたのです。何故か感動しました。

今日は江戸時代そのままの大内宿への旅をご紹介致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)


「師走になると昔のことを思い出す」

2024年12月18日 | ブログ
師走になると何故か昔のことを思い出します。大晦日の歌合戦や正月のお節料理を思い出します。そして教会のクリスマスの夜のミサを思い出します。
昔のことを思い出すので古い町並みも思い出します。
そんな町へ旅もします。
今日は昔の街並みがそのまま残っている中山道の奈良井宿、妻籠宿、馬籠宿の風景をご紹介したいと思います。何度も訪れた懐かしい宿場町です。時が止まったような町です。
そんな風景を見るといろいろなことを思い浮かべます。人々が活き活きと生き、そして死んで行きます。
しかし古い宿場町とその周囲の風景は変わりません。古い宿場町の家並みの風景はシーンとして静かに時を刻んでいるだけです。
奈良井宿の家並みの中を歩きながら人の生き死にの儚さを考えていました。
写真をお送りします。
1番目の写真はまだ観光客が来ない朝の奈良井宿です。
2番目の写真は観光客で賑わっている奈良井宿です。
3番目の写真は妻籠宿です。
4番目の写真は馬籠の宿場町です。
昔の中山道の風景は奈良井、妻籠、馬籠の宿場町の真ん中に残っているだけなのです。あとは立派な舗装道路になっているのです。
嗚呼、時はどんどん流れ行きますが、奈良井、妻籠、馬籠の宿場町だけは時が止まっているのです。
現在、此処で生活し、古い建物を維持している人々のご苦労は如何ばかりかと感じ入りながら歩きました。
新幹線が走り高速自動車道路が出来ても奈良井、妻籠、馬籠の宿は頓着しません。人間は何故そんなにいそぐのでしょうか?

今日は古い中山道の宿場町をご紹介致しました。師走になると何故か昔のことを思い出します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)