日本では同窓会というものがあり、いろいろな意味で人々を束縛し、その上卒業した学校の運動部への寄付を要求してきます。
毎年のように同窓会を開催している学校もあります。その会に出てみると卒業年次の違う見知らぬ人々が沢山いて話が合いません。面白く無い会合です。幹事だけが楽しそうにしています。
ですから同じクラスの人だけで開く同級会というものもあります。こちらは顔見知りの人だけなので和気あいあいとして楽しいのが普通です。
しかしこの同級会にも、そして同窓会にも卒業以来一度も出席しない人も少なからずいます。
出席しない理由は人それぞれ様々です。特に理由も無いが面倒くさいという人から、学校時代に嫌な思い出があるから出席しないという人までいろいろです。学校では嫌いな勉強を無理にさせます。怖い意地悪な先生もいます。いじめた同級生もいました。同窓会や同級会に出るとそんな諸々のことを思い出すのです。
そんなことを想像して同窓会や同級会を欠席している人へ限り無い同情を感じていました。その孤高の生き方へすがすがしささえ感じていたのです。
ところで、アメリカの学校には日本的な同窓会や同級会が無いのです。アメリカにはホーム・カムイング・デイという学校全体を同窓生に年に一回だけ開放する日があるのみです。
同窓会や同級会は何故か日本の後進性を示しているようで、若い頃は全面的に賛成していませんでした。
しかし老境になってみると同窓会も同級会も出たい人だけが任意で出れば良いという気楽な考えになったのです。
出てみると欠席している人々との楽しかった思い出がつぎつぎとよみがえります。いろいろな理由で欠席している人々も皆に大切に思われているのです。西洋の言葉で言えば皆に愛され、懐かしく想われているのです。
そして少年だったころや青年だった頃、家のことや近所の野山の風景が思い出されて楽しいのです。
今週の水曜日に大学時代の同級会が東京駅地下の黒塀横丁にあるエビス・ビールバーでありました。集まったのは同級生約30名のうち首都圏にいる8名でした。
万年幹事の郷農君、立石君、大村君、管野君、大友君、大宮司君、高橋君、そして小生の合計8人でした。たわいのない皆の話を聞きながら亡くなってしまった小山君や高津君や星野君のことを思い出していました。欠席した人々との楽しかった交友の場面を思い出していました。そうすると出席者は8名ですが大学時代の同級生30名の全員と会っているような気分になれるのです。
下にその写真をしめします。しかしお爺さんたちの飲み会の写真だけでは面白くも可笑しくもないので、少年の頃、仙台の自宅の庭にあった除虫菊と、その周辺の野山でよく見たアザミやスイカズラやヒメカズラの花の写真をお送りします。都立薬草植物園で一昨日撮った写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)
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久しぶりに貴君のブログをなつかしく楽しく拝見しました。
4月の学士会館の「東京六光会」でお会いしましたが、皆よく元気に集まってくれたね~。二次会もはるか下町まで出向き飲んでしまい、幼馴染と会うと訳もなく延々と酔って~~しまいます。まさに、春高楼の花の宴・・・でした。