昨日、日本にある77,000のお寺の3割から4割が消えて行く可能性があるというショッキングな内容の記事を書きました。その記事の題目は「日本から25,000のお寺が消えていく」というものでした。その記事を趣味人倶楽部というSNSにも出したら619人の方が読み、71人の方に拍手を頂きました。そしてコメントも22人の方から頂きました。コメントの全ては現在のお寺のあり方に批判的で消滅するのは当然であるという内容でした。お寺を弁護してもっと支援すべしというコメントが皆無だったのに驚いています。
数日前には安保関連法案の改正は善か悪かという問題を取上げました。これに対して趣味人倶楽部では数多くのコメントを頂きました。コメントの内容をみると賛否両論があり、どちらが優勢だという判断が出来ないのです。しかしこの問題は日本の平和維持に関する重要な問題であることは明らかです。
このような二つの問題を考えて行くと、どうしても時代の流れと人々の考え方の移り変わりを感じてしまいます。
そこで一つの時代区分として(1)1867年の明治維新から1945年の敗戦までの78年間の時代と、(2)敗戦後から2015年までの70年間という区分の方法を思いつきます。
前者は大日本帝国の時代で戦争に明け暮れした時代です。後者はアメリカによる占領と駐留が現在まで続く民主主義と平和の時代でした。
この二つの時代を比較すると人々の考え方が大きく変わった分野と、ゆっくりと次第、次第に変わって行った分野があることに気がつきます。
非常に大きく変わった分野は政治制度と教育制度です。いかし丁寧に観察すると制度は占領軍によって一挙に変わりましたが、新しい制度の運用の仕方は急には民主的には行われません。
明治時代以来の官僚主義がどうしても残るものでした。
それでよくアメリカの民主主義とは違うものが日本に根付いたと指摘されることがあります。
これは一つの例に過ぎません。どんな分野でも制度は一瞬で変わりますが、その運用の仕方や考え方は緩慢に変わるものです。
このようにゆっくり変わるのでその変化が見えにくのが普通です。
そこで明治維新以後78年の戦争の時代と戦後70年の平和の時代の比較をしてみると大きな変化が明瞭に描き出せると思います。
そうすると日本から25,000のお寺が消えて行くきざしは明治維新による檀家制度の廃止にあるとも考えられます。
しかしお寺と檀家の間の強い絆は急には消えません。江戸時代の檀家制度は無くなりましたが人々の考え方は明治、大正、そして昭和20年までは檀家制度の精神はみゃくみゃくと生き続けて来たのです。
この精神文化が本当に崩壊するには幾つかの原因がありました。
まず敗戦による精神文化への拒否反応と、生活苦からお寺を支援出来なくなりました。そして経済の高度成長による都市への移住が大規模に起き、村落の過疎化が次第に進行します。
財政的に弱体化したお寺は優秀な後継者も失います。資質の低い世襲の住職がうまれます。
実社会で訓練を受けていない住職が非常識な方法で金集めをします。
昔檀家だった家の若い家族がそれを見て、もうお寺さんとはお付き合いしたくないと思います。このように次第、次第に変化していく分野もあるのです。
そして安保関連法案の改正の問題も同様に人々の考え方が次第、次第に変わった結果に起きたのです。
平和を守りたいのは万民の願いです。その平和を守る方法に「軍備放棄、戦争放棄で守る方法」と「軍備強化による戦争を抑止して守る方法」の二つに大別できます。
明治維新以後78年の戦争の時代には後者の方法が最善と考える人が圧倒的に多かったのです。
それが敗戦で一変しました。占領軍の軍国主義否定の教育が徹底したのも原因になって、「軍備放棄、戦争放棄で守る方法」が最善だと考える人が圧倒的に多かったのです。
それなのにアメリカ軍基地の諸問題、アメリカの衰退の予測、中国の台頭と軍事力の巨大化などなどが複雑に関係しあって、次第に「軍備強化による戦争を抑止して守る方法」が良いと考える人々が増加してきたのです。
大変雑な見方をすれば、この変化を明治維新以後78年の戦争の時代への回帰とも言えます。
しかし以前は日本軍の海外進出による領土の拡大が目的でした。
今回の変化の方向には領土の拡大はありません。あくまでも戦争の抑止が目的なのです。平和の維持だけが目的なのです。
それが本質的に異なります。
それなのに日本共産党は安保関連法改正を「戦争法案」と宣伝します。周辺国は軍国主義の再来と誤解しかねません。日本共産党には困ったものです。
それはさておき、明治維新以後78年の戦争の時代と戦後70年の平和の時代の比較して変わらぬものとは何でしょうか?
いろいろありますが、それは日本の美しい風景です。写真にそれを示します。場所は山梨県北杜市の甲斐駒岳や八ヶ岳の山麓の風景です。7月に山林の中の小屋に行ったとき撮った写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
数日前には安保関連法案の改正は善か悪かという問題を取上げました。これに対して趣味人倶楽部では数多くのコメントを頂きました。コメントの内容をみると賛否両論があり、どちらが優勢だという判断が出来ないのです。しかしこの問題は日本の平和維持に関する重要な問題であることは明らかです。
このような二つの問題を考えて行くと、どうしても時代の流れと人々の考え方の移り変わりを感じてしまいます。
そこで一つの時代区分として(1)1867年の明治維新から1945年の敗戦までの78年間の時代と、(2)敗戦後から2015年までの70年間という区分の方法を思いつきます。
前者は大日本帝国の時代で戦争に明け暮れした時代です。後者はアメリカによる占領と駐留が現在まで続く民主主義と平和の時代でした。
この二つの時代を比較すると人々の考え方が大きく変わった分野と、ゆっくりと次第、次第に変わって行った分野があることに気がつきます。
非常に大きく変わった分野は政治制度と教育制度です。いかし丁寧に観察すると制度は占領軍によって一挙に変わりましたが、新しい制度の運用の仕方は急には民主的には行われません。
明治時代以来の官僚主義がどうしても残るものでした。
それでよくアメリカの民主主義とは違うものが日本に根付いたと指摘されることがあります。
これは一つの例に過ぎません。どんな分野でも制度は一瞬で変わりますが、その運用の仕方や考え方は緩慢に変わるものです。
このようにゆっくり変わるのでその変化が見えにくのが普通です。
そこで明治維新以後78年の戦争の時代と戦後70年の平和の時代の比較をしてみると大きな変化が明瞭に描き出せると思います。
そうすると日本から25,000のお寺が消えて行くきざしは明治維新による檀家制度の廃止にあるとも考えられます。
しかしお寺と檀家の間の強い絆は急には消えません。江戸時代の檀家制度は無くなりましたが人々の考え方は明治、大正、そして昭和20年までは檀家制度の精神はみゃくみゃくと生き続けて来たのです。
この精神文化が本当に崩壊するには幾つかの原因がありました。
まず敗戦による精神文化への拒否反応と、生活苦からお寺を支援出来なくなりました。そして経済の高度成長による都市への移住が大規模に起き、村落の過疎化が次第に進行します。
財政的に弱体化したお寺は優秀な後継者も失います。資質の低い世襲の住職がうまれます。
実社会で訓練を受けていない住職が非常識な方法で金集めをします。
昔檀家だった家の若い家族がそれを見て、もうお寺さんとはお付き合いしたくないと思います。このように次第、次第に変化していく分野もあるのです。
そして安保関連法案の改正の問題も同様に人々の考え方が次第、次第に変わった結果に起きたのです。
平和を守りたいのは万民の願いです。その平和を守る方法に「軍備放棄、戦争放棄で守る方法」と「軍備強化による戦争を抑止して守る方法」の二つに大別できます。
明治維新以後78年の戦争の時代には後者の方法が最善と考える人が圧倒的に多かったのです。
それが敗戦で一変しました。占領軍の軍国主義否定の教育が徹底したのも原因になって、「軍備放棄、戦争放棄で守る方法」が最善だと考える人が圧倒的に多かったのです。
それなのにアメリカ軍基地の諸問題、アメリカの衰退の予測、中国の台頭と軍事力の巨大化などなどが複雑に関係しあって、次第に「軍備強化による戦争を抑止して守る方法」が良いと考える人々が増加してきたのです。
大変雑な見方をすれば、この変化を明治維新以後78年の戦争の時代への回帰とも言えます。
しかし以前は日本軍の海外進出による領土の拡大が目的でした。
今回の変化の方向には領土の拡大はありません。あくまでも戦争の抑止が目的なのです。平和の維持だけが目的なのです。
それが本質的に異なります。
それなのに日本共産党は安保関連法改正を「戦争法案」と宣伝します。周辺国は軍国主義の再来と誤解しかねません。日本共産党には困ったものです。
それはさておき、明治維新以後78年の戦争の時代と戦後70年の平和の時代の比較して変わらぬものとは何でしょうか?
いろいろありますが、それは日本の美しい風景です。写真にそれを示します。場所は山梨県北杜市の甲斐駒岳や八ヶ岳の山麓の風景です。7月に山林の中の小屋に行ったとき撮った写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)