高幡不動の裏山には戦国時代に城があったという伝説があります。登ってみると敵の動向がよく見えるような高い山です。今日はかなりの急坂を登り、頂上で一休みしてから四国八十八か所の「写し」の石の仏像を拝みながら裏山を巡礼してきました。下の写真に示すような小さい石の仏像が88個、山道に祀られています。
ひとつひとつ、独りで巡って行くと、次第に弘法大師さまが近づいて来て、そのうち一緒に坂を登ったり降ったりしてくれます。そして最後の88番目には大子堂があって弘法大師の像がゆったりと坐っています。そんな散歩でした。登り降りがあって一汗かきました。爽快でした。高幡不動の裏山をご想像しながら下の写真をお楽しみ下さい。
このブログを始めたのは2007年11月5日です。詰まらない記事や出来の悪い写真を多数掲載して来ました。始めてから3年3ケ月になります。そこでいろいろな反省もしています。
しかし自分の体験にもとづいた記事は拙文ながら何がしかの意味があると思います。以下にその目次をご紹介致しますのでお暇の折にお読み下さい。
体験したのは1960年からですねので昔の事が多いです。しかし時代に関係なく永い年月がたっても新鮮さが無くならないように書いたつもりです。
どうぞ、宜しくお願い申し上げます。藤山杜人
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外国体験いろいろ(1)と(2)ー随筆シリーズ@地下室で見た中国人の本音:外国体験のいろいろ(3)-随筆シリーズ◎帆引き舟に驚く西洋人:外国体験のいろいろ(4)ホンダバイクの奔流―サイゴン :外国体験のいろいろ(5) 温顔の将校ホーチーミン:外国体験のいろいろ(6)没後50年・安井曽太郎展:外国体験のいろいろ(7)科学研究と経済活動:外国体験のいろいろ(8)「封建時代を背負ったドイツ人達」:外国体験のいろいろ(9)「戦死者を悼む気持ちは同じ」:外国体験のいろいろ(10)中国人の植民地主義への怨念:
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外国体験のいろいろ(11)豊かな人生とは?アーミッシュのこと、:外国体験のいろいろ(12)「現存する中世の村人たち」:外国体験のいろいろ(13)アメリカの結婚祝い:外国体験のいろいろ(14)アメリカ流情報の分析のしかた:外国体験のいろいろ(15)霞ヶ浦の魚の食文化―佃煮の郷愁:外国体験のいろいろ(16)アメリカの離婚―光と陰:外国体験のいろいろ(17)画家とパトロン:外国体験のいろいろ(17)河野秋邨画伯の補足:外国体験のいろいろ(17)の抜粋@画家や芸術家を支援する西欧のパトロン達の重要性:外国体験のいろいろ(18)親切で寛容なインド人:外国体験のいろいろ(19)ドイツ文化の暗さとシュツットガルト:
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外国体験のいろいろ(20)男のネクタイを嫌う国、好きな国:外国体験のいろいろ(21)米国で尊敬される本田宗一郎:外国体験のいろいろ(22)銃を持つ自由と代償:外国体験のいろいろ(23)中国の回族と食習慣:外国体験のいろいろ(24)自己紹介の国アメリカ:外国体験のいろいろ(25)旅人のもてなしはサウナで:外国体験のいろいろ(26)韓国の山寺にて:外国体験のいろいろ(27)アメリカ大学の日本校騒動:外国体験のいろいろ(27)の補足@学歴による差別は文化の貧困と思う:外国体験のいろいろ(28)何故アメリカに骨を埋める日本人がいるのか?:外国体験のいろいろ(28)の補足@1960年当時のアメリカの人種差別のすさまじさ!:外国体験のいろいろ(29)ーお国自慢の食べ物:
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外国体験のいろいろ(30)アメリカの黒人差別撤廃の歴史:外国体験のいろいろ(31)ー悲しい歴史を忘れないー:外国体験のいろいろ(32)ードイツの職人とアメリカの素人:外国体験いろいろ(33)-アメリカ大学の学科閉鎖の仕方ー:外国体験のいろいろ(34)心豊かな趣味2例:外国体験のいろいろ(35)ー男だけの遊び:外国体験のいろいろ(36)戦争の空しさ、:外国体験のいろいろ(37)新聞に出なかったベトナム戦争の2つのエピソード:外国体験のいろいろ(36)(37)の補足ー日本の新聞の報道しないエピソード:外国体験のいろいろ(38)日本の安全を守る留学制度:外国体験のいろいろ(39)-中世の雰囲気漂うドイツの地方:外国体験のいろいろ(40)お酒の飲み方
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外国体験のいろいろ(41)アメリカの個性教育とその問題点:外国体験のいろいろ(42)欧米の退学制度とキリスト教:外国体験のいろいろ(43)転職の自由といささかの心配:外国体験のいろいろ(44)アメリカの中小企業とベンチャー:外国体験のいろいろ(45)霞が浦のアメリカ化:外国体験のいろいろ(46)アメリカの仏教的セミナー:外国体験のいろいろ(47)大岩から飛退いた宣教師と自然信仰:外国体験のいろいろ(48)アメリカの同窓会:外国体験のいろいろ(48)アメリカの同窓会(続き):外国体験のいろいろ(49)民族と花々の好み:外国体験のいろいろ(50)ベネズエラ風景のスケッチ3点:外国体験のいろいろ(50)ベネズエラの風景のスケッチ3点:補足、「リトアニアからの亡命者」
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外国体験のいろいろ(51)早く引退して趣味を楽しもう:外国体験のいろいろ(51)早く引退して趣味を楽しもう(続き):外国体験のいろいろ(52)中国の鵜飼―戦争・そして日本のこと:外国体験のいろいろ(53)乾いたタバコ有ります!:外国体験のいろいろ(54)ドイツの幼稚園、小学校:外国体験のいろいろ(55)アメリカで使ってはいけない英語:外国体験のいろいろ(55)アメリカで使ってはいけない英語(補足)何故、敬語を使うか?:外国体験のいろいろ(56)人脈やコネを忌み嫌うアメリカ社会の倫理性:外国体験のいろいろ(57)アメリカのプロ野球の楽しみ方:外国体験のいろいろ(58)間違った作品も大歓迎のアメリカ文化:外国体験のいろいろ(59)人脈や老朋友を大切にする中国社会:外国体験のいろいろ(59)人脈や老朋友を大切にする中国社会(続き):外国体験のいろいろ(60)日本の学校での教えかた
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外国体験のいろいろ(61)ポーランドへ繁栄と輝きを:外国体験のいろいろ(62)環境汚染の情報は心と心の交流で集めるのが鉄則:外国体験のいろいろ(63)しんどい思いをする趣味は楽しみも大きい:外国体験のいろいろ(63)何故アメリカで臓器移植が盛んに行われるか?:外国体験のいろいろ(64)オハイオ・ホンダ工場、そして屈辱と栄光の体験:外国体験のいろいろ(6)改訂版、安井曽太郎の一生:外国体験のいろいろ(65)韓国のことを知らな過ぎる日本人:外国体験のいろいろ(66)ベルリンの壁の崩壊と二つのエピソード:外国体験のいろいろ(67)中国とロシア、中国と日本の関係の奥底:外国体験のいろいろ(68)絶対に銃を手離さないアメリカ人:外国体験のいろいろ(69)売れない本を出す出版社の存在:外国体験のいろいろ(70)若い方々へのベトナム報告:
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外国体験のいろいろ(71)アジア諸国が植民地になっていた時代:外国体験のいろいろ(72)中国の農家の構造に驚く:外国体験のいろいろ(73)恩義を忘れないドイツ人:外国体験のいろいろ(74)ローテンブルグ・オプ・デア・タウバーの銭湯:外国体験のいろいろ(75)在日韓国人・朝鮮人を大切にする:
手軽な趣味として幾つもの公園を散策しています。
水元公園、夢の島公園、井の頭公園、浜離宮公園、神代植物公園、多摩動物公園、小金井公園、武蔵野公園、野川公園、昭和記念公園、東松山森林公園、秋カ瀬公園などなどは広大なスケールの公園なのです。大きいので莫大な維持費を使用していいるようです。国家予算や都や県の予算で運営しています。草木はよく手入れされ、掃除も行きとどき、とくにトイレの立派な事に驚きます。
このように良く整備されている公園は歩いているだけでも楽しいものです。しかし最近、公園の楽しみかたのいろいろを発見しました。その方法を少し書いてみます。
(1)弁当や魔法瓶入りの熱いお茶を持って行く。上に列記した公園には全て野外テーブルと椅子が散在してあって弁当を楽しむことが出来ます。火さえ使わなければ良いのです。魔法瓶にお湯を持って行って、抹茶を立てるのも一興です。茶道具を箱に詰めて持って行くと「野立」が楽しめます。
(2)バードウォッチング用の双眼鏡を持参するといろいろな野鳥を見る事が出来ます。バードウォッチング用の木造の小屋があり、野鳥の居る林の方向に観察用の小窓が幾つか開けてあります。
(3)よく油絵や水彩画を悠々と描いている人を見かけます。絵を描くのが趣味の人にとっては写生も楽しめます。
(4)四季折々、花々が沢山咲いています。トンボや蝶々も棲んでいます。写真が趣味なら公園は何時行っても楽しい撮影スポットです。
(5)最近、私が発見した楽しみ方は多くの公園を比べることです。比較検討する事で、それぞれの公園の設計思想が非常に異なっていることに気がつきます。
公園は単に静かに自然の中を歩きまわれるように作れば良いというものではないのです。それぞれの立地条件を利用して訪れる人々に深い印象を与えるように設計されています。難しい言葉で言えば、それぞれの公園の設計思想が違うのです。深い設計思想で作った公園は印象も深くなります。
その設計思想の違いを考えながら散策するともっと深く公園を楽しめます。これも公園を楽しむ一つの方法です。
例えば、水郷の雄大さ、水の神秘的な印象を主題にした公園に水元公園があります。下にその写真を示します。
広がる水の神秘的な美を強調するためにメタスコイヤの巨木の林を上手に配置します。そして手入れを一切しない荒々しい雑木林の中に水を引き入れバードサンクチュアリを作っています。広大な芝生の平地を僅かに起伏させて水郷のような水面へ自然と繋げています。この公園は数多く訪れた公園の中で一番設計思想が明快に分かり、そして独創的な印象を与えています。この公園を設計した東京都の公園局の人々を偲び、敬意の念を温めながら散策します。深い楽しみ方の実例です。
それとは対照的な設計思想は昨日訪れた東京都立七生公園に見ることができます。小さな雑木林に覆われた険しい山の中に小道と階段がついているだけの小さな公園です。展望台まで登って、一回りするのに30分しかかかりません。下の写真が七生公園です。
この公園の設計思想は多摩の雑木林の中に棲みついているトンボ、ホタル、蝶々、クワガタ虫、カブト虫などを大切に保存し、それらを人々に見せることに重点を置いています。ですから歩道以外の雑草を一本も取りません。昆虫の保護、繁殖のために雑草を取りません。草取りを怠けているのではありません。こんな看板がおちこちにさりげなく出ています。その看板を見ただけで楽しくなります。活き活きした昆虫達の活動が想像出来て楽しいのです。
公園の設計思想を考えてみると、散策が一層楽しくなるという話です。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人
團伊玖磨さんの随筆について、この前の記事で少し書きましたが、もう少し追加致します。そして八丈島の彼の別荘の写真もお送り致します。
随筆はこれまでに、いろいろ読みました。寺田寅彦、中谷宇吉郎、團伊玖磨などのものは長年愛読してきました。團伊玖磨の「パイプのけむり」は、前記のようにアサヒグラフに連載されていました。1963年に八丈島の樫立に別荘を作った翌年から2001年に亡くなる直前まで40年近く続いた随筆です。朝日新聞社から27巻の本として出版されていますので、お読みになった方々も多いと思います。
外国で仕事をしながら忙しく書いたものや、葉山の自宅や、八丈島でゆっくり書いたものなど変化があって飽きさせません。世界の珍しい風物や人情、そして八丈島の自然、人々・植物のことなどが軽妙洒脱な筆致で活き活きと描いてあります。話題は多岐ですが、いずれも上品な書き方で、文章の裏に人間愛が流れています。読後の爽快感が忘れられません。
八丈島では團伊玖磨氏を誇りにしています。2002年の没後一周忌に團さんの別荘を公開し、遺品や著作を展示しました。島に昭和6年から続いている地方新聞、「南海タイムス」の2002年5月31日の掲載写真を示します。別荘内の書斎や著作の展示の写真です。
上の写真2枚の出典は、http://www.nankaitimes.com/ です。
作曲家の團伊玖磨さんが亡くなってからもう10年になります。多くの童謡やオペラを作曲しました。なかでも「夕鶴」は広く上演されたのでご記憶の方も多いと思います。その一方で團伊玖磨さんは随筆の名作を沢山遺しました。
私が1964年から2000年まで毎月読み続けていた随筆、「パイプのけむり」はアサヒグラフという写真雑誌に連載されていました。四季折々の自然が主な題材です。植物、旅、食べ物の話も多かったと記憶しています。
そして当時、團伊玖磨さんが別荘を持っていた八丈島のこともたびたび書いてあります。
そのせいで私は八丈島の事を自然が豊かな夢の楽園として信じるようになってしまったのです。
絶海の孤島が夢の楽園なのです。船でまる1日、太平洋の荒波を越えて行く島なのです。とてもロマンチックな旅になりそうだと何十年も憧れていました。
仕事を止めてやっと暇になりました。2年前の真冬の1月に竹芝桟橋から独り船に飛び乗って八丈島を訪れました。暖流が流れる南の島なので真冬でも温かな筈です。
島は團伊久磨さんが書いた通りの熱帯樹の繁る楽園でした。島の地魚の寿司の美味しい店があり、ホテルも清潔です。島中が熱帯樹の植物園のようです。何十年も想像していた通りの温かさでした。
楽しんでいたところ、海が荒れ、帰りの船が欠航し、何日か島に閉じ込められたのです。仕方が無く、島中を暇にまかせてまた歩き回りました。何処に行っても南国風の樹木が茂る温暖な楽園でした。欠航のお陰で、八丈島の植物の美しさを深く鑑賞出来たのです。人間万事塞翁が馬です。
2年前の團伊玖磨さんを偲びながらの独り旅で撮影した写真を下にお送りします。
「パイプのけむり」を思い出しながら写真をお楽しみ頂ければ嬉しく存じます。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人
この作品の単行本が非常に売れていると聞きました。何故売れているか?その原因に好奇心が湧きました。読んでみて、売れているわけが少し想像がつきました。
まずあらかじめ申し上げて置きますが、露骨な性描写や暴力やドロドロした嫉妬心などというものが克明に描かれているので、気の弱い人は読んではいけません。そのような描写に躓いてこの作品の深い意味が分からなくなるからです。
この本の売れ行きが良い理由は、まず明快な文章によります。瞬間的に意味が分かるだけでなく、何故か文章力のようなものにグイグイ引かれて読み進みます。そうすると起伏の少ないストーリーなのに結構事件が起き、その先が読みたくなります。
ストーリーは単純です。中学卒だけで学歴も資格も一切無い怠惰な19歳の男の主人公と、日雇いの職場で知り合った唯一の友人と、その恋人の3人だけが登場します。
その唯一の友人は勤勉です。人生を器用に渡る才覚があります。間もなく恋人の女子学生と結婚します。怠惰な主人公が相変わらずの日雇い人生に取り残される。そんな話です。
ストーリーにダイナミックな展開が無いので退屈と言えば、退屈な小説です。
しかしこの退屈さこそ現在の日本の若者の心に強い共感を呼び起こすに違いありません。それはフリーターに憧れ、フリーターになりきれなかった若者たちの心を揺り動かしているのです。「退屈さ」こそ現在の日本の多くの若者の原風景なのです。
不器用で、怠惰で、向上心の無い若者の底知れない恐怖心と悲しさが伝わって来ます。器用に人生を渡る友人とその恋人に見下される惨めさに自分でおののいています。怠惰で無気力な態度も、賢く人生を渡る態度のどちらも人間の真実なのです。
小説の中には社会への不満、政治家への非難など一切出て来ません。勿論、芸術論も宗教論も一切ありません。それだけに主人公の根源的な人間の弱さが白黒映画を見るように明快に描かれているのです。
主人公の怠惰の罪は勿論ですが、友人の賢さが何故か利己心の陰を暗示しています。人間というものを描いていますので、深い印象を受ける小説です。
久しぶりに人間をくっきり描いた小説を読んだので、読後感は爽快でした。しかし穏健な性格の方、インテリの方などは読ないほうが良い小説です。精神安定上、読まない方が良いと思います。
単なる読後感です。間違っていたら御免なさい。藤山杜人
ある考え方を評価する場合、視点の置き方によって違った評価になります。
自己責任で自由に就職運動をする。自己責任で結婚相手を探す。どんな家に住み、どのような生活をするのも自己責任です。フリーターになるのもホームレスになるのも自己責任です。自由にして良いのです。
チョッと気にくわない事があれば会社を辞めます。自己責任で辞めるのですから自由です。経営者が雇用契約の条件を破る社員を見つけて簡単に辞めさせます。それも経営者の自己責任です。
日本の社会には「自己責任」の考えが根をはるようになりました。
その考えは軽率過ぎる。もっと慎重に考えて、上司や先輩の話しを良く聞きなさいと忠告してはいけません。
話は飛びますが、”水戸黄門”では最後に印籠を出して、「これが目に入らぬか!」と言います。それて全て終りです。このようように、面倒な話になると、「自己責任が全てです!」と言われてお終いになります。
本来、「自己責任」という言葉は個人を尊重した自由な民主社会の根底にある非常に重要な思想です。これなくしては欧米型の平等な社会が出来ません。この欧米の考えが日本へ入ってくると変質するのです。
この言葉のもたらすマイナス面・・・もっと極端に言えば「弊害」が非常に大きくなるという変化をします。これが日本へ輸入され時の変化なのです。
自己責任なので根気良くするのは放棄する。自己責任なので親や先生の説教は聞かない。友人の忠告も無視する。勝手気儘に生きるのも自由です。その結果貧困になり、ホームレスになるのも自由です。
このような風潮が蔓延しているのが現在の日本です。そこには思慮の深さや賢明な生き方を軽蔑的に見る風調が隠れているのです。事業に失敗して没落し、貧困にあえいでいても周りの人は気にもかけません。なにせ自己責任なのですから。
こういう社会の風潮を軽率な文化と言います。そこでは人間の温かい同情や助け合いが無くなり、カサカサした社会になります。勝手気儘と野放図が横行する社会です。
それでも欧米のように自己責任の思想の産物として独創的な発明や、偉大な芸術作品の生まれるような社会なら救いもあります。日本ではそれが少な過ぎます。
水戸黄門の印籠のように、最後は「自己責任」という言葉を出して、面倒な事を全て逃げてしまう思想が蔓延しています。そしてそれこそが日本の長期不況の真の原因になっているようで心配です。
人間は自分で全ての責任が取れるほど賢くもないし、その力も無い存在なのです。土から生まれて土に還る、ただそれだけの存在なのです。もっと謙虚に、そして賢明になれば就活や就婚は必ず成功するものです。
上の文章を熟考した上で、就職運動の仕方を具体的に書いた「履歴書の書き方」というHP(http://www.rirekisho-check21.com/)を是非ご覧下さい。必ず役にたつ具体的な内容が親切に分かり易く書いてあります。
今日は、特に就活中や就婚中の人々がより深く考え、善い結果に繋がるように祈りたいと思います。藤山杜人
溜息をつきながら何度も見ている写真があります。1月の下田旅行で撮った熱海マリーナと下田港に係留してある豪華なヨットとモーターボートの写真です。中古艇でも1000万以上はするような美しいヨットが輝いています。その上係留料が年間150万円以上はする浮き桟橋です。世の中にはとてつもない金持ちが居るのですね。わたしのヨットは霞ヶ浦に係留していますが船体の値段も係留料も10分の1以下です。質素なヨットの趣味を26年間しているだけにこのような風景は憧れの的なのです。この世では実現出来ない風景です。あの世で実現しようと思い写真を何度も見ています。貴方にはそのような見果てぬ夢がおありでしょうか?それはそれとして写真だけでもお送り致します。つまらない話で済みません。(終り)
今日は日曜日、マタイによる福音書の一部を聞いて来ました。イエス様が言います、「あなたがたも聞いているとおり、[隣人を愛し、敵を憎め]と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである」。
意味を簡単に言えば、「敵を愛せば、神様があなたを子供と思ってくれる」ということですね。
この文章を最近の国際関係に拡大解釈して見ましょう。
そこで、「汝の隣人を愛し、敵を憎め」という文章の中の「隣人」を日本人に置き換え、「敵」を敵対する外国人と置き換えるとこの記事の題目になります。
もっと具体的に言えば、日本人よロシアを憎め、中国人を嫌え。ついでに全ての欧米人も信頼するな。彼等の意図には何か悪意が隠されていることが多いという考えになります。
しかし、それでは神様が喜ばないのです。
イエス様はロシアも中国も欧米諸国も皆等しく愛せと言っているのです。
その故に、私はこのブログではロシア人へ好意的な記事を書き、中国人の肩を持ちます。その上、欧米人を信頼すべきという記事も沢山掲載しています。それはイエス様の命令なのです。
しかし時々私はその逆の事も考えています。ロシアを憎み、中国人を嫌い、ついでに全ての欧米人も信頼しません。しかしその事を書けば自分が本当にそうなってしまいます。人間としてみじめな感じがしてしまうのです。
だからこそ、ロシア人、中国人、欧米人の悪口は書きません。するとそれを不満に思う人々が、「愛国心」にかられて反対意見を送ってくれます。
幸い丁寧な礼儀正しい文章のコメントなので有難いと思っています。したがって反対意見もそのまま掲載いたします。
いつも思うことですが、このブログの記事と、その反対意見のコメントの両方を読んで下さいますとバランスが取れます。
こんな事を考えながら、国際関係のいろいろな問題を記事として書いています。どうぞ上の趣旨をご理解の上、今後ともよろしくお願い申し上げます。藤山杜人
山梨県の西部県境の甲斐駒岳の麓には広大な雑木林がひろがっています。上の写真が示すように深い、人里はなれた山麓です。
イノシシや鹿や猿が棲んでいます。熊も時々出て来ます。ヤマメのいる清流もあちこちに流れています。そのような雑木林の中に質素な別荘風の家が散在しています。そして一年中その山林の中の家に独りで住んでいる人々が沢山居ます。
私の小屋の周りににも4人の人が10年、20年と独りで住んでいます。70歳代、80歳代の男性です。全て都会から移り住んだ人々です。
自分も山林の中に独り暮らしてみたいと思いますが、勇気が無くて出来ません。
独りで暮らして居て淋しくないのだろうか?生活には不便がないのだろうか?周囲の自然とどのように仲良くしているのだろうか?何故、独りで暮らしているのだろうか?
好奇心半分。尊敬の念半分。そんな心境で時々訪問して、何となく暮らしぶりを見せて貰ったり、独り住まいの感想などを聞かせて貰っています。根掘り葉掘り聞くのは礼儀正しくないので聞かないようにしています。しかし十年以上も会っていると問わず語りに、独りで住むようになったいきさつや事情がそれとなく分かって来ます。
それぞれの事情があるにしろ、4人に共通な事を下に書いて見ます。
(1)皆が穏和な性格の紳士です。優しい、繊細な性格だけに他人の不注意な言葉に傷つき易いようです。それでなるべく他人と会わないですむ雑木林の中に住んでいます。
(2)家族に老後の世話をさせて迷惑をかけるのが心苦しいようです。自分の事は自分でするという潔さがあります。都会に居る家族とは時々電話などで話しをしている人も居ます。
(3)自然の中で独り暮らす事を長い間夢見て居たのです。仕事で充分な貯えが出来た時引退して都会から移住して来た事情は皆同じです。
(4)周囲の自然との遊び方は4人とも全然違います。とても個性的です。
ある人は広い林の中に沢山池を作り、魚を飼ったり、モリアオガエルを育てています。シイタケやナメコやクリタケを栽培しています。水バショウやクリンソウを植えて花々を楽しんでいます。
またある人はエンジンのついた模型飛行機が趣味です。雑木林の中では飛ばせないので八ヶ岳の溶岩流で出来た広い高原まで車で通って模型飛行機を飛ばしています。
またある人は元大工さんでした。大工仕事が趣味で、雑木林を次々に買っては其処に洒落た小型の別荘を建てては売りだしています。さっぱり売れませんが気にしていません。小さな自分好みの別荘を建てるのを楽しんでいるだけです。
4人目の人は山林の中の散歩が趣味です。庭に花々も育てています。散歩はそうとう遠方まで歩くようです。私の小屋へも何度も寄ってくれました。
こういう人々と少し付き合っていると、山林の中の「孤独死」は悲劇とは思えません。幸多い老後の生活がいつか自然に終りになるだけなのです。そんな一生もあって良いのではないでしょうか?
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人
毎日3km、4km位の散歩をしています。東京の西の郊外の多摩地区の地図を丁寧に調べます。雑木林があったり、小川が流れたりしている所を探します。見つかるとその近所まで車で行きます。車を停めて雑木林の中や小川の岸をしゃにむに歩きます。新しく家が建って道が途切れています。
しかし「けもの道」のような道が何処までもついています。良く見ると老人ばかりが歩いています。若者は決して通りません。そのけもの道には老人用に手すりや綱が張ってあります。
今日は京王線の南平駅のそばの南平緑地の小山に登って来ました。老人用の道が出来ていました。兎に角、必ず老人だけに会います。若者が居ないのが不思議です。それはそれとして写真をお楽しみ頂ければ嬉しく存じます。(続く)
(この上と下の写真の出典は、和田義明氏、「和田フォトギャラリー」:http://wadaphoto.jp/index.htm です。撮影者は松本浩文さん:http://wadaphoto.jp/kikou/hogei3 .htm です)
ジット見ていると南氷洋の底知れない静寂が感じれれます。そしてとてつもなくロマンチックが雰囲気が漂っています。そのように見るのは私だけでしょうか?
戦後の食糧難の時代は南氷洋の大型捕鯨母船やキャッチャーボートは日本人の救世主でした。飢えた人々へ美味しい肉を食べさせてくれたのです。当時は牛肉も豚肉も充分にありませんでした。
当時の美味が忘れられないで最近高価な鯨肉を食べみました。その不味さに驚きました。このように書くと必ず、「美味な部分はおいしいよ」と反論する人がいます。
しかし多くの日本人は敬遠します。郷愁で少し食べているだけです。
それが証拠には毎年の鯨肉の消費量は3500トンなのにそれ以上の「調査捕鯨」の捕獲があるので、現在日本の冷蔵庫には5000トンの鯨肉の在庫が貯まってしまいました。
捕鯨のコストが比較的少ない北西太平洋でも獲っています。
一方、コスト高の南氷洋の捕鯨は採算割れなので止める時期に来ていたようです。
「調査捕鯨」とは表向きの名前で、実際は南氷洋でミンククジラを1050頭とナガスクジラ50頭を毎年捕獲して、日本で売りさばいて80億円の経費を賄って、利潤を上げていたのです。こういうのを企業活動と言います。決して調査や研究ではありません。
シーシェパードの妨害が本格的に予想されるのは獲った鯨を母船の後部スロープへ引き上げる作業です。停止してクジラを海面から引っ張り上げるのです。小さな妨害船でもロープをからませれば容易に引き揚げを妨害出来ます。ついでに母船のスクリューにも網もからませられます。
鯨の在庫が日本で余っているからコスト高の南氷洋の捕鯨は止める。明快な経済原理で止めるのです。
シーシェパードの妨害は止めるキッカケになりましたが、新聞は鯨の国内の需給バランスの崩壊が真の原因である事を大きくは報道しません。
シーシェパードが妨害されたから止めたとだけ大々的に報道すれば日本人は「民族食文化」への攻撃だと感情的に怒ります。事実は時代の変化が原因なのです。
マスコミは多くの人々を感情的に扇動し、視聴率を上げ、新聞の販売数を増大します。それが企業としてのマスコミの宿命なのです。
マスコミの扇動に乗ると思わぬ失敗をします。鯨とかシーシェパードだけではありません。対米英戦争の開始の責任の一部はマスコミにあった事を絶対に忘れてはいけません。そんな事を思い出させる今回の「調査捕鯨」の中止でした。それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
藤山杜人
今朝掲載した、「連載記事「外国体験いろいろ」のリスト、クリックすると読めます」という記事へ関連して、印象深いコメントがありました。
毛沢東と周恩来についての鋭い評価を、見事な短い文章でhoteisan2004さんという方から頂きましたので、以下にご紹介します。
========hoteisan2004さんからのコメント=======
まだ全部を読んだ訳ではありませんが、一文一文に
深い感銘を受けています。お世辞ではありません。
自分の中に欠けていたような視点が多々あります。
私は周恩来という政治家は近代中国で尊敬に値する
人物と見ていました。現在の中国の基礎をつくったのは
独裁者、毛沢東ではない。複雑にからむ権力関係の中で
私心と欲が少ない人物、歴史には要となる人物がでるものです。
しかし、現在の党による金権独裁政治は何を意味するのでしょうか。
ありがとうございました。時間をかけて掲載文を拝読しょうと思います。