漁船の被拿捕状況、https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1972/s47-2-1-6.htm
北方水域におけるソ連官憲による本邦漁船の拿捕抑留事件は,依然として頻発しており,1946年より1972年1月31日まで,ソ連側に抑留された漁船の総数は1,364隻を数え,抑留漁船員の総数は11,592名に達した。その間ソ連側から返還された船舶は845隻,乗組員は11,560名,拿捕の際または引取りの途中で沈没した船舶は22隻,死亡した者は32名である。
なお,1971年度中における本邦漁船の拿捕件数は28隻,276名であつた。その内22隻が帰還した。また,漁夫に関しては,45年度より残存した8名を含む合計284名が帰還した。
ロシアによる日本漁船の拿捕の写真を示します。
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1番目の写真は北海道・稚内港に戻り、関係者(手前)と話す底引き網漁船「第172栄宝丸」乗組員らです。
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2番目の写真は島根のカニ漁船「第68西野丸」です。
ロシアの排他的経済水域で違法に漁をしたとして連行されていた島根のカニ漁船が、約1カ月ぶりに日本に戻ってきました。
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3番目の写真はロシア当局に拿捕された漁船が稚内に帰港し乗組員が下船している光景です。
以上、ロシアによる日本漁船の拿捕についてその一端を書きました。
北方水域におけるソ連官憲による本邦漁船の拿捕抑留事件は,依然として頻発しており,1946年より1972年1月31日まで,ソ連側に抑留された漁船の総数は1,364隻を数え,抑留漁船員の総数は11,592名に達した。その間ソ連側から返還された船舶は845隻,乗組員は11,560名,拿捕の際または引取りの途中で沈没した船舶は22隻,死亡した者は32名である。
なお,1971年度中における本邦漁船の拿捕件数は28隻,276名であつた。その内22隻が帰還した。また,漁夫に関しては,45年度より残存した8名を含む合計284名が帰還した。
ロシアによる日本漁船の拿捕の写真を示します。
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1番目の写真は北海道・稚内港に戻り、関係者(手前)と話す底引き網漁船「第172栄宝丸」乗組員らです。
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2番目の写真は島根のカニ漁船「第68西野丸」です。
ロシアの排他的経済水域で違法に漁をしたとして連行されていた島根のカニ漁船が、約1カ月ぶりに日本に戻ってきました。
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3番目の写真はロシア当局に拿捕された漁船が稚内に帰港し乗組員が下船している光景です。
以上、ロシアによる日本漁船の拿捕についてその一端を書きました。