Yahooの地図の検索で東京都、小金井市の地図を出してJR小金井駅の南口から南東の方角を見る。そこには広大な都立武蔵野公園と都立野川公園が隣接して広がっている。現在は紅葉が綺麗なので2、3時間の散策ルートをご紹介したい。
小金井駅南口から小金井街道を南下し、前原坂上交差点をまっすぐ通りこして200メートルくらい歩くと左へ、金蔵院へ下る車道がある。金蔵院の境内を散策し、山門前の道を東へ歩く。小金井市立第二中学校の北側を通りしばらくまっすぐ行くと左にもと中村研一美術館で現在は小金井市美術館になっている「はけの森美術館」がある。展示を見て、そのうしろのコーヒー店、オーブン・ミトンでひと休みをする。敷地も美術の森という小金井市の公園になっている。一休みのあとはコーヒー店の入り口の反対側にある「はけの小路」に入る。この道はいきなり住宅地に出て終わるが、かまわず左にまがり右方向へ曲がれる道を見つけたら右へまがり野川の遊歩道にでる。野川の遊歩道を下流方向へ200メートルほど歩くといきなり視界が開けて武蔵野公園へでる。
小金井駅からここまで約1Kmくらい。金蔵院やはけの森美術館、カフェ・オーブンミトンなどに寄りながら1時間くらいかけるのが良いようである。下の4枚の写真は順に、「金蔵院の境内の紅葉」、「はけの森美術館の建物」、「美術の森公園の紅葉」そして「はけの小路への入り口」の写真です。
下に転載したようなコメントを頂きました。
とても嬉しく思いました。有難うございます。藤山杜人
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投稿されたコメント
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名前:amy
IP:124.99.232.245
コメントの内容
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Re.ブログを読んで下さった方々へ感謝!
こちらこそ、すてきなプログを読ませていただき有難うございます。
@男のネクタイを嫌う国、好きな国
◎アメリカの観光地はノーネクタイ
ネクタイをして行ったために、ひどい目に遭った話。1978年、ラスベガス郊外のタホー湖のほとりで国際研究会があった。終了後、航空便の都合で一日の空きができ、観光地を回る団体旅行のバスにネクタイを締めて飛び乗った。満員の同行者は皆柄物シャツ姿のアメリカ人ばかり。私だけ背広・ネクタイ姿。冷ややかな視線を受け、差別とはこんなものかと感じた。当時の日本では背広、ネクタイ以外は着ない人が多かった。
日本男児、ここで弱気など見せられるか。昼食に寄ったログハウスのレストランには「ネクタイを締めていたら取り上げる!」と大きな看板が掲げられ、高い天井から数千本の古いネクタイがブラ下がっている。ウエイトレスが怖い顔で注文を取りに来た。「ネクタイを出しなさい。それと何を注文しますか?」「アメリカには服装の自由があるはずだ。ハンバーグを一つ」
後で考えれば、ヤボな返事をしてしまった。注文した昼食がいつまでも来ない。団体客、運転手のすべてが食べ終わっても来ない。皆「ザマ見ろ」と皮肉な笑いでチラチラ見ている。ここで負けたら男がすたる。昼食を抜く腹を決めたら、やっとハンバーグが出てきた。食べ終わるのを待って運転手が出発!と大きな声を出す。後で考えると、自分のエゴに拘泥し反抗した自分が小物で情けない。
@男はネクタイをして散歩するドイツ
ドイツ人は散歩をシュパツェーレンと言って、冬でも暗いモミの林を家族と静かに歩く。地味な背広にチョッキをつけ、必ずネクタイをする。憂鬱そうな顔をしてモミの木の精と話し合うようにして歩く。週末は黒い森へ散歩に行くと研究所の同僚に言うと、「散歩こそドイツの伝統。背広を着てネクタイを締めるのを忘れないように」。
ドイツ人は家の中でくつろいでいる時でも背広・ネクタイ姿である。ドイツに限らず、ヨーロッパではどこへ観光旅行に行く場合でも、背広・ネクタイ姿だった。気のせいかホテルやレストランでの対応が慇懃(いんぎん)になる。少なくとも軽蔑的な視線は感じない。
このようなヨーロッパ人の伝統的服装に固執する人間をアメリカ人は憎む。伝統にこだわり、どんな問題でも伝統にのっとり解決しようとする因習的文化を憎む。アメリカ人はヨーロッパ人の昔の貴族を大切にする風潮に反発し、階級制度的考えを憎む。
ドイツでは「もと貴族の家系」は貧しくても尊敬され、インテリ階級が厳然として存在する。少なくとも1970年にはそうだった。研究所の同僚のインテリ階級の自宅にはテレビがない。週刊誌は見ない。街のお祭りや夜店へ子供を連れて行かない。小学生の娘が理髪店の娘とお祭へ行った話をしたとき、研究所のドイツ人が顔を曇らせて「ドイツのインテリの家庭ではそんなことはしない。フォルクスフェスト(お祭り)へはインテリ階級は参加しない」と言う。
帰国後、ドイツのインテリのまねをして週刊誌は読まない、テレビを置かない、部屋は暗い照明という生活をしていた。日本では無駄な努力。子供はテレビのある友人の家へ行く。暗い照明は目を悪くするだけ。ネクタイを憎むアメリカ人の気持ちの方がよいのかも知れない。しかし、伝統文化は育たない。日本はどうしたらよいのだろうか。(この項の終わり)
「里山に住んで」というブログをされている鬼家雅雄さんのお勧めで「山林、杜の人のブログ」を始めました。11月5日からですので丁度1ケ月近くになります。
写真も入っていない文章だけのブログを読んで下さった方々へ深く感謝致して居ます。
この一ケ月の延べアクセス数が1200以上もあり、最近は増加しつつあります。文章だけだったのにと、感謝で頭の下がる思いです。
少しでも読みやすくしようと今日から写真を入れることにしました。拙い文章をお読みになりお疲れの時は気晴らしに写真をご覧下さい。
今までデジタルカメラも使ったことも無い老人にとってカメラを買って3日間ほどでブログへ写真を掲載するのは文字どうり暗中模索でした。しかしその間、鬼家雅雄さんの根気良いご指導でなんとかやり通うすことが出来ました。ここに記して謝意を表します。
皆様のご支援を今後もどうぞよろしく御願い申し上げます。草々、藤山杜人
@ドイツ文化の暗さとシュツットガルト
ドイツ南部シュツットガルト市ではモーツアルトシュトラーセに住んでいた。昔からの音楽の町なので、多くの日本人が音楽留学をしている。オペラでも観に行こうと、研究所のドイツ人に聞いた。
「ドイツを代表するオペラは?」「ベートーベンのレオノーレ」「日本でドイツオペラと言えば、モーツアルトの魔笛、フィガロの結婚、ワーグナーのタンホイザー、さまよえるオランダ人、ニュルンベルグのマイスタージンガーなどだが?」「モーツアルトはドイツ人でない。レオノーレがドイツオペラの代表作」と言い切る。
レオノーレはベートーベンが作曲した唯一のオペラ。1805年にウイーンで初演され、その後フィデリオと改題された。日本ではめったに公演されない。
シュツットガルトでフィデリオを観たのは1969年の冬だった。話は比較的単純で、正義派政治家の夫が政敵の悪代官に捕まり、悪代官が所長を兼ねる刑務所に拘留される。妻のレオノーレが男装しフィデリオと名乗って刑務所に入り込み、中で働くことに成功。後に善い大臣の助けで夫が釈放され、めでたしめでたしの二幕オペラ。
場面はすべて暗く、陰惨な地下独房や刑務所の内庭。暗さの中にほのかに見えるソプラノ歌手の顔の輝き、男装の帽子を取った瞬間流れ出す金髪、囚われた夫のシルエットと力強いバリトンの響き。紆余(うよ)曲折があり、解放後の自由賛歌で終幕。すべては暗さゆえの美しさである。オペラハウスではいつもこの演目が出ており、私は3回も行ってしまった。
@ドイツ文化の基調旋律は暗さ
1969年ごろ、日本の家庭では蛍光灯が普及し、明るい室内で快適な生活をしていた。ドイツへ行ってみると家の中がほの暗い。「どうして安くて明るい蛍光灯を使わないの?」「蛍光灯は工場の照明器具であり、家庭では絶対に使わない。暗い方がよい」と断固として言い放つ。
ボン市のベートーベンの家に入ると、部屋の粗末さ、暗さ、寒さに驚く。当時は皆そんな生活と言ってしまえばそれまでだが、それにしても屋根裏のような作曲部屋の暗さは尋常ではない。耳が次第に遠くなり、作曲した曲をピアノで聴くために耳にあてがうラッパ型の金属製補聴器が次第に大きくなる。大きさの違うものがいくつも展示してある。そんな補聴器を説明する老婆のしわがれた声が部屋を一層暗くする。
ドイツの空の暗さ、黒い雲の低さ、凍てつく寒さは十月から四月まで続く。「麗しの五月」という言葉があるように、ブナの林が一斉に新緑に変わるころの空気の甘さはドイツの冬を越した者にしか分からない。
ドイツの文学も絵画も音楽も暗さを基調にし、暗さの中のほのかな輝きの中に人間の美しさを描き出そうとしている。その味わいが少しでも分かると、フィデリオがドイツを代表するオペラと理解できる。帰国後あるオペラ通にレオノーレのことを話したところ、「あれはオペラとしては失敗作です。日本ではあまり公演されません。」
あの暗い冬を日本に持ってくるわけにはいかない。
文化の一部だけを輸入する難しさは明治維新以来の課題である。しばしば不可能な場合もある。フィデリオを日本で公演することの虚しさ。(この項の終わり)
これらの写真はそれぞれクリックすると大きな映像になります。
今年はどういう訳か山の木々よりも街中の公園の木々の紅葉のほうがが綺麗な気がします。
近所には都立小金井公園、武蔵野公園、そして野川公園などがありますが、いずれも紅葉の真っ盛りです。ここでは小金井公園とその付近の紅葉の様子を10枚の写真でお送りします。なかに2枚小金井公園の木立ダリア(皇帝ダリア)の写真です。最近流行しているダリアの一種と聞いています。どこの国から入ってきたのでしょうか?何方かご存知の方にお教え頂ければ幸いです。
一昨日デジタルカメラを初めて購入し、北杜市の鬼家雅雄さんのご指導でやっとここまで漕ぎ着けました。
今後皆様にお楽しみして頂けるような写真を努力してお送りしますのでよろしく御願い申し上げます。